【小話】遣隋使の船の帆

第一回の遣隋使が派遣されたのは、聖徳太子が摂政の地位にいた600年(推古8年)のこと。あまりに古いことで遣隋使の船がどのようなものだったのかは知る由はない。これより時代の下る遣唐使の船でさえ、どのような船だったのかは不明であり、当時の船を知ることは現在難しいものとされている。

中公文庫の『日本の歴史2 古代国家の成立』によれば、小野妹子が乗っていった船がどんなものだったのかは分からないとしつつも、四、五十人くらいは乗れる船だったのではないかと記している。後の遣唐使の船が30mあったのではないかと言われているが、それに近い大きさのものが造れたとしても、その強度は貧弱だったようだ。船板の継ぎ目が弱く折れる事が多く、また帆も弱く効率の悪いもので、日本から中国本土まで行くのに早くても2カ月くらいかかったのではないかとされている。

個人的に意外だったのが、船の帆の材料だ。「このころ日本ではまだ木綿が栽培されておらず、丈夫な帆布がなかった。帆にはおそらく麻や楮や葛などの繊維を用いた布・編物を用いるほかあるまい。このような帆は木綿にくらべると弱く、強風にあえば吹き破られる心配がある。また風のもれる率も多いであろう」と書かれている。

てっきり木綿は当時から普及していたものかと思っていたが、調べてみると近世にようやくできたものだった。帆布(はんぷ)と呼ばれる木綿帆は戦国時代の織田信長の船や毛利水軍で使われていたが、そう簡単に大量に作って実用化できるものではなかったようだ。

ついでに書くと、江戸時代の工楽松右衛門という人が、綿布を2枚から3枚重ねて繋ぎ縫いした当時の帆布に不満を持ち、自身で播州産の太い木綿糸を用いて厚く巨大な平織りの丈夫な帆布の開発に成功したのは、1785年(天明5年)のことである。「松右衛門帆」と呼ばれたこの帆布は瞬く間に全国に普及し、日本海運業に大きな発展をもたらした。

話を古代に戻して、遣隋使の後になる遣唐使船の帆を調べてみると、竹を組んだ網代帆という物が使われたとされている。竹となると、布と比べて風をもらすことが多くなり効率が悪くなることは容易に想像できる。こんな網代帆よりも更に効率が悪く強度の弱い帆を使っていたとなると、遣隋使がどれだけ大変で危険な航海だったのかよく分かる。

参考文献
直木孝次郎『日本の歴史2 古代国家の成立』中公文庫(2020年)
石井謙治監修『日本の船を復元する』学研(2002年)
永原慶二『苧麻・絹・木綿の社会史』吉川弘文館(2004年)

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