【旅エッセイ】旅と楠

旅エッセイ

樟脳について知りたいと思い、『楠(ものと人間の文化史)』という本を読んでみた。楠の特性や用途が書かれているのはもちろん、楠を語る上で欠かせない樟脳について、そして樟脳を語る上で欠かせないセルロイドについても詳しく書かれていて、読んでいて面白かった。

本から、楠が日本の近世・近代に与えた影響の大きさを知ることができた。江戸時代に楠から樟脳を造りオランダに輸出していたが、その需要は高く、薩摩藩は長崎の出島に大量の楠(樟脳)を運び、土佐藩は密輸で多大な利益を出した。その資金が倒幕に使われたことから、楠は明治維新の原動力となったとまでいわれている。

明治維新後も樟脳の輸出は増え続け、セルロイドが発明されるとその原料に欠かせないものとして楠の需要はますます上がることとなる。楠によって日本は貿易で多くの利益を得ることとなり、江戸・明治・大正期の日本の財政を支えたともいえる大きな存在だったことを、本を読んで知った。

生まれも育ちも東京の自分にとっては、楠はよく見かけたりどこにでもあるような樹ではない(…と思う。自分が気付かなかっただけで注意して見ればその辺にあるものなのかもしれない)。楠は九州や四国の太平洋沿岸部に多く生息しているが、関東には海岸部以外はあまり生えていない。育つ北限は千葉の海岸線沿となる。寒いと冬を越せずに枯れてしまうようで、2mまで育てばあとは関東でも生育できるようだが、東京ではあまり見かけることがなく、楠といわれてもその形がすぐには思い浮かばない。

そんなこともあり、電車で日本一周の旅をした時は、各地の名所に楠があると特別な樹に思えて仕方なかった。大抵神社の境内に植えられているのだが、神社という場所もあって、自分の中では楠は神聖な樹に思えてしまう。

本を読むまでは知らなかったが、明治期に多くの楠が伐採された。明治24年(1891年)に樟脳の生産はピークになり、その頃には民間の会社が手を出せる国内の楠は採り尽くされてしまった。それでも楠は金になるということでその価値が上がり、国有地と神社の境内の楠を採れないものかと、何度も働きかけがあったらしい。現在各地に御神木として残されている楠は、そうした危機を乗り越えてきた希少なものなのだ。

そんなことを知ったら、楠を見たくなってしまった。東京で楠を見れる場所といえば、明治神宮が有名だ。御社殿の前に夫婦楠があり、御神木として祀られている。

早速行ってみると、思っていた形と違い、少し戸惑った。旅先で見た形とは違う。周りに樹木がないからこうして伸び伸びと枝を広げているのだろうか。神社の境内でよく見るものとは枝の広がりが違う。

明治神宮の楠

楠の下に行き下を見ると、葉が数枚落ちている。楠の葉は掃いても掃いても時間が経つとすぐにまた葉が落ちてくることから、神主泣かせの樹でもあるらしい。落ちた葉をちぎって手で揉んでみると、楠の香りを知ることができるらしい。そんなことも本を飲んで知ったので、実際にやってみる。

すると確かに、清涼感のある爽快な香りがする。樟脳の香りもおそらく同じようなものなのだろう。

先にも書いたが、九州・四国と本州の太平洋沿岸部を除くと、楠はそう簡単に見られるものではない。旅が好きな人は、旅先で楠を見たら少し立ち止まってみてみるのもいいのかもしれない。樟脳やセルロイドだけでなく、樟には人間の生活に身近なものとして利用されてきた歴史がある。

楠から作られる樟脳は古書や衣服、そして薬の保管に役立ってきた。平安時代だろうか、貴族たちは香を燻して、その煙を衣服に染み込ませて虫除けとしていた。日本は湿度が高く虫による害が多いのに、外国に比べて昔の衣服の虫食いが少ないのも、楠のおかげである。

また、楠は本の保管にも適切で、楠材の本箱に書物を収めたり和紙に包んだ楠の木片を一緒に保管したりして、書物を良好な状態で保存することにも一役買ってきた。古文書がよい状態で残されているのは楠のおかげであり、楠は文化財の保管に欠かせない重要なものだったのだ。

博物館や資料館で昔の仏像を見るのが好きな人は、木材としての楠に注意を払ってみるといいのかもしれない。7世紀の飛鳥時代の仏像は楠が使われている。彫刻のしやすさから好まれたようだ。伎楽面も楠で作られていて、7世紀の飛鳥・白鳳時代の木彫像や面は大部分が楠で作られているらしい。

8世紀の奈良時代の天平文化になると仏像は檜やカヤが、伎楽面はキリ製か乾漆造りになり、楠の仏像は見られなくなるそうだ。仏像を造る技術が発展して一本の木から彫る工法から木の支柱に粘土をつけて造る工法(塑像)になると、狂いの少ない檜やカヤが重宝されるようになったとのことである。仏像の材料から、その工法や時代背景が分かるのは面白い。

楠について本を読んでまだ知ったばかりで、まだまだ知らないことが多いが、木材に注目して歴史やその加工品を見てみるのも面白いだろう。城や橋、家屋や家具、舟や荷車、耕作道具や武器、仏像、茶碗や小細工など、考えてみれば古来から日本人は多くの木を利用してきた。その木には様々な種類があり、その性質を生かして利用してきたのだろう。

そしてそうした技術が現在の建築をはじめとした分野で生かされているのだろう(偉そうなことを言っているが、あまりよく分からない)。そんなことがもっと分かれば、これからますます旅先で目にするものが楽しく感じられるようになるだろう。いろいろと調べてみたいものだ。

参考文献:矢野憲一・矢野高陽『楠 ものと人間の文化史151』法政大学出版局(2010)

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明治神宮の夫婦楠

日本一周で目にした楠

熱田神宮の大楠

来宮神社(静岡県熱海市)の大楠

2019年9月の時のもの

樹齢2000年、幹周り23.9m、高さ約20m。日本で2番目に大きい楠として知られている。日本一の大きさの楠は、鹿児島県姶良(あいら)市、蒲生(かもう)町の「蒲生(かもう)の大楠」で、樹齢1500年、樹高30m、根回り33.5m(幹周り24.22m)。交通の便が悪いため気軽に行けるような場所ではない。

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