【長野県野尻湖】子供の頃の思い出①

旅エッセイ

30歳くらいの時に、夏休みの旅行で野尻湖に行ったことがある。その時の記事をメインサイトの旅ブログに書いていて、昔子供の頃に野尻湖で過ごしたことを思い出した。小学生の高学年の時にある合宿に参加したのだが、それは野尻湖で泳いだりバーベキューをしたり、花火をしたり肝試しをしたりするものだった。特に珍しいものでもなく、夏になればどこででもやっているような合宿だった。

当時はサッカーに夢中で夏休みは朝から晩まで練習したいと思っていたから、合宿に魅力を感じなかったし、車酔いの酷い自分にとっては、東京から野尻湖に行くまでのバスが嫌で仕方がなかった。自分の意思で参加したものではなく、親から強要されたものだったから、楽しいものではなかったが、一つだけ、行って良かったなと思えることがある。それは自然の中で過ごせたことだ。

湖で泳いで桟橋で風に当たり、東京では見ることのできない星空を見るといった楽しい思い出があった一方で、虫の多さに驚いたり嫌気がさしたり、灯りのない所の漆黒の闇の怖さに怯えた思い出がある。今でも自然が大好きであるにもかかわらず、登山をしようと思わないのは、この時の体験によるものだと思う。自然の怖さというのか、安易に自然の中に長居するのは危険なような、そんな感覚を子供の頃に野尻湖合宿で体験したのが大きいと思う。

自然と触れ合う。そこだけを切り取れば、野尻湖での夏の合宿は最高のものだった。規則正しく朝早く起きて桟橋に腰掛けて、澄んだ空気を体に取り入れる。朝ご飯が終わったら湖に飛び込んで遊び、昼ごはんを食べたらまた湖に飛び込んで泳ぐ。小型のボートを漕いだり、大きなみんなで漕ぐボートに乗ったりもした。夕方には桟橋に座り心地よい風に当たり日が暮れるのを待ち、そして寝る前には桟橋に寝っ転がって満点の星空を眺める。毎日がこんな感じだったわけではないが、それぞれの日の湖での過ごし方を合わせると、こんなことをしていた。

野尻湖は湖畔を歩いてみるとあまり綺麗な水には見えないが、潜ってみると案外水の中は綺麗だ。湖の中は透き通っていて、小さな魚の群れが見える。外来魚が多くバスフィッシング目当てで訪れる人もいるが、僕が泳いでいた所にはブラックバスやブルーギルといった外来魚を水中で見ることはなk、鮒や鯉などの魚が泳いでいた。

深さは4mか5mくらいだったと思う。足が着かない所で泳ぐのもいい経験だった。おかげで立ち泳ぎを覚えられたし、嫌々ながら参加した合宿だったが、これに関しては大人になっても役に立つことだから、その時できるようになっておいて良かったと今でも感謝している。

泳いでいる間は他のつまらない行事に参加する必要がなく、幸せだった。桟橋から飛び込んだり、水中で前に後ろにと意味もなくぐるぐる回転したり、湖の底まで潜ってみたりと、飽きずに水の中にいた。何といっても一番楽しいのは、学校や市営のプールでダメなことが禁止されていないことだ。桟橋を思いっきり走って湖に飛び込み、深く潜水してもいい。普段では決してできないことを思う存分できたのは、楽しくてしかたがなかった。

背中から飛び込んだり、バク宙しながら飛び込んだり、前宙しながら飛び込んだり、お尻や背中を水面にぶつけて水しぶきを上げたりと、何でもありだ。桟橋も写真よりも高く、高い所から飛び込めたから、それは楽しかった。始めて合宿に参加する子がよく年上から、両手を広げて大の字になって腹から飛び込むといいよと騙されて、痛い思いするのが通過儀礼のようなものにもなっていた。

ある時桟橋から勢いよく頭から湖に飛び込んだら、水の底に先生が仰向けになって寝ていた。状況が理解できず近づいて顔を見てみたら、口元が緩んで口から出た泡が下から上がって来た。子供を驚かせて楽しんでいるのだろう、変わったことをするなと思っていたら、その先生が水面に上がってきて、楽しいぞと言ってまた湖の底に潜って行った。

4、5mの深さがあるところで、よくそんな事ができるなと不思議だった。下に潜ろうとしてもなかなか降りられないし、底まで行くのがやっとだ。体は勝手に浮いてしまうから、湖の底で寝るなんてどうやったらできるのか疑問だった。先生が息をしに上がって来た時になんでそんなことができるのか聞いてみたら、息を吐けば楽に潜れると教えてくれた。

肺の中の空気が減れば、自然に体が沈むのだ。

初めのうちは息を吐いてから潜ることに抵抗があるから、試してみてもなかなかできない。少し苦しいし不安で落ち着かない。しかし何度かやっているうちに、だんだん慣れてきて楽に潜れるようになってくる。最初から息を吐いて底に行くのは不安だがら、底に向かいながら少しずつ吐いていくと、楽に湖の底に行ける。まだ肺に空気が残っていても、ある程度空気が抜けると体が浮かなくなり、息が続くまで底にいることができる。

慣れてくるにつれて湖の底に立ったり、座ったりできるようになり、遂に体を寝かせることができるようになった。空気を吸いたくなったら、しゃがんだ状態で勢いよく地面を蹴れば早く水面まで出られるから、難しいものではない。水の底に滞在できるようになり、仰向けになってみると、そこには素晴らしい光景があった。湖の底から見上げる水面は、それはそれは綺麗なものだった。言葉でうまく説明できないが、普段では見れない、素晴らしい色なのだ。

晴れていれば水面がゆらゆらと黄色というのか白というのか、明るく動いている。水面から太陽の光が差し込んでいるのも見ることができる。人は本能的に水の中にいると安心感があるとか心地がいいとかいわれているが、そんな心地よさもあり、とても気持ちが良いのだ。息の続く数十秒の短い時間しかこの光景を見れないが、その一時の光景は忘れることのできない綺麗な光景だった。

もちろん、他の子が勢いよく桟橋から飛び込んだり、泳いでいるのを、真下から眺めるのも普段とは違う視点で新鮮で面白かった。

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