【長野県野尻湖】子供の頃の思い出②

旅エッセイ

忘れられない素晴らしい光景がもう一つあった。それは晴れた日の星空だ。普段では決して見れない満点の星空を、桟橋に寝っ転がって見るのだ。合宿の初めの方は星が綺麗だ流れ星が見えただ、願い事がどうだのと、皆興奮してはしゃいでいるが、しばらくすると静かになり星空の美しさに魅入っていく。

心地よい夜の風が静かに吹き、湖の水が桟橋に当たる音が聞こえ、桟橋に繋いでいるボートの揺れる音が聞こえる。そんな中で皆が思い思いに素晴らしい星空を眺めている。見るもの聞くもの触れるもの全てが、素晴らしかった。自然の中に身を置いた時の、自分が癒されていく感覚を知ることができた。

いつ思い出してみても嬉しくなるような素晴らしい体験があった一方で、自然の怖さや自然の中で暮らすことの難しさのようなものも、その合宿では知ることができた。環境への配慮から、食事の後はキッチンペーパーでお皿を拭いてから食器を洗った。合宿の定番のカレーの時は、特に念入りに皿に残ったルーを拭き取った。トイレも半水栓だった。

自然が豊かな場所となれば、当然虫も多い。手のひらサイズとまではいかないまでも、大人の指の長さはある蜘蛛や蛾が部屋の中にいることは珍しくはない。トイレに入っている時に急に視界に入って来たり、物陰から急に出て来た時の驚き具合は、ゴキブリの比ではない。昼や夕方に薪を焚いて飯盒やバーベキューをする時も、火から離れたとこでは無数の蚊や蛾が集まる。

スズメバチも容赦なく部屋の中に入ってきたりする。一人スズメバチに刺された子がいたが、見ていてとても可哀想なものだった。ある時、夕方桟橋で風に当たっていたら、急に湖に飛び込んだ子がいた。みんなが呆気にとられていると、湖から勢いよく桟橋に上がり「刺された、刺された」と言っている。先生が本人から話を聞いてみると、桟橋で気持ちよく風に当たっていたら、スズメバチが飛んできて太ももに止まったのだ。

手で払おうと思ったが、刺激したら刺されると思い躊躇し、とはいえいつ刺されるか分からず怖くなり、どうすればいいのか分からず水中に逃げれば助かるんじゃないかと思って咄嗟に飛び込んだのだ。結局は刺されてしまい気持ち悪くなり、翌日もずっと横になっていた。アナフィラキシーショックというもので、吐き気や眩暈がするものだが、楽しいはずの合宿が一瞬でそんなことになってしまい、本当に気の毒だった。

先ほど湖で楽しく泳いだ記憶を書いたが、泳いでいる時も少なからず怖い思いはするものだ。足の着かない場所で1日何時間も泳げば急に足が攣る(つる)ことがあるし、湖といっても波が無いわけではない。足が攣れば痛みと動かせない動揺からパニックになり、ちょっとした波で口の中に水が入ってしまい、水を飲み込んで苦しい思いをする。水は怖い、気を緩めてはいけない、と体で学ぶ。

登山をする時も自然の怖さを感じながら歩いた。一年前に違う合宿先の子供が下山の際に下り坂で躓いて滑落して亡くなった、と登山前に聞かされるものだから、自分もそうならないように黙って登山をしたものだ。

そんな、自然の怖さのようなものを感じることがその合宿では少なからずあったが、一番怖かったのは暗闇だ。真っ暗闇というものを体験したのも、この合宿が初めてだった。肝試しでちょっとした林道のような小道を歩かされたことがある。街灯のない道をペンライト一つ持たされて。

何百メートルあったのだろうか、結構歩かされた気がする。歩く前には聞きたくもない怖い話を聞かされて、急にでかい声を出されて何度もビビらされて、それだけでも相当不快だったが、自分の番が来るとペンライトを渡されて、行ってらっしゃと送り出される。

怖い話を聞かされる広場も蝋燭一つしかない暗い場所なのだが、そこから離れると目の前の明かりが無くなるから更に暗くなる。ペンライトを前に向けたところで目の前が明るくなる訳でもなく、そんなことをしてもなんの意味もないから足元を照らして歩く。何が一番驚いたかというと、目の前よりも空の方が明るかったことだ。月の光がなくても空の方が明るくて、木や林や山は真っ暗なのだ。

神経が研ぎ澄まされているものだから、虫の鳴き声や木の揺れる音、自分の足音がよく聞こえる。自分の横や後ろになにかいるんじゃないかと思うと怖くなるが、歩いているうちに少しだけ恐怖に慣れ、暗さに目も慣れ、目の前の木が生えていない所が道なのだなと理解できるくらいの余裕が出てくる。

そんな時にふと横に目をやると、真っ暗闇がすぐそこにあることに気づき、また怖くなる。お化けや幽霊が怖いのではなく、自然が怖い。夜の小学校とか廃墟といった人工的な暗闇とは全く違った、自然の空間に対しての恐怖心が湧いてくる。

人工的な所は音がせず空気が流れず、停滞した場所、止まっている場所という感覚があるが、山の中は絶えず何かが動いている。風が吹き草木が揺れ、枝や実が落ち、虫や動物が動く。暗闇という空間が生きていて、360度すべて自分を囲んでいるから、それを意識すると途端に言いようのない恐怖に襲われる。

朝小道を歩くと清々しさを感じ、昼間に小道を歩くと日を遮ってくれて心地よさを感じる。自然に囲まれていることが心地よく、癒されるが、日中そうした森も夜になると一変して恐怖になる。そんな違和感のようなものも、その合宿に参加したおかげで知ることができた。

先にも書いたが、自分の意志で参加した合宿ではなかった。家は貧しくて、みすぼらしい恰好をした自分に引け目を感じていたし、ゲームやテレビの話題にもついていけなかった。そんなことから合宿に参加するのは嫌だったし、参加していてもどこかしら孤独感や疎外感を感じざるを得なかった。

しかしそれでも、そうした合宿に参加したことで大きなものを得ることができた。大人になった今では、サマーキャンプに子供を参加させる親の気持ちが分かるようになった。主催する側には厳しさを体験させるものがあったり、宗教法人が開催しているものがあったりするが、子供たちが普段はできないことを体験し、それが成長の糧となり、人生の宝物になるのであれば、それはそれでいいのだとも思えるようになった。

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