憧れだった青春18きっぷ

旅エッセイ

青春18きっぷで田舎を旅するのが好きだ。時間を気にせず、何も考えず、ただただ車窓から田園風景や渓谷を眺めるのは、堪らなくいい。ボックスシートに座り、晴れた日の田舎の自然風景を見ながら、ぼんやりとする。仕事のことも生活のことも、昨日までのこともこれからのことも、何も考えない。頭の中が空っぽになっていき、ぼんやりして、心地よい感覚になると、す~っと頭がすっきりする。元気になって前向きになれる。

音楽を聴きながら車窓を眺めるのもいい。昔聴いていた音楽を聴くと、その時の自分の生活やその時にしていたことを思い出す。昔はいろいろあったけど今はこうして旅ができていると思うと、元気になれる。懐かしさや感慨深さを感じながら、心地よい電車の揺れに身を任せ、流れ過ぎていく景色をぼんやりと眺めるのも、いいリフレッシュになる。

仕事が忙しければ忙しいほど、青春18きっぷの旅は楽しく、心地よいものになる。前回の旅から間が空いていれば空いているほど、田舎の自然風景を楽しむことができる。

2015年に電車で日本一周の旅をした時のもの

そんな青春18きっぷの旅は、小学生の頃からの憧れだった。初めて青春18きっぷというものを知ったのは、小学生5年くらいの頃だったと思う。ひょっとしたことから、普段はまず話すことがない、高校生のお兄さんの話を聞くことがあった。その高校生は電車に乗るのが好きで、他人からは「ド鉄」と言われていると笑っていたが、その人はこんなことを言っていた。

「青春18きっぷを持っていれば、1日中電車に乗っていられるんだ。電車が走っていれば朝から夜遅くまで、どこまでも行ける。新幹線や特急が通過する田舎の駅にも停まるから、この景色がいいなと思ったら、思い立ったようにふらっと降りることができるんだ。名前も知らない駅に降りてその近くを歩いて散策する。何にも無いんだけれども、初めて来る場所を歩くのは楽しいよ。田舎の駅だからが次の電車が来るまで何時間も待つことがあるけど、誰もいない無人の駅は静かで、あの空間はいいんだよなぁ。1日中ずっと電車に乗っているとお尻が痛くなって辛いんだけど、それくらい電車に乗っていられるのは幸せだなぁって思えるんだよ」

にこにこしながら楽しそうに話すその電車の旅は、好奇心旺盛な子供心をくすぐるものだった。想像もできないほど遠くに行き、見たことのない場所を歩く。山や川や田んぼや誰もいない駅など、東京では見ることのない景色がそこにはある。それは旅というより、冒険に近い。考えただけでわくわくしてきて、居ても立っても居られなくなり、そわそわする。なんて面白そうなんだろうと。

同時に、青春18きっぷの旅に強く惹かれたのは、現実から逃げ出したいという思いがあったからだろう。子供の頃は、貧しくていつも肩身の狭い思いをしていた。いつも自分が情けなくて、やりきれなかった。そんな、自分ではどうしようもない現実から抜け出したいという思いが、旅というものに強く惹かれてしまったのだろう。心をつかまれたというのか、心が揺さぶられたというのか、そんな感じだった。

2015年に電車で日本一周の旅をした時のもの

青春18きっぷの話を聞いてからしばらくは、電車で冒険している自分を空想していた。いつか自分も同じように旅をしよう。早く大人になって、電車の旅に出かけよう。
そんなことを考えるようになった。早く大人になりたいと思ったし、大人っていいなと思った。日々の生活を心配せず旅をすることは、目指すべき大人のあり方でもあった。自分でしっかりと稼いで窮屈な思いをしない生活をする。休日は自分の好きなことをして、人生を楽しむ。それでこそ大人だ。自分にとって大人とは、そういう存在であった。

放課後に団地で遊んでいると、そんな大人をよく見かけることがあった。楽しそうに人生を送っている大人は、自分の身近な所にもいるものだ。ある時、大量のルアーを道路に並べているお兄さんを見たことがある。20歳くらいの年齢だろう。駐車場の水道でルアーを洗い、道路に広げて乾かしているのだ。赤・黄・青・緑と彩りのルアーが陽の光を浴びてキラキラしていて、思わず近くで見入ってしまったのだが、そのお兄さんはにこにこしながら一つ一つ丁寧に拭いて掃除していた。「触ってみるかい?」なんて声を掛けてくれて、それぞれの形状の違いや、どんな魚が寄って来るのかを教えてくれた。

またある時は、バイクを大事そうに洗車しているお兄さんを見かけることもあった。サッカーボールがバイクの近くに飛んで行ってしまい、それを拾いに行っても、怒った素振りもなくにこにこしながらボールを返してくれる。ボール蹴りそっちのけで友達と洗車しているのを見ていると、バイクの部品の説明をしてくれた。

何の説明なのか分からないことが多いのだが、凄いなぁと思いながら見入ってしまう。自分の知らないことを沢山知っているし、説明しているのが楽しそうだ。

そんな彼らは、自分にとってはあるべき大人の姿だった。まったくつまらなそうにしていない。掃除なんて面倒くさいものなのに、少しも退屈そうにしていない。学校に行く時に、スーツを着て俯いて駅に向かう人とは違っている。酒に酔って暴力を振るう親父、手を上げて教育する小学校の男の先生、腕を掴んで鬼のような形相で怒る女の先生、彼らはとは大違いだ。

生活に余裕があり自分の好きなことをしているから、にこにこしているのだろう。怒らないのだ。心に余裕があるのだ。

もちろん世の中生きていくことが大変なことくらい、大人になった今では知っている。仕事が大変だったり、会社が潰れたり、家族が亡くなったりすることもあるだろう。だからあまり無責任なことは今では言えないが、子供の頃は楽しそうに生きている人こそ、大人というものだった。そんな大人に早く自分もなりたい。そして青春18きっぷでまだ見ぬ日本の各地を冒険したい。そんなことを考えていた。

2015年に電車で日本一周の旅をした時のもの

青春18きっぷの旅というものは、やりたくて仕方がないけど、当時の自分ではどう頑張ってもできないものだった。同時に、将来大人になったら達成したい目標でもあった。大袈裟に言えば、一時期に過ぎないが、辛い生活から抜け出すための希望のようなものでもあった。

青春18きっぷは憧れであり、理想の大人の象徴でもあった。

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