【旅エッセイ】日本一周旅5日目 和歌山県 感動よりも委縮が勝る那智の大滝

和歌山県

旅の5日目は那智大社に行った。那智の大滝が有名な場所だ。昨日と同じ様に紀伊勝浦駅からバスに乗るが、25分ほどで大社前のバス停に着く。少し手前の大門坂で降りると、石畳の続く熊野古道を歩くことができるのだが、スケジュール上カットすることにした。バスから降りると参道は階段が続く。階段を登った先に那智大社があるのだが、ここは見晴らしが良い。山々に囲まれた自然豊かな場所であるが、同時に外部とは遮断された閉ざされた空間であることが分かる。そんな見晴らしの良い場所から、那智の大滝が見える。

那智大社といえば大滝が有名だが、正確には大滝は別の神社となる。飛瀧(ひろう)神社になる。那智の本社は本来この飛瀧神社にあったらしいが、なんらかの理由で現在の場所になっている。本宮大社や速玉大社と比べてもその歴史は浅く、創られたのが二社よりも遅い。那智大社の境内には入ると、隣に那智山青岸渡寺(なちさんせいがんとじ)と呼ばれる寺がある。明治に神仏分離によって離されたらしいが、隣にあるのはその影響を受けなかったからなのか。恐らく神仏習合が強い場所で、騒動が収まった後すぐ建てたのだろう。

この青岸渡寺は西国三十三所の一番札所としても知られいる。15世紀には西国三十三所観音巡礼が庶民に知られるようになり、ここから中辺路を逆に進み紀伊半島の西(田辺の方)の海に出て、京都の方に北上する巡礼者がいたようだ。那智大社に参拝する前は、伊勢神宮でお参りをしてそれから伊勢路を歩いて那智大社に向かったらしい。地元の庶民のあいだでは伊勢参りをしてから那智大社に参詣する伊勢路が古来より使われており、伊勢神宮と熊野はセットとして親しまれていたようだ。そんなことが書かれている本があるかと思えば、伊勢神宮を創った部族は熊野の民族を滅ぼしたから敵だと強い恨みを持った地元の人がいることを書いている本もある。

那智大社から石段を下り飛瀧神社に向かうと、鳥居に入る前から滝の音が聞こえてくる。鳥居をくぐり境内に入り更に階段を下りていくと、大滝が現れるのだが、その迫力に圧倒される。日常ではまず聞くことのない音が耳に入り、霧のような細かい水飛沫が絶え間なく飛んでくる。ネットやYouTubeで写真や動画が簡単に見れるが、見晴らしがよくまさに絶景だ。滝は133mの高さがあり日本一の名瀑として名高く、言うまでもなくその名に恥ない素晴らしい滝だ。落差は30階建てのビルの高さに相当するみたいだ。

始めはこの迫力に感動したが、段々と別の感覚が湧いてくる。目の前で滝が上から落ちてきては、水飛沫の音が絶え間なく耳に入り、霧が体に当たり続けていると、普段では体感しないその感覚に違和感を覚え始めてくる。自然に癒されるというよりかは、別世界にいるその感覚が窮屈にも思えるし、自然に対する畏怖の念のようなものを感じるような気もしてくる。300円を払うと更に滝の近く行くことができ、そこでは延命長寿の水を飲むことができる。100円の初穂料を収めて盃で水を飲み、その盃を記念に持ち帰ったが、始めのうちはそんなことをしていていい気分だった。名所と言われるだけある素晴らしい場所だと思っていたが、時間が経ってくると、飛んでくる水飛沫があっちへ行けと自分を追い払っているかのような気がしてくる。そんな感じもした。自然の力に魅せられて時間を忘れてしまうような場所ではなく、マイナスイオンに包まれて心地よい空間に長居してしまうような場所でもなく、何だが落ち着かずさっさと帰った方がいいような気がしてしまう、そんな場所でもあった。

五来重が『熊野詣』の中で、「この滝を目の前にして酒を飲もうと思う者はいないだろう」と書いているが、全くその通りだ。長い時間、鑑賞したり癒しの場となるような場所でもない。酒好きの身としては満点の星空や長閑な湖畔にいると、いい風景を肴にお酒を飲みたいと思うものだが、そんな感情が1ミリたりとも出てこない空間だ。夏の晴れた日の、日曜日で観光客もそれなりいて陽気な雰囲気があったからまだしも、そうでない日は一段と不気味があるような場所だと感じた。『熊野詣』では昭和という時代になっても、この滝の近くにあった神主が泊まる建物では夜な夜な声のようなものに悩まされ、今では滝の近くに寝泊まりする建物が無くなったと書かれていたが、それを読んで妙に納得した。怪奇現象だとか心霊現象だとかそういったものには自分は縁も関心もなく、そういうことを言うつもりはないが、人間が普段生活するような空間ではないという意味では五来重が書いていたことに共感する。

そんな気持ちに後押しされたのか、予定が詰まっているのをいいことに石段を登ってそそくさとバス停に戻り那智大社を後にする。バスで勝浦駅に戻り、その後は別のバスに乗り換えて橋杭岩に向かう。3日間使えるフリーパスを使ったのだが、残念ながら勝浦から串本駅への路線は9月で終わってしまうことを車内アナウンスで知った。観光客が年々減っているのだろう。

50分ほどバスに乗り移動し橋杭岩に着く。大小40余りの岩が長さ約900m幅15mに渡り並ぶ景観を目にすると、大して期待していなかったが実際自分の目で見てみると迫力があっていい。この大岩の群れは1400万年前にマグマが地層の割れ目から上昇し冷え固まり、風や波で風化し固い部分だけが残されて現在の形になっている。潮が引いていて岩の近くまで歩いて寄ることができたから、少し散歩でもしてみたが、陽の光が強く暑くて日陰のある所に戻ることにする。駐車場の近くにはレストランがあり橋杭岩と海を見ながら食事ができるから、そこで涼しもうと思ったが、中に入ってみると家族連れで席が埋まっていて断念する。

長旅に出て初めての週末となるが、土日となるとやはり観光地は混雑している。子供連れが多くそういった場所は自然と賑やかで、明るい雰囲気がある。そんな中、一人大きなリュックを背負っているのは場違いで居場所のなさを感じてしまう。いい歳をしても人の目は気になるものだ。予定よりも一本早いバスに乗り串本駅に向かうことにする。自分にとって一人旅はそんなもので、時間をかけて見てみたい場所に行っても、そこでの滞在時間は結構短い。日本一周の旅と言えば割と人生で大きなイベントに分類される方だが、だからと言って無理に長居はしない。旅先では見なかったものや気付かなかったものが多いが、それでいいと思っている。旅先で旅をしている最中よりも旅の後の方が、その土地を知ることが多い。旅はあくまでその土地を知るきっかけに過ぎないという感覚がある。

2015年橋杭岩

串本駅からはJRで和歌山駅に行く。当初の予定では和歌山駅に向かう途中、白浜駅で降りて南紀白浜に行くつもりだったが辞めることにした。2時間かけて三段壁と千畳敷を観ながら白浜に行って帰ってくる予定だったが、炎天下歩くのは後々堪えることになりそうで辞めることにした。まだ長旅は始まったばかりで、最初から飛ばし過ぎると後から体調を崩しそうでキャンセルしたが、それが正解だった。橋杭岩の休憩所がそうだったように、白浜に行っても場違いだっただろうと思う。夏休みシーズンの日曜の晴れた日となれば、白浜も家族連れで混んでいたと思う。

電車に揺られること3時間半、和歌山駅に到着し時間を余らせることになる。駅構内にある店で和歌山ラーメンを食べた後は、駅から少し離れた銭湯に行って汗を流す。幸福湯という昔ながらというのか、昭和の時代を思わせるというのか、落ち着けるいい銭湯だった。お湯から出た後も置いてある漫画を読みながらゆっくりすることができる場所で、おかげで風呂上がりにのんびりすることができた。意外にも、後にも先にも日本一周の旅で銭湯に入ってのはこの一回だけだ。寝泊まりした場所には銭湯がなく、入る機会がなかった。旅から5年経った後、流石に潰れているだろうと思って検索してみたら、リニューアルして営業していた。廃業の続く業界だけに、思い出の場所がまだ営業しているのを知りとても嬉しくなった。

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