20代前半の頃の旅行

旅エッセイ

旅や旅行というものは、自分のお金で行くから楽しいのだろう。人の旅費を出す分には構わないが、人から出されると気が引けて楽しめない。初めて自分のお金で旅行に出かけたのは、大学を卒業してフリーターをしていた頃だった。当時は諦めきれない夢を追いかけていて、深夜のバイトをしながら生活していた。バイトをしているとどこにもバンドマンや劇団員、お笑い芸人がいるものだが、自分もそんなようなことをしていた。

本業とバイトの生活には休日というものがないのだが、1年に1回は、同じ夢追人と一緒に1泊2日の旅行をした時期がある。自分で稼いだお金で、気心知れた仲間と出かける旅行は楽しいものだった。数十年経った今でも、思い出してみるといい時間を過ごしたんだなぁと素直に思える。この先もその印象は変わることはないだろう。一緒に出かけた友人とは今では住む場所も離れ離れになり、疎遠になってしまったが、いい時間を過ごせた当時の旅行の思い出は今でも人生の宝物だ。

その旅行というのは、2人の友人と自分とで合わせて3人で、レンタカーを借りて東伊豆に行くものだった。オフシーズンの平日空いている時に、伊東から伊豆稲取の辺りの個人でやっている民宿に一泊するのだ。泊まる時期は大体、毎年GW明けの5月か6月だったと思う。

伊東から河津の間には、1万円あれば伊勢エビや刺身の盛り合わせが付いた、地元の海の幸を満喫できる民宿が沢山あった。部屋には鍵が無いし、洗面所やトイレは他の宿泊客と共用だし、温泉も一応温泉と言ってはいるが本当かどうか分からないし、露天風呂もない。そんな所だが、料理は新鮮で美味しいし、部屋出しもしてくれる。何と言っても堅苦しくないのが良く、田舎の親戚の家に上がるような気楽さがあり、何一つ不満に思うことはなかった。レンタカー代や高速料金といった交通費を含めても、1人2万もかからない。

そんな旅行は行ってから帰ってくるまでが、ずっと楽しい。レンタカーに乗り込んだら好きな音楽をかけて、くだらないことを話す。バイトと本業から解放され、気兼ねなく過ごせるのだから、楽しいに決まっている。バイト先で店長や客に気を遣うことがないし、本業で悩んだり悔しい思いをすることもない。車の運転も、運転するのが好きな人がいたおかげで任せっきりで済む。車に乗ってたわいもないことを話し、サービスエリアに着いたらフランクフルトでも食べて、安宿に向かう。

熱海を過ぎて伊東を過ぎた辺りだろうか、高速から降りると、そこからは少しだけ真面目な空気になる。当時はナビが正確ではなく、当てにならないことがあり、よく宿に着くまでは地図と睨めっこしたものだ。今では考えられない。当時はナビの性能が悪く、ナビ通りに進むと道を間違えることがよくあった。ナビ任せにしていると、道を間違えても直ぐには気付かず、大分進んでから道が違うことに気付くことがよくあった。道を修正したり折り返すのもだいぶ進んでからだから、道を間違えると結構面倒だったりする。

そういう場面で助手席に座って地図を見る役目は、自然と年が一番若い自分になる。普段から車に乗ることがなく車の地図を見ることに慣れていないから、スムーズに行く訳がないのだが、仕方ない。何度も道を間違えたのを記憶している。道が分からず地図を見ても埒が明かない時は、宿に電話して道を聞く。宿の人から道のりを聞いたところで自分が分かる訳もないから、運転席に携帯を渡す。要は自分は、電話をかけるだけなのだ。当時のことを思い出すと、今は旅行がしやすくなったものだと実感する。

無事宿に着くと、楽しい時間が戻ってくる。部屋に着くなり温泉に浸かり、首を長くして夕食の時間を待ったものだ。そして夕食の時間になると、一番の幸せがやってくる。船盛のボリュームに感動して、新鮮な刺身に舌鼓を打つ。伊勢海老の刺身があると、これまた感動するのだ。伊勢海老は味というよりは、その見た目で感動しているのだが。

部屋食のある宿に泊まることにしていたから、他人の目を気にせずに、気心知れた友人と美味しい豪華な食事に向き合うことになる。刺身なんて買えないような貧乏フリーターにとって、新鮮な船盛は、それはそれはもう贅沢だった。当時は三人が三人とも、閉店前のスーパーで刺身が半額で売っていたとしても、大盛りのカップ麺とカロリーのやばい菓子パンを買っていたような、そんな輩だ。少なくとも育ちの良くなかった自分は、大人になる過程で刺身を食べた記憶がほとんどない。

安宿と関係があったのは知らないが、刺身を出される時に「これは~という名前の魚で」とか「この魚は今が旬で」とか説明されたことはなかった。何の魚なのか、どんな魚なのか、今が旬なのか。そんなことは特に気にせずに食べていた。なんだって美味しいし、美味しい刺身を食べることができているだけでもう十分なのだ。

そして日本酒を頼む。普段は居酒屋に行っても日本酒を頼みもしないのに、その日は徳利からお猪口に日本酒を注いで悦に入ったものだ。旅情があるね、なんて言いながら。今から思えば、ちゃんと地酒を頼んだのだろうか。どこにでもある、東京の安居酒屋にでもあるような清酒を頼んでいたんじゃないかと思う。旅情と言っていいのだろうか、旅の趣とでも言うのだろうか。背伸びをしていたのだろう。刺身には日本酒が合うと言いたかったのだろう。普段しないようなことをしたかったのだろう。

夕飯を食べた後は、お腹が減っている訳でもないのに、無駄に歩いて宿から離れたコンビニか雑貨屋に行く。そして、アイスクリームやら缶ビールやらを買ったら浜辺に行き、タバコをふかしながら気持ちのいい夜風に当たる。

宿に戻ればテレビをぼんやり観ながら敷いた布団の上で横になって、まったりして、いつの間にか寝る。一人「俺は最低でも3回は温泉に入るぞ」と言って湯に浸かってばかりで部屋にあまりいないのがいたが、自分は寒冷蕁麻疹というものが生まれつきあって風呂から出た後は体が痒くなることが多かったから、温泉は烏の行水だった。
体力があり余っていたから、お湯に浸からなくても疲れが溜まることはなかったし、お湯に浸かって全身の血行が良くなるあのお風呂の気持ちよさも、当時は感じることがなかった。

翌日目を覚ましたら浜辺に散歩に出かけ、焼き魚の付いた朝食を食べる。何とも規則正しい生活だ。帰りは行きとは違って道が分かっているから、地図と睨め子することもほとんどなく、すんなりと帰れる。いい時間を過ごしたという満足感と、明日からまた頑張るぞという気持ちとで、いい気分で帰るのだ。明日からではなく、今日から頑張るべきなのだが…。

そんな、20代前半の頃の旅行は、ただただ楽しいものだった。同じ夢を持ち、同じ目標に向かっている気心知れた友人達と過ごした時間は、いいものだった。今では連絡先さえ知らない状態になってしまったが、それも運命というか、そういうものなんだろうと思う。同じ夢を追いかけていた時に出会い、同じ夢を追いかけいるその間だけ繋がりのある関係だったのだと思う。

今から思い返しても、いい思い出であり、人生の宝物だ。

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