初めての青春18きっぷの旅

旅エッセイ

初めて青春18きっぷを使って旅に出た頃は、今とは違う旅の仕方だった。今では安く移動するための手段であり、移動中に記事を書く場であるが、当時は移動しながら窓から見える景色を満喫することが目的だった。電車に乗っていることが楽しくて仕方がなく、できる限り電車に乗っていたかった。

目的地に着いたら疲れない程度に観光名所を軽く観て、あとは駅に戻ってまた電車に乗る。そんな旅をしていた。

とりあえず乗れそうな路線には乗ってみて、そこからいい景色が見れないものか探していた。ボックスシートに座って、誰の目を気にすることもなく、音楽を聴きながらただただぼんやりする。仕事のことやこれからのことを考えることもなく、頭が空っぽになっていくのを楽しんでいたものだった。

非日常を追い求めていたのだろう。思うに、仕事が辛かったからだ。嫌ではなかったし辛いと思わないようにしていたが、それなりに負担はあったのだろう。

仕事には真剣に取り組んでいたしモチベーションがあった。やればやるだけ昇進できる職場だと分かっていたし、フリーターの頃に追い求めていた夢が挫折して、本気になれそうなものが仕事くらいしかなかった。当時の職場には有給取得というものがなく、夏休みがなければ正月休みもない。そんな職場で毎日自分なりに真剣に取り組んでいたから、1年もすればリフレッシュしたくなるのも当然のことだろう。

2012年春の青春18きっぷの旅

そんな感じで、ある時突発的に普段の生活から飛び出した。休みの前の日の仕事帰りに青春18きっぷを買い、大して下調べもせずに翌日の朝早くに出かけたのだ。

高尾駅から松本に向かったが、初めて見る車窓は新鮮で面白かった。山間にぽつんと建てられた家、川のすぐ近くに建てられた家、遠くに見えてくる甲府盆地、雪のまだ残る山々。自分の知らない生活が、そこにはあった。

ボックスシートというものに座ってみたのだが、このボックスシートというのがこれまたいい。前から景色が流れて来ては、過ぎ去っていく。肘をついて、流れる景色をただただ眺めてみる。

車窓からの景色を新鮮に感じるのと同時に、旅をしている自分も新鮮に感じられる。いつもとは違うことをしている自分、思い立ったように行動した自分、これから何をするのかよく分かっていない自分、とそんな自分が新鮮だった。

満足感もあった。かねてから興味のあった青春18きっぷの旅を、実際に行動してやっていることに満足感があった。また、子供の頃に憧れていた18きっぷの旅を、大人になった今できるようになった自分に対しても満足感があった。

2012年春の青春18きっぷの旅

そういったいろいろなことを感じ、満足感や充足感があるものだから、電車に乗っているだけで十分なのだ。だから初めて旅をした時は、松本駅に着いた後に城を少し観ただけでまた駅に戻ったのだ。松本と言えば見所のある場所や寄ってみたい食事処が沢山あるのだが、そういった所に行かなくても十分満足だったのだ。

そして松本駅から高尾駅に戻るのだ。行きの通勤時間帯での混雑とは違い、昼間の閑散とした車内は、これこそ旅をしているといった感じがして良かった。

音楽を聴きながら、何も考えずに、人目も気にしない。仕事のこともこれから先の将来のことも、明日のことも、何一つ考えずにほんやりする。心地よい電車の揺れに身を任せて、ただただ車窓を眺めている。

何時間でも座っていられる、そんな状態だった。リラックスし、頭の中がすっきりして、とても気持ちが良かった。

出かけた場所の滞在時間よりも、往復の乗車時間の方が遥かに長いといった、なんとも変な旅である。
しかしこの変な旅こそが、最高のリフレッシュ体験になった。仕事が嫌な訳ではなく、やりがいがあって忙しくても、たまにはこうして頭の中を空っぽにしよう。そう思った。

2012年春の青春18きっぷの旅

しかし残念ながら、このような旅はそれからしばらくの間はできなくなってしまった。仕事が評価され昇進する度に、電話を支給されノートパソコンを支給され、現場から遠のいてしまうといった具合になっていった。仕事のない日も会社とのやり取りがあり、仕事のことを考える時間が以前に増して更に増えていってしまった。

職場にいる間は業務をこなす勤務時間で、ミーティングや部下から受けた相談は勤務時間後に場所を変えて、というのが当時勤務していた会社の社風だった。昔ながらの言い方をするのであれば、ノミュニケーション(飲みニケーション)とやらだ。

旅を再開したのは、会社を退職してからだ。それまでは年に一度の「旅行」に出かける程度になった。

そんな感じで、電車に乗ってただただ流れる景色を眺めるだけの旅はその後なくなってしまったが、心地のよいいい旅だった。

ふと旅をしようと思うことがあっても、どこに行こうか、何をしようか、と考えているうちに、いつの間にか旅をしたい気持ちが無くなっていることがあると思う。そして何も変わらない毎日がまた続くのだ。

旅をしたくなったら、何も考えずに電車に乗ってしまうのもいいんじゃないかと思う。

2012年春の青春18きっぷの旅

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