旅の3日目は伊勢神宮に参拝した。朝の5時にネットカフェを出て、山田上口という駅に向かう。朝の綺麗な空気の中、陽の上り始めた空や広く流れる川など見ながら、のんびりと歩く。何だか落ち着く景色で、朝から清々しい気分になった。
駅に着いたら、電車が来るまで1日の予定を確認する。今日はこれから伊勢神宮の外宮と内宮に参拝するのたが、割と時間に余裕がある。近くにどこか寄る場所がないかと思いスマホを手に取ると、二見興玉神社という場所が目についた。下調べ不足でそんな場所は知らなかったのだが、伊勢神宮に参拝する前にまず立ち寄るのがいいと言われている神社だ。神社のホームページによると、二見浦は古来より清き渚と呼ばれ、伊勢参宮を控えた人々が汐水(しおみず)を浴び、心身を清めた禊場である。広辞苑によると「汐」とは夕潮のことで、朝潮を表す「潮」とは別だから、伊勢神宮に参拝する人は前日の夕方に二見興玉神社で身を清めたのだろう。現在でも、まず二見興玉神社に参拝し、お祓いを受けてから神宮へ向かうのがいいと書かれている。これは「浜参宮(はまさんぐう)」と呼ばれている。
二見興玉神社は山田上口駅から電車一本で行けるし、伊勢神宮の2つ先の駅でアクセスも良い。本来ならその存在を知ることもなく行ってなかった訳だから、直前に知ることができて、ついていた。早速二見浦駅に行くことにする。
参宮線という路線をワンマン電車に乗って移動するのだか、これがまたいい。電車の前輪がレールの繋ぎ目を踏むとカラッと鳴り、それに続いて後輪が踏むとコロッと鳴る。カラッコロッ、カラッコロッ。心地いい音が聞こえ、車窓からは長閑な田園風景が見える。心地よい電車の揺れに身を任せ、朝からこんな旅をしていて自分は幸せだなぁ、としみじみと思う。
そんな素晴らしい時間を過ごし、二見浦駅で降りると神社まで15分の道が続く。風情のある旅館が並び、立ち寄りたくなるようなお土産屋や茶屋がある。瓦屋根の建物で扉が木でできている。木の格子や竹の暖簾、軒下に置かれている植木にと、何から何までいい。こういう建物は写真で見たことがあるが、実物を目にするのは始めただ。大袈裟かもしれないが、自分の目で見ると何て素晴らしい建物なんだろうと思ってしまう。こんな家に住めるのならどんなに幸せなんだろうと、そんな風に思ってしまうのだ。
そんなことを思いながら神社への道を歩いて行くと、海が見え始め松並木のある参道に出る。石畳の道の横には石塔が建てられている。左に海を感じながら松並木と石塔の続く道を歩くのだが、右には昔迎賓館だった重要文化財の建物が建っている。この道も雰囲気のあるいい道だ。
そして二見興玉神社の境内に入ると、海が見え開放的な景色が広がる。ここもとても素晴らしい。潮風が気持ち良く、自然と身も心も綺麗になっていく気がする。禊をする訳でもお祓いを受ける訳でもないのに、何だか清められた気になってしまうのだ。心が穏やかになり、広くなっていくのを感る、そんな場所だった。
「浜参宮」を済ませた後は、電車に乗って伊勢市駅に向かう。二見興玉神社に行く時と同じように、心地よい揺れに身を任せて長閑な車窓を眺める。まだ1日が始まって数時間しか経っていないのに、朝から素晴らしいことばかり起きている。十分過ぎるくらいのいい時間を過ごしている。今日の予定はもう終了してもいいくらい、朝からいいこと尽くしだ。
伊勢市駅に降りたらコインロッカーに荷物を預け、外宮に向かう。大きなリュックを肩から外すと、驚くほど身軽になった。昨日と一昨日はリュックを背負って歩き回っていたが、それに比べると体が楽で仕方がない。ただでさえ気分が良くて体が軽いのに、更に軽くなってしまった。
外宮に向かって歩くと、参道が続く。お店はまだ開いていないが、ここも雰囲気のあるいい店がたくさんある。旅を始めて3日目にして、初めてまともな観光地に来たことを実感した。さすが伊勢神宮だ。有名なだけあって景観がいい。こんな所もあるんだなと思いながら外宮に向かった。
境内に入ると、言うまでもなく外宮は素晴らしい場所だった。境内は広々として、空気が澄んでいて気分がいい。大きな樹々がそびえ立ち、木陰は涼しくて何だか落ち着く。ざくっ、ざくっ、と砂利道を歩く感触が心地いい。境内にはまだ人があまりおらず静かだ。人の話し声が聴こえないのもいい。
同時に境内には神聖な雰囲気があり、緊張感が増してくる。スーツで参拝している人を見たが、全く違和感がない。正装して参拝するのが当たり前に思えるくらい、厳格な雰囲気がある。
こんな所に来ることができて、本当に自分は恵まれている。こうして旅ができるのも、心身ともに健康だからだ。旅をする前まで働いていた職場では、精神的に病んだり体を壊す人が多かったが、自分はそうなる前に逃げ出すことができた。旅や生活をするのに困らないくらいお金を貯めることができたし、心や体の病院の世話にもなっていない。世間体を気にせずスパッと会社を辞め、いい歳して電車で日本一周なんてしてるけど、そういう選択をして良かったと心底思えた。これまでの自分の人生を素直に肯定できる気持ちになれた。そうすると、自然と他人への感謝の気持ちも湧いてくる。自分の身近にいる人に対する感謝の気持ちが出て来て、もっと大切にしようと思えてくる。
伊勢神宮の朝の外宮は、そんな気持ちになれる場所だった。気持ちが晴れ晴れし、とても気持ちが良かった。
外宮を参拝した後は、時間に余裕があったので内宮まで歩いて行くことにした。ネットで調べてみると1時間で行けるとあり、十分歩ける距離だ。朝からいいこと尽くしで気持ちが明るくなっていたし、重い荷物から解放されて体も軽かった。早速スマホを片手に歩き出すが、これはいけなかった。
確かに外宮から内宮までは1時間で行けるが、途中にある倭姫宮や月読宮、猿田彦神社に参拝したたら2時間かかってしまった。参拝の順番も良くなかった。外宮から内宮へと正宮を参拝するのが古くからの習わしで、別社を回るのは正宮の参拝を終えてからなのだ。
そんなことがあって時間が押してきてしまい、速足で内宮に入ろうとすると、お土産が並ぶ通りに出た。おかげ横丁だ。何軒ものお土産屋や食事処が軒を連ね、有名な赤福や伊勢うどんの店がある。五十鈴川に沿って石畳の道が約800m続き、歴史を感じされる建物が沢山並んでいるのだが、この参道がこれまたいいのだ。何とも雰囲気のある、立ち寄りたくなる場所なのだ。
店の入口には暖簾が掛けられていたり、店の前に植木が置かれていたりする。お店で買ったものを座って食べられるように休憩所があるのだが、陽よけの簾が掛けられていて雰囲気がいい。腰掛もいい感じだし、ゴミ箱も景観を損なわないように配慮されている。見ていて何ともいい所だなと思ってしまう。
旅が終わってから知ったのだが、この通りはおはらい町という場所だった。おかげ横丁だと思っていたが、おかげ横丁はこのおはらい町の一部のことだった。戦後はこの場所に立ち寄る参拝者はそれほど多くはなく、次第に廃れていったらしい。かつては全国から数えきれないほどの参拝者が訪れた場所とは似ても似つかぬほどの衰退振りだったらしく、それを危惧した地元の人が建て直しを図ったのだ。電線を地中に埋め石畳の舗装をし、江戸から明治の伊勢路の建築物を移設したり再現したりした。その結果、今のような伊勢の伝統的な町並みが回復され、賑わいを取り戻した場所なのだ。
そんな、予想もしない素晴らしい場所に来たのだが、あいにく時間が無い。後ろ髪を引かれる思いで内宮に向かったが、とにかく残念で仕方なかった。こういう雰囲気のある場所だと知っていたら時間を割いていたのに。写真で見ると別に何とも思わなかったのに、実際自分の目で見ると何ていい通りなんだろうと思ってしまう。1日かけてゆっくりいろいろなお店に立ち寄って、じっくりと見たかった。それくらい面白い場所だった。
それが、この日のもう一つの旅の収穫だった。一つは、朝から素晴らしい場所ばかり参拝できたこと。もう一つは、観光地の良さを知れたことだ。二見浦の参道や伊勢神宮内宮の参道を歩いたことで、参道というものに興味を持つようになった。旅をする前は観光地にそれほど興味がなかった。何か美味しいものを食べて、旅の記念にお土産を買う娯楽に過ぎないと思っていた。買い物と同じような感覚だ。デートをするならいいが、一人でじっくりお店を見て回るものではないと思っていた。
しかし、お金と時間をかけて景観を保ったちゃんとした観光地からは学べることが沢山ある。建物の造りにはそれぞれ意味があるし、お土産にも歴史がある。建物はあくまで再現されたもので当時のものではないが、瓦や格子の色や形にはちゃんと意味がある。名物と言われるお菓子や工芸品にも有名になった理由が、きちんとある。調べてみるといろいろなことが分かるもので、その土地の文化や歴史を知ることができるのだ。
この日を境に、旅の道中で観光地に立ち寄るようになっていった。昔の町並みを楽しんだり、お土産を興味深く見たりするようになるきっかけとなったのが、旅の3日目の伊勢参りだった。朝から素晴らしい神社と素晴らしい自然に触れ、気持ちが明るくなっていたが、体のコンディションも最高だった。旅の3日目ということで体が慣れ、旅の勝手も何となく分かってきて頭もしっかり働いていた。そんないい状態で昔ながらの建物やお土産屋を見ることができたのが、良かった。この日の体験は大きなものだった。
コメント