明治の大事業 琵琶湖疏水を描いた一冊『京都インクライン物語』

京都府
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本の紹介

近代化を迎えた明治時代、日本では西洋の技術や機械を取り入れて江戸時代にはできなかった規模の土木工事が各地で行われた。そんな近代土木事業の中でも、知名度が高く、日本近代建築の金字塔といわれているのが琵琶湖疏水だ。

琵琶湖の水を現在の京都市に引き、水力発電で電灯を灯し電車を走らせ紡績や伸銅などの工業に使い、また灌漑・防火・生活用水に使った事業である。

当時日本最長となるトンネルを掘り、世界でも珍しかった水力発電を取り入れ、その工事には4年8ヶ月と400万人の工夫、京都府の年間予算の2倍の費用がかかった。

同時代の他の工事よりも規模が大きく難易度が高かっただけでなく、全ての工程を初めて日本人の手で成し遂げたことに、琵琶湖疏水事業の凄さがある

西洋化を推し進めた当時、大規模の土木工事はお雇いの外国人の設計・監督の下で行われていたが、琵琶湖疏水事業は計画から設計、測量、工事に至るまでの全ての工程が日本人の手によって行われたのだ。

そして難工事を完成させただけでなく、衰退していた京都に産業を興し復興させ、今もなお京都の町の重要なインフラとして市民に恩恵を与えている。

そんな世界に誇る明治期の大事業を、ノンフィクション風に描いた本が『京都インクライン物語』だ。

読んでよかった点

この本を読もうと思ったきっかけは、今谷明氏が『近江から日本史を読み直す』で参考文献に挙げていたからだった。歴史家が参考にした本なら、それなりの信頼性があるだろうと思い読んでみた。

著者は亡くなられており絶版で図書館になく、ネットで中古を買ったら本がやけていて残念だったが、それでも買ってよかったと思える本だった。

参考文献に目を通すと、『京都都市計画第一編 琵琶湖疏水誌(田辺朔郎)』『琵琶湖疏水要誌』『田辺朔郎自伝』『日出新聞(明治18年~23年)』『お雇い外国人』『渡米日誌』などがあり、著者が琵琶湖疏水をしっかりと調べていることが分かり、安心して読めた。しかも分かりやすい文書と読みやすいストーリーのおかげで一気に読みた。

琵琶湖疏水の分かりやすい解説はネットで読めるが(注)、個人的に気になることが多々あった。京都の蹴上インクラインや南禅寺水路閣に行く前に図書館でそれなりに本を読み、琵琶湖疏水記念館の展示をそれなりに観たが、知れば知るほどいろいろな疑問が湧いてきた。

そんな疑問の大半をこの本は解決してくれた。滋賀県と大阪府が反対し工事に着手できなかったのをどのように解決したのか、明治時代にトンネルを掘るのがどれほど大変だったのか、日本初となる立坑や水力発電とはどのようなものだったのか、お雇い外国に頼らず日本人のみでやり遂げようとした理由は何だったのか、疏水事業の重税をかけた住民の反発をどのように抑えたのか、などいろいろなことを知ることができた。

(注)京都上下水道局のHPと日本遺産のHPの琵琶湖疏水の解説が分かりやすい

今ひとつだった点

ほとんどの疑問は本を読んで解決したが、一つだけ、工事を遅らせた外部要因が知れずじまいだった。工事が行われた明治18年(1985年)〜23年までの期間は、知る限りでは大変な時代だった。

明治時代はただでさえ税金が重かったのに、明治15年から松方デフレで税金の負担が重くなり、19年にはコレラ・天然痘・チフス・赤痢で大勢の人が亡くなくなった。自殺者の数は18年・19年がピークで、明治時代で一番暗い時代だったと記憶している。

そんな時期に大工事をするとなると、工夫が集らない、逃げる、ストをする、サボタージュをする、暴れる、などの事態がなかったのだろうかと疑問に思う。

それがなかったということは琵琶湖疏水事業は公共事業の側面が大きく、不景気だったからこそ工夫の生活を助け、近隣住民の経済活動を支えるものだったのではないかと考えられる。だとしたら、もっと評価されるべきだろう。

そのあたりのことを知りたかった。

おすすめする点

物語だけに主要な登場人物を知れるのがいい。事業や工事の内容はネットで知れるが、サイトではそれをやり遂げた人物についての描写が乏しい。その反面、この本では主任技師として奮闘した若き田辺朔郎、確固たる信念で大事業を断行した京都府知事の北垣国通、精密な測量で大工事に貢献した島田道生の活躍と人となりを知ることができる。

会話から名もなき市民、工夫、政治家の思惑や感情が分かり、当時の政治事情や時代背景が汲み取れるのも、小説ならではの良さが存分に発揮されている。

また工事に関することもネットのサイトよりも詳しい記述が多い。当時は建築技術に関する事典がなく海外の事例から技術を取り入れ、正確な地図がない中で初めて精密な測量をし、外国製の最新鋭の機械を導入するも故障が多く、人力に頼る作業が多く、落盤事故が起こると言いようのない恐怖に襲われる、といった土木工事の大変さを知ることができた。

工事自体の記述は全体の3分の1だが、工事に着手するまでの過程や当時の政治状況、京都が衰退した理由、江戸時代から明治時代への時代の流れ、近代化などを知れる。

そして、幕臣の子であった田辺朔郎の幼少期の体験も一読の価値がある。明治時代の近代化は江戸時代の蓄積による、とよく言われるが、死を覚悟する体験をし、朝敵となり生活が一転し辛酸を舐めた多くの旧幕臣の活躍があったから、近代化ができたのではないだろうかと思う。そんなエピソードも読むことができる。

歴史の好きな人にも、近代建築や土木事業が好きな人にも、旅が好きな人にも一度は読んで欲しい本である。

絶版なので中古しか手に入りませんが、機会があれば是非読んでみてください。


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