中公文庫の日本の歴史第一巻の中で、戦後の古墳の破壊について少し触れられてる。終戦後は調査らしい調査も行われないまま、次々に古墳が急速度で壊されていったらしく、それにに対して著者は次のように述べている。
しかし、かれらの墓泥棒たちを心なき者として憎む資格が現代人にあるのだろうか。なぜなら、現代の日本では古墳の破壊が容赦なくおこなわれているからである。しかも、過去の発掘は、古墳の埋葬施設を掘り荒らしただけだったが、今日のそれはもっとひどい。終戦直後からの農地開発、工場用地埋立用の土取りその他の理由で、古墳のそのものも、すべて開発の一語でどしどし壊されてきた。最近ではまた、大資本が地価の安い古墳群の所在する丘陵をつぎつぎに買収し、丘陵を崩して宅地造成をおこない、これに便乗して一部の者たちが業者の依頼をうけて形だけの発掘調査をするという憂うべき現象も起こってきた。
井上光貞『日本の歴史1 神話から歴史へ』中公文庫(2020)p421より
調査らしい調査が行われなかったこと、住宅の公園として古墳を残すという手段もあるのにそうした対応が採られないことに、著者は腹を立てている。「墳丘の土が高く売れるというのであるから、まったく困ったことである」とも書かれている。
古墳が造られたのは3世紀から7世紀。その中でも、3世紀末から4世紀末までの1世紀は謎の世紀と呼ばれている。大和政権の国土統一や朝鮮への進出をはじめとした大きな歴史的事項があるにもかかわらず、その詳しい中身は解明されていない。
当時の記録として残されている史料は、百済の記録や金門石、碑文といった朝鮮側のものだけで、国内の記録がない。そのため、古墳を調査してその全容を解明するしかないのだが、その古墳が戦後にことごとく破壊されてしまった。しかも、現在残されている百舌鳥古墳をはじめとしたいくつかの古墳は、宮内庁の管轄となり発掘許可が下りず調査することができない。
こうした事情を知ると、戦後の古墳群の破壊は歴史を解明する立場からしてみれば、大きな問題だったことが理解できる。同時に、疑問も出てくる。現在のような遺跡を保護する考えが当時はなかったのか、それとも、戦後のどさくさに紛れて有耶無耶にされてしまったのか。
この辺のことをもう少し知りたいと思いネットで調べてみたが、詳しいことは分からない。代わりに『よみがえる百舌鳥古墳群』という本とその著者である宮川徏氏が検索でヒットする。
宮川氏は、昭和30年(1955年)頃にいたすけ古墳という、百舌鳥古墳の隣にある直径146mの前方後円墳が住宅造成のため取り壊されようとしたときに、反対運動に参加している。
幼少の頃から古墳に興味を持ち、歯科医を開業するかたわら、古墳の調査にも参加し今では古墳の保存運動にも力を入れている方らしく、戦前から戦後の百舌鳥古墳群の様子を自身の体験から綴っている。
戦後の古墳の破壊について少なからず書かれているようなので、機会を見つけて読んでみたいと思う。
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