【小話】古代から戦後まで各地で多くの命を奪った病気 マラリア

歴史小話

マラリアと聞くと、近現代の病気というイメージがある。自分が知っているのは、戦時中に多くの日本軍が海外でマラリアに苦しめられたことと、世界では現在でもマラリアは怖い病気であり、海外に渡航する際には予防接種を受けた方がいいということだ。10年くらい前に世界一周旅行をしていた夫婦がマラリアに罹って亡くなったニュースがあり、衝撃的だったが、マラリアは結核・エイズと並ぶ世界の3大感染症の一つで、現在の病気というイメージがある。

だからマラリアが古代から日本にあった病気だと知った時は意外だった。古代から「瘧(ぎゃく)病」、「わらわやみ」、「えやみ」といわれ、平安時代では天皇以下、多数の貴族が罹っては、時々高熱を出したり発作を起こしたりしている。当時からありふれた病気で、『源氏物語』や『御堂関白記』をはじめとした王朝文学や日記に記されており、『玉葉』や『明月記』の作者である九条兼実や藤原定家も罹っている。平清盛の死因はマラリアといわれ、夢窓疎石もマラリアの再発を繰り返して死んでいる。

マラリア原虫を持った蚊に刺されることによって発病するこの感染症について調べてみると、国内で知らないことがいろいろと起きていて、昔から多くの人たちが苦しめられてきたことが分かる。明治期の北海道ではほぼ全域でマラリアが流行しており、開拓事業に携わった多くの人が命を落としている。Wikipediaによると、1903年の国内マラリア感染者は20万人いたとある。本州では福井、石川、愛知、富山で患者が多かったらしい。

また、小林照幸氏の『フィラリア』を読んでいると、奄美や沖縄のある西南諸島でも古くからマラリアが流行していたことが知れる。特に沖縄諸島の八重山は大きな流行地であり、戦後アメリカが八重山で行ったマラリアの駆除は世界の医学史に残る規模だったとある。

八重山のマラリアは、先史時代に南方から島伝いに台湾を経由して北進してきた民族集団によってもたらされたものらしい。1732年(享保17年)、琉球王国の歴代宰相の中でもトップといっていいほど評価の高い蔡温(さいおん)は、財政立て直しのために八重山に島民を移住させて未開拓の地を開墾させた際に、移住者の多くがマラリアに罹り死亡し、多くの村が廃村となり、その名声を傷つけた。

近代以降では、廃藩置県にともない職を失った一部の人による開墾や製糖事業、西表島の炭鉱事業がマラリアにため事業の中止を余儀なくされている。そして、戦時中の沖縄戦では八重山への強制避難が行われ、本島から兵馬の大量移流が行われ、かつての蔡温の政策と同じ轍を踏む悲劇が起きている。沖縄戦では八重山は空襲や艦砲射撃による戦死者は少なかったが、マラリアを媒介する蚊が駆除されぬまま大勢の移住者が島に入ったため、大規模な戦争マラリアを引き起こした。

1922年(大正11年)に4.79%だった群島の感染率は1945年(昭和20年)には51%となり、3674人が死亡し、波照間島では住民の99.7%が感染し、30%が死亡した(戦争マラリアについては『沖縄・戦争マラリア事件-南の島の強制疎開』に書かれている)。栄養不良の上に医薬品もなく唯一の治療とされたのは、ヨモギの葉を煎じて黒砂糖と混ぜて飲むという、効果のない民間療法だった。高熱が出ると川から水を汲んできて水枕にいれるがそれでは冷やしたことにならず、柄杓で頭に水をかけたという。3、4時間ほどで高熱は収まるが、高熱の後は体力がなくなり、子供や老人などは立つことができない状態になったらしい。

近代的な治療が行われたのは戦後に米軍が進駐してからである。八重山群島政府は米軍から治療薬(アテブリン)をもらい、1947年(昭和22年)にはDDTが使用され、蚊の発生しやすい小川、水田、沼、水たまりなどに散布し、1947年以降患者数、死亡者数は下がり1950には死亡者数が0となり対策が成功したと思われた。

しかしマラリアの流行地といわれた八重山では、51年から55、56年あたりまでまた増加し、根絶には困難を伴った。戦後、本土や外国から引き揚げてきた人の流入によって沖縄本島の人口は増大し、また50年に朝鮮戦争が勃発すると、米軍が本島の農耕地や集落を軍事基地に変え、本島の住民が八重山群島へ移住したのだ。嘉手納、読谷、大宜見などからの移住者がマラリア大流行地だった石垣島、西表島に続々と送り込まれ、5年間に22の新たな集落がつくられ、805家族、3385人がかつてに廃村跡に入り生活を始めたため、根絶間近だったマラリアの被害が再流行してしまい、せっかくの対策が元の木阿弥となる。

根絶に向けて再度対策が講じられ、1959年から1962年の4年間に死亡者が出ない年が続き、ようやく撲滅成功となる。ついでに、このマラリア撲滅に乗じてアメリカの医療関係者USCARは、DDTの散布等によりフィラリアも同時に消滅したと事実を捏造し、フィラリア症の対策が中断する危機に陥っている。

参考文献
土田直鎮『日本の歴史5 王朝の貴族』中公文庫
酒井シヅ『病が語る日本史』講談社学術文庫(2008)
小林照幸『フィラリア』TBSブリタニカ(1994)

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