【小話】日本史の本に出てくる「マルクス主義」って何?

旅や散策を通じて日本の文化や歴史に興味をもつようになってから、もういちど歴史を学び直そうと思うようになった。中公文庫の日本の歴史やそれぞれの時代を取り扱った本を読むようになったが、正直よく分からないことが多い。為政者主体の歴史の本は面白いものではないし、読んでいて眠くなることも多々あるが、日本の文化や伝統を知るには学校で教わるような為政者の歴史をある程度知っておく必要がある。そんな訳で最近では日本史の本を読むようになった。

そんな中で、割と本に出てくるがいまいちよく分からない言葉に、「マルクス主義」というものがある。

「戦後のマルクス主義ではどうのこうの…」「マルクス史観では…」「唯物史観では…」とさらりと文章に入り込んでくるが、その度によく分からずもやもやする。

調べてもマルクス的な歴史観、つまり共産体制がいいという考え方による歴史の捉え方、といったことくらいしか分からない。ネットで調べると、長々と説明されているサイトが多いが、自分の頭ではいまいち理解できないし、唯物史観という言葉が出てきてその説明になると、ますます分からなくなってくる。

なぜ共産主義を歴史に当てはめるのかよく分からないし、その考え方が現在でも歴史の捉え方としてスタンダードなものになっているとも思えない。日本の歴史は共産主義だった訳ではないし、「共産主義的な」といわれても困惑してしまう。

「マルクス主義」という言葉が本に出てくる度に、そんなしっくりこないもやもやとした状態であったが、YouTubeで日本史に関する動画を観ていると、何となく分かるようになってきた。

現時点ではこれが正しいのかは分からないが、大体こんな感じのものになるのかと思う。

マルクス主義という言葉が出てきたら、発展段階説と階級闘争史観というものを思い浮かべればいい。この二つを押さえていればよい。

発展段階説とは、資本主義社会の次は共産主義社会になるという前提で話がなされることだ。原始共産制→古代奴隷制→封建社会→資本主義社会→共産主義社会へと体制は移り変わるという考えだ。それ以外の移行はありえない。

資本主義の後は共産主義社会に移行するとは限らない訳で、その前提で話を進めるのは違うんじゃないかとまともなことをいうと、学界から排除された歴史があったらしい。

もう一つの階級闘争史観とは、歴史というのは資本家階級とプロレタリア階級の対立によって起こるという考え方だ。金持ちと労働者の対立「のみ」で歴史は成り立っているという考えだ。

だから歴史を研究したり語るなら、資本家と労働者、生産手段を持っている金持ちと生産手段のない労働者の対立を明らかにすればそれでいいということになる。

金持ちと労働者が対立しない構図は歴史では「ない」こととされ、例えば、仁徳天皇が国民が困っているから税金を取るのを止めるといったことは、無かったことにされるというものだ。

金持ちで貧しい農民に尽くした者は間違っているから取り扱わない、書かない、と抹殺してしまう考え方である。

個人的にはこの2つの事柄は分かりやすかった。マルクス主義やらマルクス史観やら、唯物史観といったそんな言葉が本を読んでいる時に出てきたら、当面はこれで何とか読み進められそうだ。

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