【小話】奈良時代 日本に薬草の知識をもたらした鑑真

奈良時代の名僧と知られる鑑真は、日本に戒律をもたらした。鑑真によって日本の戒律制度は急速に整備されていった。律宗と天台宗を兼学していた鑑真は、天台宗の経典も日本にもたらした。鑑真によって天台宗の教義が広まり、後に最澄が活躍する土壌がつくられた。そして鑑真といえば、5回の航海に失敗し途中で失明しながらも、6回目に来日した不屈の精神の持ち主としても知られている。

これらのことから鑑真が当時の仏教界に与えた影響の大きさが分かるが、実は鑑真は医学の知識を広めた人物でもあった。豊富な知識を持ち合わせ多くの薬を運び、中には唐よりもさらに西域の薬までも日本にもたらし、大陸の医学を日本に普及させることにも力を入れている。目が見えずとも匂いだけで薬を鑑定することができ、聖武天皇の母太皇后の病が悪化したときには、鑑真が差し上げた医薬が大いに効果をあげ、大僧正の位が授けられたことは知られている。

鑑真が来日した際に持ってきた薬は正倉院に現在も残されており、目録に阿伽陀薬(あかだやく)という薬が載っているらしい。阿伽陀薬とは、あらゆる病気を治す霊薬という意味で、インド産のものらしいのだが、その名前から効能の高さがうかがえる。薬師如来が左手に持つ薬壷の中に入っているのがこの阿伽陀薬で、「アッキャダ」ともいうらしい(弘法大師が悪疫退散を祈願した際に作ったお米だという説もあるが)。

当時の薬は薬草がメインだったが、動物や鉱石を使ったものもある。動物は薬用動物とされる鹿やサイ、熊や虎、亀やトカゲや蛇や虫などの骨や角、日干しにした肉や皮を用いたものである。鉱石は、道教から起こった不老不死の霊薬を作る煉丹術から発生した技術を用いた薬らしく、黒石英や石硫黄(いわいおう)といった鉱石が使われた。当然、量が多かったり配合を間違えると体を悪化させることは容易に想像できるものであり、服用の際には高度な知識が必要となる。定かではないが、この鉱石の薬(玉石類というらしい)や薬用として用いられた砂糖は鑑真のおかげで日本に広まった可能性があるともいわれている。

鑑真が5回目の渡海を失敗した時、現在のベトナムとの国境当たりにある海南島まで船が流された。そこから揚州に戻るまで、他宗派や他宗教から弾圧されずに無事に移動できたのは、こうした医学の知識を持ち合わせていたからだろう。鑑真の来日を扱った小説『天平の甍』には、各地で寺を建てながら移動したことがに書かれているが、それだけで無事に長旅ができたのだろうかと疑問だった。どのようにして身の安全を確保したのか興味があったが、現地の住民に薬草をはじめとした知識や技術を教えて旅をしのだと、疑問が解けた。

鑑真が日本にもたらしたものは芸術面でも見られ、鑑真に伴って来日した彫刻家や刺繍工などの工人により唐の彫刻技術や綿や綾の織物の文様なども広まったとされている。それまで日本になかった技術が広まり、以後美術・芸術が発展していくのにも大きな影響を与えている。

参考文献
酒井シヅ『病が語る日本史』講談社学術文庫(2008)
新川登亀夫『日本古代史を生きた人々』大修館書店(2007年)
井上靖『天平の甍』新潮文庫

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