【小話】平安時代 薬として食された牛乳

歴史小話

画像は国牛十図 (出典:国立国会図書館デジタルコレクション)

平安時代の食事は今日のそれと比べると貧相なものに思われてしまう。贅沢を尽くした貴族といえども、美味しい物をたらふく食べたとは思えないし、食事に関しては現代生きていてよかったと思ってしまう。味の悪さと種類の少なさはまだしも、栄養の面では決していい物を食べていた訳ではない。特に貴族の間では熱心に仏教を信じる者が多く、獣肉だけでなく魚や鳥も避けたために十分な栄養が得られなかったのではないだろうか。

それだけ病気にかかりやすかった訳だが、平安時代は病気にかかると栄養価の高いものとして牛乳を飲んでいた。牛乳というと仏教で禁じられていたイメージがあるが、牛乳は釈迦も悟りを開く前の山林で厳しい修行をした後、山から降りてきた時に衰弱した体を見た村の娘が牛乳(発酵乳らしい)を献じてそれを口にするとたちまち元気を取り戻したと経典に書かれているから、僧が飲用してもかまわないとされていた。嗜好品や日用のものではなく、薬用として僧だけでなく貴族の間でも飲まれていた。乳牛院があり乳牛を飼い、乳師というのが牛乳を搾り、絡とか蘇とかいう乳製品を作っていたらしいことも、木簡をはじめとした史料から分かっている。

ただ、酪や蘇というものはどのようなものなのかははっきりとは分かっていない。おそらく蘇はチーズ、絡はヨーグルトのようなものだったのではないかとされている。牛乳は煎じて(消毒してから)飲んでいた。

しかし平安時代以降、江戸時代になるまで牛乳に関する文献は見られなくなり、史料からは消える。17世紀になると、フランスイエズス会宣教師のジャン・クラッセが『日本西教史』で「日本人は牛肉・豚肉・羊を嫌うこと、わが国人の馬肉と同じである。また牛乳を飲むことは生血を吸うようだといって用いない。……また乳酪(バターのこと)をつくる術を知らないのか、作ろうとしないのか、乳酪もない」と書いていて、文献で見ることができるが、その間は空白となっている。

神仏習合が強まると穢れの思想が広まり、牛乳は飲まれなくなっていったと一般的にはいわれている。神道では不浄を忌み嫌い動物の排泄物(血も)を死とともに穢れとして忌避していたから、牛乳は飲まれなくなったのだと。しかし個人的には栄養食として飲まれていたのではないかと思う。牛乳の存在は地方で牛を飼っている時点で知られていたはずであるし、病気や飢饉に度々苦しめられていた時代であるから食していたのではないかと思う。宣教師が伝えたようにバターの加工には至らなかったとしても、チーズやヨーグルトも各地で食されていたのではないだろうか。

もちろん文献に無い以上、確かめる術はない。鎌倉時代末期に牛の産地を示した『国牛十図』というものがあり、少なくとも鎌倉期には日本に10の産地があったことが分かっている。筑紫牛、御厨牛(肥前国)、淡路牛、但馬牛、丹波牛、大和牛、河内牛、遠江牛、越前牛、越後牛である。ちなみに「このほか出雲、石見、伊賀、伊勢などにもよい牛がいることを伝え聞いてはいるが、その姿形を見定めるまでには至っていない」と書かれている。これらの産地では牛乳やチーズ、ヨーグルトなどの乳製品が食されていた可能性がある。

参考文献
土田直鎮『日本の歴史5 王朝の貴族』中公文庫
吉田豊『牛乳と日本人』新宿書房(2000年)

コメント

タイトルとURLをコピーしました