【小話】毎年夏になると米どころ新潟・秋田・山形で発症し村人の命を奪った病気 ツツガムシ病

歴史小話

かつて日本の米どころである新潟・秋田・山形では、毎年夏になると原因不明の高熱が出て相次いで死者が出た。村の人々は長年の経験から、河原や中洲の草むらに入ると虫に刺され発症することを知っており、その土地に安易に近寄ることを禁止していた。しかし、畑に水を引いたり牛馬の飼料を採るためには危険を覚悟で分け入らねばならないことがあり、毎年発症し死ぬ者が出た。また、ある者は人の少ない中洲を逢瀬の場とし、またある者はどぶろくを密造する場として有害地に立ち入り、命を落とすこともあった。

この病気はダニの一種のツツガムシに刺されると発症するもので、ツツガムシ病といわれている。ツツガムシの中でも成虫ではなく、幼虫に刺されると発病するもので、病原体のリケッチアが人間に感染する病気である。幼虫の大きさは0.1mmに過ぎない。刺されると、全身の倦怠感、食欲不振、頭痛が起こり、全身の関節や筋肉が猛烈に痛み、下痢、発熱が起こり、全身のリンパ節が腫れて痛む。発熱は段階的に上昇し、全身に赤い発疹が見られるようになり、最悪3日ないしは4日ほどで高熱が続き意識が朦朧として死ぬ。4、5日過ぎ1週間が経過して熱が徐々に治まり運よく死を免れる者もいたが、明治期の新潟のある村ではひと夏で棺桶が30並んだこともある。

ツツガムシ病は昔から新潟・秋田・山形の日本海に注ぐ信濃川・雄物川・最上川をはじめとした川の中・下流地帯で発生したが、この地には病気を恐れて神社や祠、石碑が建てられた。江戸時代も明治時代も土地を離れて商売を替えることができなかった時代である。毎年誰かしら死ぬことが分かっていても、自分の生まれた場所で生きていかねばならなかった。そんな想いから「これ以上家族が死にませんように」「今年は誰一人減ることもなく秋の収穫を迎えられますように」と村人たちは神に祈りを捧げた。

ツツガムシは新潟では赤虫、島虫、秋田では毛蝨(けだに)、蝨虱(しらみだに)、砂蝨、砂虱、鬼棘、山形では毛谷と呼ばれ、その名前は赤虫大明神、島虫神社、虫除不動尊、毛谷明神などにみることができる。石碑や祠、地蔵は地元の村人だけでなく、河原で野宿をしたり涼を取った旅人を供養しているものもある。旅人といっても、当時のそれは物を売る者であり荷物を運ぶ者であり、商人だったと考えられる。

地域によって呼び方の違うこれらのものがツツガムシ病と呼ばれるようになったのは明治になってからである。「恙ない(つつがない)」という言葉があるように、「恙」という語には病気の意味があり「恙虫病」と名付けられるようになった。この「恙ない」という言葉は聖徳太子の遣隋使で「日出ずる処の天子、書を日没する処の天子に致す。恙なきや…」とあるように、古来より使われていた。『病が語る日本史』には稲作の普及によって広まった病気とされており、長い間人間を苦しめてきた病気である。

近代医学の輸入が始まる明治時代に新潟では県をあげてツツガムシ病の解明に当たったが、抗生物質による治療が確立されるのは戦後になってからである。その間、命を懸けて新潟や山形の有害地で現地調査を行った研究者や、研究室で感染して殉職した研究者がいる。この辺りのことは『死の虫』に詳しく書かれている。村人たちが恐怖に怯え命懸けで農作業に従事し、研究者がその解明に多大な努力を割いたことは今では風化しているが、この病気は根絶された訳ではなく現在でも発病している。

戦後、新型ツツガムシ病の出現により北海道、沖縄など一部の地域を除いて全国で発生がみられるようになり、東京だけでも2012年以降2020年まで、毎年10名前後の感染者がいる(東京都感染症情報センターのホームページを参照)。

参考文献
酒井シヅ『病が語る日本史』講談社学術文庫(2008)
小林照幸『死の虫-ツツガムシ病との闘い-』中央公論新社(2016)

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