【小話】絵馬

歴史小話

神社でよく目にする絵馬。その起源は古来より生きた馬が神社に奉納されてきたことにある。馬は貴重で大切に扱われたが、それは移動手段として便利だったからだけではない。馬は古来より神が乗るものとして神聖視されてきたから、大事に扱われ、また神社に奉納された。

古代の日本では神霊は乗馬姿で人界に降臨するものと考えられていたようだ。今でも各地の祭りで神輿が担がれることがあるが、神輿が用いられる以前は鏡を取り付けた榊を神霊の依代として、馬の背に立て神霊の御幸(神幸)が行われていたらしい。その後、神輿が神幸の中心になったり、輿自体がなくなったりしたが、当時の名残として馬が神幸に加わる例は今でも各地の祭りで見られる。

祭りや勧請の際に馬が使われるのとは別の例として、東北地方の村では昭和まで安産祈願のために山に神様を迎えに行く習慣があった。馬を牽いて半日あるいは一日、山深く分け入り、またある時は里外れの林に分け入り、馬が立ち止まり耳を動かし尾を振ると神様が馬に乗ったとし、直ぐに家に戻ると、その保護の下で無事安産すると信じられていたようだ。

神様の乗りものという信仰から、祭りや七夕の時に藁で作られた馬が供えられる地域もあった。お盆でご先祖様を迎える際のきゅうりの馬も、そうした理由によるのだろう。また、競馬もそのはじめは神事といわれている。神霊が馬に乗り移り、勝った方には神意が作用して吉兆をもたらすという占いが起源だとされている。

神事と言えば雨乞いや日乞いの儀礼にも馬が献じられた。日蝕の時にも赤毛の馬が献じられたようだ。馬の毛並みも関係あるようで、雨乞いの時は黒い毛並みの馬が、止雨(日乞い)の時は白馬が献上されたが、黒色は雨を降らす黒雲の象徴として、白色は太陽の光の象徴とされたようだ(日乞いでは赤毛の馬が献上される例もある)。

こうした事例から分かるように、馬は神様が乗るものとして大切にされ、神社では祭りや儀礼の時にしばしば献上されてきた。大抵は大社らしいが、今でも神社に神馬舎があるのは神馬が飼われていた名残らしい。

一方で、生きた馬の代わりに馬形を献上することも各地で行われた。いつの時代においても馬は極めて貴重な動物であり、献上することは経済的に容易なことではない。生馬を献上する際には飼馬料も添えねばならないため、そう簡単に奉納できるものではなかった。

古くは土器に始まり、平安時代になると木製の馬形が献じられるのが一般的になるが、中央よりも地方で多く見られたようだ。鎌倉時代以降になると木製の馬形が各地で残されているらしいが、中でも厳島神社にある木彫馬形は有名らしい。

そして、板立馬というものが木製馬形の代わりに献上されるようになる。これは立体的に彫った木製馬形を更に簡略化したもので、平安末期には既に献じられた記録がある。経済的な理由だけでなく、献上する予定だった馬の腰骨が折れたから代わりに納めたという事例もあり、急遽代替えを用意したのが始まりだと考えられる。

そして更に馬形・板立馬が簡略化されて、絵馬が献上されるようなる。絵馬も古くから献上された例があり、現存最古の絵馬は、1999年に大阪市の難波宮跡から出土した飛鳥時代(7世紀中頃)のものらしい。

それ以前に最古と言われていた絵馬は、戦後に静岡県浜松市の伊場遺跡で発見されたが、檜の板に馬が描かれ、上端中央には紐孔があり、はっきりと紐で吊るしたものであることが分かる。古い時代の木は水の中に埋められていたり炭化したものなら腐らず発掘されるが、この絵馬は池か沼に沈められたものと考えらえている。止雨(日乞い)のために水神に捧げたものとされているようだ。

神社でよく目にする絵馬にはそうした歴史があるが、一口に絵馬と言っても様々な絵馬があるらしい。馬以外の絵が描かれたものや小屋の形ではないものは馴染みがあるが、ちょっと変わったものが日本の各地にはあるらしい。

旅をした時や博物館に行った時に見る機会があれば、また紹介したいと思う。

参考文献
岩井宏実『絵馬(ものと人間の文化史)』法政大学出版局(1995年)

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