【小話】結縄と藁算

中公文庫『日本の歴史1 神話から歴史へ』には、漢字が輸入され使われるようになったのは応神王朝の頃だと書かれている。五世紀あたりの、西暦300年後半から400年前半頃となる。

漢字が使われる前は木に数を刻んだり、草や紐を結んで数を表していたらしい。七世紀の日本の様子を描いた『隋書』の「倭国伝」には、「文字無し、ただ木を刻み、縄を結ぶのみなり」と書かれている。

『日本の歴史1 神話から歴史へ』には「縄の本数や結び目の数によって、祈願の人数や年貢の量などを示す方法は、最近まで沖縄でおこなわれていた」と書かれていて、それを読んだ時には驚いた。

これは「結縄(けつじょう)」というもので、Wikipediaによると、「古来日本では草結びと言って、萱や菖蒲などの長い葉を取って2・3か所玉結びにして、その結び方や場所によって祝意や恋愛などの様々な意味を表したとされている」とある。

沖縄では結縄を計算に用いた歴史があり、藁算(結縄算)と呼ばれている。紙が高価なものだったからなのか、それとも階級制度によるものなのか、詳しいことは分からないのだが、昔の沖縄は庶民は文字を使うことが許されておらず、その名残りで昭和に入っても藁算を使う地域があったらしいのだ。

フリーの素材が見つからず貼れないのだが、「藁算(わらざん)」で検索すると画像が出てくる。沖縄の八重山地方の風習のようで「バラザン」ともいうらしい。大袈裟な言い方をすれば、藁を使った計算機とでも言えるのだろうか。

藁算の結び目は古代インカ帝国のキープと呼ばれる縄文字と似ていて、遥か昔に太平洋を東南アジアから中国、日本、そして南米へと移動した人達がいたことの証拠になり得るのではないか、なんてこともいわれている。

『日本の歴史1 神話から歴史へ』の本のレビューで書いたが、日本の神話や文化・風習は北方アジアの遊牧民的な要素だけでなく、東南アジア的な農耕文化からも影響を受けている。太平洋を渡って移動していた人がいたことを考えると、あながち嘘とはいえないのではないだろうか。

ちなみ、確かなことかは記憶が曖昧で分からないが、インカのキープはスペインの博物館だったか資料館に保管されているらしく、その解読も進められているらしい。ナショナルジオグラフィックの本だったか、サイトだったかで以前読んだことがある。それから何か新しいことが分かれば、日本の古代のことを紐解く新たなヒントになるのかもしれない。

Bitly

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