古代~近世『「馬」が動かした日本史』蓮池明弘

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本の紹介

馬の普及が日本の歴史にもたらした影響がいかに大きかったかを述べた本。馬の普及は水田稲作の普及に隠れてしまっているが、稲作に匹敵するほど日本の社会に大きな衝撃を与えた。

なぜ縄文文化は東日本で弥生文化は西日本なのか。
なぜ仁徳・応神陵古墳は奈良ではなく大阪にあるのか。
なぜ武士政権は東日本の鎌倉で誕生したのか。

それらの答えは馬に焦点を当てれば見えてくる。五世紀前後に日本列島に、馬が軍事利用のために持ち込まれてから、各地で馬が飼育されるよった。馬牧のある地域は経済的に豊かになり、馬術に長けた兵士が増え武士が台頭し、古代に成立した天皇を中心とする国家は武家社会に移っていく。

馬が日本の歴史に大きな影響を与えたことは明らかだが、馬産地に目を向けてみると、共通するものに火山がある。火山地帯には、黒ボク土という独特の土壌があり(黒ボク土については別の記事に書いている)、それが豊かな草原を作り上げ、馬の飼育に適した環境となった。日本には馬の繁殖に適した火山性草原があったことも見逃せない。

火山という地理的条件が馬の普及をもたらし、それが歴史に大きく影響したことを書いた本。

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読んだきっかけ

『日本の歴史1 神話から歴史へ』を読んでいると、4世紀末に朝鮮に進出した日本軍が高句麗の騎馬隊に散々の目に遭ったことや、多くの軍馬が船に乗って朝鮮に運ばれたことが書かれていた。高句麗の騎馬隊と当時の日本のそれとはどれくらい力の差があったのか気になり、ネットで調べてみると、4世紀の終わりになるまで日本には軍馬どころか馬という生き物がいなかったことを知った(氷河期を境にいなくなったらしい。いたとしても遺跡から骨が発掘されておらず、飼っていた形跡が今のところないらしい)。

4~5世紀に馬が朝鮮半島から日本にもたらされた訳だが、その辺りのことをもう少し知れないかと本を探したら、この本を見つけた。図書館に行って読んでみると、5世紀前後に朝鮮から軍事的理由で日本に馬がもたらされ、それが繁殖していき、やがて朝鮮に輸出されるようにまでなったことが書かれている。

また、日本には馬の飼育に適した草原があったこと、馬の繁殖地となった大阪の河内地方や薩摩、東北や千葉、群馬などでは有力豪族が馬の生産によって増長したことが書かれていた。日本の風土や武士についても書かれていたので、読んでみることにした。

読んでよかった点

日本人が馬を軍馬として用いてきた歴史が知れたのはのはもちろんのこと、馬の性質や軍事的メリット、黒ボク土や草原のことなど、歴史の通史ではなかなか知れないないであろうことも、この本を読んで知ることができた。

何気なく読んでみたものの、読んでいるうちに何度も読みたいと思い、結局kindle版を買った。正直初めのうちは、歴史家が書いたものと比べて、内容が物足りないように感じられた。しかし読み進めて行くうちに、いろいろと自分にとって有益な情報が詰まっていたので、結局買うことになった。

個人的に知って良かったを3つ書いておきたい。本のテーマは馬と火山性草原だが、それについては以前書いたので、それ以外のことを挙げてみたい。

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豊富な取材

この本の良さは何と言っても、著者自らがいろいろな場所に足を運んで取材している点だろう。馬の生態・馬産地・半野馬・黒ボク土・古墳時代以降の有力豪族についてと、各分野の専門家に話を聞いてそれをまとめている。自分の代わりに本を読み調べ更に専門家に話を聞いてくれるのだから、ありがたい。自分が同じようなことをしたら、どれだけ手間と時間がかかるのだろうか。そもそも専門家に相手にもされないだろう。取材の良さを改めて教えてくれる本だ。

散策好きの自分にとっては、博物館や美術館についても書かれているのが嬉しいところだった。本の中で、千葉の木更津市郷土博物館や東京世田谷の五島美術館が本で紹介されていたが、博物館や美術館でどんなものが見れるのか、それはどんな価値があるのか知れるのは嬉しいところである。機会があったら行ってみたいと思う。

騎馬隊

馬については、かねてから疑問だったことが二つある。一つは鎌倉時代・室町時代・戦国時代に騎馬隊(騎馬集団)がいたのか、馬による突撃があったのか。もう一つは、なぜ日本人は馬に去勢を施さなかったのかだ。

騎馬隊については存在しなかったのではないかと思っていた。武士の乗っていた馬は体高120cm程度のポニーで、とてもそんなものが人間を乗せて俊敏に動き回ったり、突撃して歩兵に打撃を与えたとは思えない。槍の強かった戦国武将が大柄だったように、例外的に大きな馬がいてそれが戦場で活躍したことが伝承として残っている程度だと思っていた。人を乗せて動き回り時には突撃したとしても、さほど大きくもない馬なら弓で射ったり槍で刺せば問題はないし、そんな危険を冒してまで大事な馬で突撃することなどなかっただろう。そう思っていた。

しかし本を読んでみると、考えが変わった。確かに、欧米では体高147cm以下の馬をポニーと呼んでいて、日本の武士はポニーサイズの馬に乗っていたことになるが、昔の馬はそれほど小さい馬でもない。江戸時代の平均的な馬の大きさは130cmくらい、南部馬は平均体高は140cmくらいだが、この体高は馬の頭の高さではなく背中の高さとなる。

YouTubeで見れるが、体高140cmの馬は十分大きいし人を乗せて早く走る。戦国時代までの純粋な日本馬は明治期の海外との混血で絶滅しているが、動画を見ると体高140cmでも十分に軍馬として利用できることが分かる。モンゴル人が乗っている馬は日本の馬と同じくらい体高140cmくらいだったらしく、騎馬戦士として有名なコサックの馬も150cmほどだったらしい。それくらいの大きさがあれば戦場で十分に活躍できたようだ。

それに、体の大きさだけが軍馬の能力とは言い切れない。体の大きさよりもむしろ重要なのは、病気や怪我に強く、粗食に耐え、長い遠征を戦うスタミナが備わっていることだ。そして戦の時には敵に嚙み付き、蹴散らし、踏みつける荒々しい馬だ(日本の馬術は古来そういうものだったらしい)。日本の馬の直接の先祖は正解最強の騎馬軍団をつくりあげたモンゴル人の馬と同じで、決して弱い馬ではなかったようだ。

戦国時代では長槍部隊が配置されたり馬を狙う戦法が採られていたから、やみくもに騎馬隊が突撃することはなく、どちらかと言えば馬から降りて槍で戦場を駆け抜けたり、馬の上から槍で歩兵を攻撃したりしたのだろうが、戦況によっては騎馬隊の突撃はあったと思われる。横から突いて戦況を変えたり、危機的状況を脱するために突っ込んでいったりと、場面によって突撃が用いられたのだろう。

馬の去勢

もう一つ、以前から気になっていたのが去勢だ。なぜ日本の馬は去勢されなかったのか。馬に限らず牛もそうだ。よく、日本では中国の宦官が広まらなかったように日本人は去勢を拒む人種だからだ、日本人は家畜を家族のように扱うからだ、と言われる。確かにそれもあるのだろうが、別の理由もあるのではないかと思っていた。

本の中でしっくりきたのが、馬は去勢した後でさえ荒々しさが抜けずに調教が難しいと書かれていたことだ。それならば何もわざわざ手間をかけて去勢する必要はない。元来馬という生き物は、神が乗る生き物として神聖視されていた。人が手を加えることに対する拒絶感や穢れの意識があっただろうし、また自らの力で荒々しい馬をコントロールすることが武士としての能力であり誇りだという考えが定着したのもあったのだろう。

馬よりもどちらかというと牛がなぜ去勢されなかったのか気になっているのだが、牛も去勢したところで荒々しさが無くならなかったのかもしれない。

そんな事を考えるきっかけが書かれていて面白かった。軍馬について書かれているので、武士や戦に興味のある人も楽しめると思う。東国の蝦夷がなぜ強かったのか、朝廷がなかなか制圧できなかったのはなぜか、そんな事も知る事ができる。書かれているのは軍馬としての馬についてだが、輸送、通信、農作業としての馬について考える際にも、ためになる本だと思う。

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