【本のレビュー】平安時代 『日本の歴史6 武士の登場』竹内理三

本のレビュー

画像は平治物語絵巻(出典:国立国会図書館デジタルコレクション)

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概略

日本の歴史 (6) 武士の登場 (中公文庫) | 竹内 理三 |本 | 通販 | Amazon
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平忠常の乱の鎮圧に始まる源氏の台頭と、それを危惧した院の対抗馬としての平氏起用を描いた巻。院の重用を利用した平清盛が平氏政権を樹立すると、行き過ぎた政策は貴族や寺社勢力、各地の豪族の反感を増やし、各地で平氏に対する反乱が起こり、遂には壇ノ浦で平氏が滅亡する。扱う時代は1028年(長元元年)の平忠常の乱から1184年(元暦2年)に壇ノ浦で平氏が滅亡するまでの約半世紀となる。清盛の死後の源平合戦の描写は概略であり、詳細は7巻に譲っている。

武士の支配は「古代世界の崩壊」から「中世的世界の形成」への変革を表すものであり、武士の支配する新たな国家体制が形成されたことは、明治維新にも匹敵する変革であった。武士による国家体制が完成するのは建武中興の失敗による室町幕府成立時だが、6巻で扱う平安時代末から鎌倉幕府の成立までの時期はその過程の一つのクライマックスである。武士がどのように歴史の表面に浮かび上がり、古い支配者を押しのけて古代的な秩序を打倒していったかを明らかにすることが、この巻の主題となっている。

古代から中世への変革が外部世界の影響なしに自生的に行われたということは、世界史でも類のない注目すべきことである。古代国家の成立も明治維新も外国の影響を強く受けている。外部からの刺激が加えられないと、社会の矛盾は蓄積し発展の糸口が見いだせず化石化するものであるが、日本は外部からの影響を受けずに古代国家を壊し、新たな国家体制を形成した。しかも古代国家の場合と違って、大陸その他の他国を手本とせず、独力で見出している。ここにこの時代の特徴がある。

東国で農民が生産力を上げ成長し、一方では古代国家の権力と結びついて荘園制を発達させ、一方では主従制・農奴制という中世的諸関係を伸展させた。古代国家の権力機構の中から発生した荘園制が発達し、中世的諸関係の成立と発展を促進するというこの動きが東国から起こり、それが中央に波及して中世への変革をもたらした。

読んでよかった点

5巻に続きこの巻も分かりやすい。人物や政策の説明が丁寧なので事件の相関関係が分かりやすいし、新しい政策を前の時代と比べて説明しているので流れを掴みやすい。例えば、検非違使や鎮守府将軍、健児という用語について、以前はどのようなものでありそれが当時どのように変わったのかと、分かりやすく説明している。また、外戚の摂関がいるのに白河上皇が院政を始められたのはなぜだろうかという問いに対し、当時の結婚の変化を述べて解説している。当時の通念や風習を基本的なことから解説し、政策が出された理由を述べているのでかなり理解しやすい。

人物に関しては、奥州藤原三代や保元の乱・平治の乱の当事者である藤原頼長、信西、平重盛のことが性格を含め描写されているし、荘園を寄進しようとした者が相次いで出てくるほど源頼家に人気があった話、家来の扱いが優れその性格ゆえに公卿になっても周りから反感がなかった平清盛の話など(天皇の落胤という説もあるが)を知ることができる。おかげで、登場人物の見分けがつかずよく分からなかった前九年・後三年の役も理解を深めることができた。

東北地方についての説明では、豪族の相関関係や事件が勃発した理由が分かったし、安倍氏の統治がよく現地で人気があったこと、奥州の生産力が畿内に匹敵するほど高く文化の水準も高かったこと、なども分かり興味を持てるものだった。源氏の出自、院政の弊害、平家政権の弱点も学校で習う内容よりもより深く知ることができるが、特に荘園についての記述は読み応えがあり、充実した内容になっている。

外部からの影響なしに平氏が政権を獲り、その後源氏が武家政権が始めていくことは、世界史でも類のない特異な古代から中世への変革だったという視点は新鮮なものがあり、さらに歴史に興味をもたせてくれる見方である。平氏と同じ轍を踏まないように頼朝政権はどのような政策を出したのか、そして鎌倉幕府・室町幕府が武家政権を維持するためにどのように政策を出したのかと、この巻を読むと後の時代のこともさらに興味が持てる。

後述するように武士の発生についての記述は現在は修正すべきものとされているが、それを抜きにしても十分読む価値があり、またさらに日本史に興味を持たせてくれる本である。

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今一つだった点

本の題名が「武士の登場」となっているが、武士が発生した理由については現在では疑問視されている説を取っているので、読む際には注意が必要となる。巻末の解説にあるが、武士の発生は私営田領主が成長する農民を押さえつけるために武装したことが始まりで、それに重層的な階級制、階層的な上下関係が構築されて武士団が形成されたと書かれているが、現在ではそれは修正を余儀なくされている。武士は農業経営者として作物を生産することが主な収入源だったのではなく、年貢の徴税をして分け前をもらうことを経済的基盤としていた。

また、私営田領主から発生するという説をとると源氏や平家の説明がつかない。京では私的な集団ではなく、公的な機能が求められ武士が採用された。一般的には「職能論」と呼ばれている、武士は高度な武力を用いた戦闘集団として中央で発生し、それが地方に行き農民集団に対する軍事的支配を行い所従関係を深めていったとされている。しかし、「職能論」では武士の収入源が明確にならず、これでもまだ説明は足りないらしく、現在では「国衙軍制論」が注目されていて、健児制に始まる武術に長けた有力農民を国司が国衙で編成したのが、地方の武士の起こりではないかとされているらしい。

読む際には以上のことに注意が必要だが、個人的には兵(つわもの)の性格と強訴の効果の2つに対して疑問を感じた。兵の性格を「兵の道をたてるためには、わが身はもちろん妻子のことも考えてはならぬ。まことにきびしい道であった」『都の貴族たちのあいだでは、光源氏のような女性遍歴者理想的人間像とされていた時代に、兵の世界では女性を保護することが「兵の道」とされていたのであった』としているが、少々武士を美化しているきらいがある。

また、院政時代に寺社の僧による強訴が絶大な威力を発揮した理由は、当時の天皇や貴族が神(慈悲深い仏とは違い怒り祟りをもたらす神)を恐れたからだとしているが、これにも違和感を感じる。延暦寺をはじめとした寺社勢力は当時の京都の経済を握っており、強訴には経済制裁的性格があったのではないかと思われる。他の時代、例えば室町時代は五山が室町幕府の重要な財政源となったことを考えると、なにかしらの寺社と朝廷の関係があったことが考えられる。

寺社には政治や経済を混乱させる力があり、それゆえに政治に介入し自らの利益拡大に努めたと思うのだが、「院政時代は法理にかかわらない力、つまり政治的な力、宗教的な威力、経済的な力、あらゆる力だけが行動を正当化する時代になりつつあった」とし、強訴を「宗教的な威力」と片づけている点は意外であり、違和感を感じざるを得なかった。

気になったことのメモ

とはいえ、そんなことは本の内容からすれば些細なものであり、いまいちだと思うからといって読む価値がないとは決して言えないくらい内容が充実している。いつものように個人的に興味を持ったことを少し書いておきたいと思う。

平忠常の乱からみえる貴族の武士軽視

京都の貴族の生活が受領や地方豪族から送られてくる金品に頼るようになってから、朝廷ではまともな政治が行われず、金品さえ積めば要職に就ける慣習がまかり通るようになり、地方では実力のみが通用する世界となる。受領はさらに任地から税を集めようとし、地方の有力農民は武力で抵抗をするようになる。そうした背景で起こったのが平将門の乱であり、平忠常の乱である。

どちらも受領の実力行使に対して地方豪族が反撃し受領が負けたケースだが、こういう場合はその犯行が反乱までに拡大する。平忠常の乱はその範囲は下総・上総・安房の三ヵ国、これは現在の千葉県のほぼ全土にあたるのだが、歳月は3ヵ年に及んだ。安房国では国司が命令を出す際に使う国の印と官物を収める国倉の鍵を奪い、これにより忠常は公然と農民の徴発や物資の調達を行い、上総国では2万町あった作田は僅か18町になったといわれている。

朝廷は一刻も早く後任の国司を任命、または追討使を派遣し反乱を収める必要があったが、源頼信をその任にしたのは反乱の第一報が京に来てから3年を経過していた時であり、しかも鎮圧軍の派遣に吉日を選んでいるうちに40日も出発を遅らせた。奈良時代の藤原広嗣の乱や橘奈良麻呂の変にすぐさま対応した、かつての貴族たちの姿は平安貴族にはもはやなく、地方に無関心な有様が見てとれる。

反乱は忠常がいとも簡単に降伏しあっけなく終わるが、討伐に向かった源頼信への貴族の対応は頼信を軽視したものであった。恩賞を与えようという綸言(天皇の発言)があったが、頼信が丹波守を希望するも叶わず、翌年にようやく美濃守に任ぜられるが、これは忠常が降伏してからほぼ1年を経過している。平忠常の乱の一連の貴族の対応から、中央貴族がいかに地方を軽視し、地方武人を露骨に見下していたのかが分かる。

前九年の役にみる源頼義の思惑と清原武則の台頭

平忠常の乱の20年後、陸奥で安倍氏の反乱が起きる(前九年の役)。安倍頼良が国府に貢物を収めず徭役を勤めなくなり、派遣された討伐軍を迎えうち破った。安倍氏は出羽で蝦夷が反乱している間に陸奥で静かに着々と力を蓄え、単なる俘囚の長から俘囚を束ねる俘囚の主と成長した。東北の地では依然首長の強さが根強く、朝廷は蝦夷の首長にある程度の自治を認めて懐柔していた。そうした中で安倍氏は三代の間に首長の統制力を強化し、半ば独立国となり強力な軍事力を持つように成長する。

この乱を受けて朝廷は、源頼信の子の頼義(頼信は病没している)を陸奥守に任命して事態の収拾に当たらせるが、頼義が着任すると中央では藤原彰子の病気平癒のための大赦が行われ、安倍頼良の罪が免じられてしまう。安倍頼良は喜んで源頼義に帰服し、頼義を同じ名前だからということで頼時と改名するが、源頼義としては奥州で手柄を立てる絶好の機会を無くすことになる。頼義は任期中に安倍氏を挑発するも何度もかわされ、不本意なままに任期が終わりそうになり、とうとう夜襲をけしかけられたと称して頼時を挑発し、頼時もそれを受けざるを得なくなり、7年に及ぶ戦いが始まる。

頼義は安倍氏を攻めあぐねて、結局は俘囚の長である清原氏の援軍を得て安倍氏を滅ぼすに至った。頼義ですら動員できなかった1万もの軍隊を率いた清原武則は(頼義軍は3千)、従五位に叙せられて鎮守府将軍(武士の最高の地位)に任ぜられた。頼義は転任となり、清原氏が奥州に覇を唱え、安倍氏の政策とは一変して中央貴族に貢物を欠かさずその地位を保ち、奥州平泉の栄華を極めることになる。

滅ぼされた安倍氏の人気は高く、安倍氏の子孫と称する家筋は意外にも全国に多い。国家の収奪に抵抗したことは庶民からの信仰を集め、京都の文化を取り入れ文学の教養も高く、4代200年の間に奥六郡を支配し後の奥州平泉文化の前駆的役割を果たしたともいえる。安倍氏が強かったのは強力的な同族的団結を組織していたからで、宗家のみが絶対的優位を持っていない、同族の連合体を成し、強固な主従関係を組織の下部にまで結んでいたからとされ、これは清原氏も同じであり、東北の強さの理由ともされている。

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荘園の二元的支配

この巻の面白さは荘園の説明にもある。その一つが荘園の二元的支配で、こんな意外なことが書かれている。

今日の一般常識からいえば、近代以前の社会では、土地を支配するものはそこの住民をも支配する、土地の支配者は住民の支配者であるというふうに理解されるであろう。しかしそのようになったのは、日本では戦国時代になって大名領国が成立して以後のことで、本来、土地の支配と人間の支配とは別々のものであった。

竹内理三『武士の登場』p143

「日本の中世の歴史は、一般的にいえばこの二元的支配を一元的支配に統一しようとする努力の歴史であるといえる」とし、「一つの荘園が二元的支配をうけていた」ことを教えてくれる。その例として摂津国の長渚荘が挙げられているが、ここでは土地は東大寺が所有し、そこに住む者への課役権は賀茂神社が持っている。東大寺は地子は取れるが、その住人に作物を作らせて貢物を収めさせたり、寺社に属する座に組み入れて商売させたりすることができない。そして住民の所有権が売買されて、他の神社やお寺、貴族に移行してもそれが土地の所有権を持つ東大寺に知らされることはない。

土地の所有と住人の所有の両方を持つ荘園ももちろんあるが、そうした形態がどの土地でも行われていた訳ではなく、土地と人の支配が別々に行われていたことは珍しくなかったということは、始めて知ることであり読んでいて勉強になった。

後三条天皇の延久の善政にみる荘園整理令の実態

荘園については、荘園整理令がなぜ効果がなかったのかについても興味深い。1000年(長保2年)に供御所(天皇の御膳料所)以外の院宮諸家の荘園を禁止せよという宣旨が出た時、藤原道長は国司が自分の荘園を整理しようとしたのを止めさせ、「たとえ道理にかなわなくても特別扱いせよ」と例外を認めさせている。

延喜の荘園整理令(902年)以降、4度の整理令が出されたが、政令が出された時の政治担当者は藤原氏であり、藤原氏は最大の荘園領主でもあった。道長の態度から、政権を担う立場にいた藤原氏は表向きでは荘園整理を推進するかのように振舞ったが、その実は政策を推し進める気はなく、荘園整理令というものが妥協的であり形式的なものに過ぎなかったことが分かる。

延久の荘園整理令を出した後三条天皇は、記録所を設置し藤原氏と関係の薄い源氏や学者を任命し、これまでのやり方を改めた。国司が一方的に判断して荘園を整理していたことも変え、領主側の書類を判断材料にするように改善もしている。摂関家の荘園を厳しく整理することで他の荘園を厳しく整理し、その実を上げた。

後三条天皇は物価を公定しその安定を図る估価法(こかほう)を定め、絹や布の品質の統一を図るために重量によって価の基準を定め、米や水などをはかる桝の大きさを一定にした宣旨桝を使うなど、善政を行っている点も興味深い。逆にそれまでそうしたことが行われなかったことから、貴族や国司があくどいことをしていたことが分かる。

院に取り入る受領

荘園整理令がそれほどの効果を上げられなかった原因は、藤原氏だけにあったのではなかった。本来その効果を一番出すべき役職である受領にも、大きな原因があった。受領には国をよくしようという殊勝な心がけはなく、摂関家に金品を貢ぎより収入の多い国に赴任し、または重任し私腹を肥やすことしか頭になかった。だから摂関家を敵に回すようなことをする訳はなく、任期の始めは熱心に荘園を削って私腹を肥やすが、任期の終わり頃になると手のひらを返したように貴族の荘園を認めて妥協するということを繰り返していた。より自分の儲けを増やすために朝廷には荘園整理令を要望しておきながら、実は内々に自分の荘園を構えてもいた。

院政が始まると、院の力は天皇や摂関家よりも強くなり、受領は院に取り入り近臣になろうと多大な金品の奉仕をするようになる。そして近臣になることができれば、権門家に気兼ねすることもなく荘園を削り、さらに取り立てるために新たな荘園整理令を要求する。そういった荘園を巡る利益獲得の様相が変化していく点も、読んでいて面白いし、荘園整理令が出された背景を知ることもできる。難解で理解に届かなかったが、『武士の登場』には荘園整理令が度々出されることで、皮肉にもかえって荘園領主の権利が強化され荘園体制が完成されていくことも書かれていて、読みごたえがある。

平氏政権の弱み

源氏の対抗馬として引き立てられた平氏はその台頭が急速であったために、源氏のような基盤を作り上げることができなかった。清盛は日宋貿易で経済的な基盤を固め、地方の知行国主や受領を一門で占め公領や権門領内に家人を地頭として置くことで軍事的基盤を固めようとした。66ヵ国のうち30余ヵ国が平氏の知行国となり平家政権の睨みを利かせ、清盛が個人的な恩賞として徴税を行う地頭を任命することで、源氏に比べてはるかに弱かった家人との結びつきを固くした。

平氏政権は以前の藤原氏のやり方と踏襲したものに過ぎないという意見もあるが、『武士の発生』では「藤原氏がやらなかったこと二つのことをした」と述べている。一つは「地方の知行国主や受領を一門でしめたこと」、二つは「自分の所領内ばかりでなく、公領や権門領内に家人を地頭に補したことである」と書いている。

律令制から続く従来の国司制度と、武士的な御恩関係に基礎をおく地頭との二要素をもって政権運営したところに平氏の特徴があり、過渡的な性格があったが、これは同時に諸国の百姓の反感を一手に引き受けることになり、全国の有力者を平氏から離反させる大きな原因になった。事実、徴税を逃れるために皇室に荘園を寄進する豪族が激増し、皇室は摂関家を凌ぐ大荘園領主となった。

この頃から頼朝が伊豆で挙兵し、熊野別当湛増(たんぞう)が背き、筑紫で反乱が起こり、富士川合戦で平氏の追討軍が破れると京都近国の反平氏勢力が勢いづき、美濃の源氏が美濃・尾張を占拠し、近江では近江源氏が蜂起した。平氏は荘園の兵士を集めさらに領主の反感を増やし、興福寺6万の兵と戦い東大寺と興福寺を焼失させてしまい、寺社勢力と貴族を完全に敵に回してしまう(興福寺は藤原氏の、東大寺は日本総国分寺であり皇族諸氏の氏寺であった)。

1182年(養和元年)から翌年にかけて続いた旱魃は全国的な飢饉をまねき、院宣をかりて諸国の荘園から過酷な取り立てを行った平氏に対して人心はさらに離れ、総力を結集して10万の大軍をもって進撃するも北陸で木曾義仲に惨敗し(俱利伽羅峠)、西奔することになる。反乱軍は寺社勢力、国人、源氏の3つから構成されたが、国人は平氏に反乱したのではなく、平氏が政権の基盤としている古代国家に反乱した側面もあった。

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