【本のレビュー】島田裕巳『神も仏も大好きな日本人』

本のレビュー

旅をして神社や寺院に参拝していると、気になることがいくつかある。

なぜお寺には神社のようなパワースポットがないのだろうか。神仏習合の時代はどのように参拝していたのだろうか。神社の敷地に寺院があるというのは、どのようなものだったのだろうか。そこでは仏教の作法や仏像があったのだろうか。密教とはどんなもので、曼荼羅とは何なのだろうか。

そんな疑問に答えてくれるのが『神も仏も大好きな日本人』だ。

神仏習合は「習合」であって「混淆(こんこう」ではない。融合できる点があれば反する点もあり、それぞれが独自に独立していたからこそ、「分離」することができた。

神仏習合の時代、神社の境内には寺院があったし、寺院の境内に神社があった。寺院は神社の敷地を極楽浄土に見立てることがあり、神社も寺院も合掌して参拝し、現在のように神社は二礼ニ拍一礼といったように区別せず、神社では仏教の儀式が行われ、神像を祀る所があった。

神道は生まれてから大人に成長する過程や結婚といった生きている間の儀式を受け持ち、仏教は葬式や死後のことを受け持つ。神社と寺院は役割は違えど、どちらも人々の生活に深く関わり、神仏分離が強行されても、その思想や風習はその後も多くの日本人の生活に残った。

日本人は無宗教と言われるが、宗教がない訳でも信じている信仰がない訳でもなく、神道と仏教の両方を信じているために、どちらか選べず無宗教と言わざるを得ない。それまで身近に信仰していたものがある日突然切り離され、どちらを信じているのかと問われても、答えられるものではない。だから両方信じているような、信じていないような、そんな曖昧な答えをせざるを得ず、明治から現在まで生きてきた。

筆者は「神仏分離以前の状態については、忘却され、無視され(中略)まるでなかったことにされてしまっている」といい、そのため現在多くの日本人は「本当の意味で日本人の宗教の歴史を知ることはできないし、日本人にとって宗教がどのような意味をもってきたのかを理解することはできない」(13〜14頁)と述べている。

本を読むまでは意識してこなかったが、言われてみればまったくその通りだと思う。神仏習合がなかったことにされているのは、我が国の宗教を知る上で大きな欠陥といえる。神仏習合、本地垂迹、神仏分離。これらは高校の日本史で教わるが、学校の授業の内容では神仏習合の時代のことや社寺の歴史を知るには不十分である。その証拠に社寺を参拝していてもよく分からないことが多いし、本を読んでも分からないことが多い。

『神も仏も大好きな日本人』は文章が簡潔なだけに理解に時間がかかるが、何度も読むことで日本の宗教の本質を知ることができるし、いろいろな気づきを教えてくれる。

なぜ興福寺が廃仏毀釈で大打撃を受けたのか。伊勢神宮は神仏習合がなかったのか。密教は仏教や神道にどのような影響を与えたのか。葬式が禅宗から生まれたのにはどのような要素があったのか。

そうしたことが書かれているし、また仏像、曼荼羅、庭園、勧請、神像についてもふれられており、知っておくとより旅が楽しくなる内容になっている。寺社仏閣や旅が好きな人にもおすすめの本である。寺社の参拝をより意味のあるものにし、また宝物殿の展示をより楽しめるようになる本である。

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