【旅の拾いもの】木に注目すると楽しい奈良の旅①

奈良県

2022年に奈良を旅した時に、奈良の魅力的を知った。奈良には京都よりも古い歴史があり、奈良時代に造られたいくつかの寺院建築が現存し、素晴らしい数々の仏像がある。京都と比べて観光客が少なく悠々と観光ができ、素麺や柿の葉寿司は京都の精進料理や割烹と違い気軽に楽しむことができる。

特に寺院建築と仏像は京都に劣らず、言うまでもなく日本全国の名所と名高い寺院や名作といわれる仏像に劣ることがない。奈良には有名な優れた寺院建築がいくつも残されている。『日本の建築の歴史 寺院・神社と住宅』によると、奈良時代の仏教建築は28棟あり、これは平安時代の29棟と比べると多い。奈良時代の84年間で造られた30近くの寺院建築が、約400年続いた平安時代と同じくらい残っている。しかも時代が古い。

仏像は、薬師寺の薬師三尊像、興福寺の阿修羅像、東大寺法華堂の十一面観音像、法隆寺の救世観音像などが知られている。公開期間が限られていることが少なくないが、歴史のある名の知れた寺院に参拝すれば、見ごたえのある仏像を拝むことができる。奈良国立博物館で仏像を鑑賞するのもいい。仏像の前に立ち、あれこれ考えたり感じる体験は旅でしか味わえないかけがえのない時間だ。

奈良を旅した時に寺院の参拝と仏像の鑑賞を十分に楽しんだが、その時にについて知る機会が多かった。建築材としての木や仏像の材木としての木について、宝物館や博物館の解説で知ることが多かったが、旅の前や後で本を読んだ際に知ったことも多い。素晴らしい建築も仏像も共にでできている。に注目するとこれまで知らなかったことがいろいろと分かり、いろいろな学びを得ることができる。

今回は旅で知った木に関することを二回に分けて書いてみたいと思う。仏像にふれると話がまとまらないので、木造建築に限って書くこととする。仏像については、別に【旅の拾いもの】か【旅エッセイ】で書こうと思う。また、それぞれの寺院の見どころについても、このサイトやメインサイトで記事を書こうと思う。

まずは法隆寺からご紹介しよう。日本人なら誰もが知っていると言っていい、有名な法隆寺は、「世界最古の木造建築」に大きな価値がある。特に五重塔は、これまでに幾度もの倒壊・焼失の危機を乗り越え、現存しているのは奇跡としかいいようがない。詳しくはメインサイトの法隆寺の旅日記に書いたのでここでは省くが、一千年以上も幾多の地震や台風、雷から五重塔は逃れてきた。

その五重塔と金堂には樹齢千年の檜が使われている。樹齢千年の檜を使っているから、瓦の重みや湿気、そして自然災害に耐えることができ、今もなお現役で活躍できるのだ。千年もの間、生存競争に勝ち抜いてきた檜は頑丈で、建築材として千年持つ(『木に学べ』)。

具体的にどこの部分に樹齢千年の檜が使われているのか目で見て確かめることはできないが、五重塔と金堂の主要な柱や梁・桁などに使われているという。建設時に樹齢千年ということは、二千年も前の檜が使われていることになる。そんな木材は今日残っていない。非常に貴重な檜なのだ。

次は薬師寺(旅日記はこちら)。こちらも世界遺産に登録されている有名な寺院だ。斑鳩の法隆寺と奈良公園の間にあり、また近くには唐招提寺があり、西ノ京駅から近いので、観光しやすい寺院である。

薬師寺は奈良時代に一番栄えた宗派の法相宗の大本山で、養老5年(721年)、奈良時代前期に建てられた東塔が創建以来、現在まで残っている。裳階の美しい三重東塔の美しさは法隆寺五重塔に勝るとも言われている。

この東塔ももちろん見どころがあるが、旅をして知ったのが、薬師寺の休憩所に展示されている樹齢2500年の台湾産の檜だ。平成5年に、講堂の再建のために台湾から寄進されたものだ。現在は平成3年より自然保護のため台湾では木材の輸出が禁止されているため、寄進というかたちで日本に贈られた。

かつて日本では寺院の再建や改修に台湾産の檜が使われてた。寺院建築に最適な檜は、奈良時代には奈良周辺の山林で不足し、その後時代が進むにつれて各地から大木が伐られ寺院や城に使われ、江戸時代には既に枯渇していた。

そんな木材不足を救ったのが、台湾檜だった。明治期に日本が台湾を統治したのをきっかけに、台湾檜が日本に運ばれて建築に使われた歴史がある。日本では樹齢千年の檜は奈良時代から江戸時代までに伐られ尽したと考えられるが、台湾には手つかずの檜の森が残っていたのだ。中には樹齢二千年の樹も珍しくなかったという。

薬師寺から歩いて10分かからない距離にある唐招提寺(旅日記はこちら)は、木材の面からは講堂が知られている。奈良時代後半に造られ、平城宮の東朝集殿を移築・改造した建物で、平城宮の面影を唯一とどめている貴重な建物だ。
※朝集殿:朝廷の臣下や官人が出仕する際の控えとなった建物

一般的には講堂の凄さが語られるが、個人的には宝蔵と経蔵が興味深い。宝蔵は唐招提寺が創建された天平宝字3年(759年)に建てられた校倉造りで、宝蔵よりも一回り小さい経蔵は、唐招提寺創建以前からあった米倉を改造したものといわれており、唐招提寺で最も古い建造物であり日本最古の校倉だ。

唐招提寺の創建は天平宝字3年(759年)とされているから、700年代から現在まで1300年もの長い間、移築されることなく当時の姿を留めている。

校倉の凄いところは、木に何も塗っていないのに、土壁もないのに、奈良時代のものがまだ残っているところだろう。中国から渡ってきた建築方法ではなく、日本独自で編み出された造り方といわれている。校木(あぜき)が建物にかかる重さ受けるため隙間ができず、それが建築材としての寿命を長くしているらしい。

ついでに、木を生かした日本独自の工夫という意味では、法隆寺や興福寺の五重塔や薬師寺の三重塔の軒にも日本独自の工夫が見られる。大陸の軒は短いが、日本は雨が多く、雨から建物を守るために軒を深くするという、大陸にはない日本独自の工夫をしていることは、よく知られている。

つづく

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