中公文庫『日本の歴史15 大名と百姓』佐々木潤之介

日本の歴史〈15〉大名と百姓 (中公文庫)
日本の歴史〈15〉大名と百姓 (中公文庫)

概略
まず最初に、難解だったため著者の主張に沿ってまとめてられているのか自信がないことを先に書いておく。

近世農村の成立をテーマに「小農(小百姓)」が自立していく過程を書いた本。村落の動向から「小農」の自立を説くといった一元的なものではなく、政治・経済を含めた幕藩体制が確立していく過程を包括した、多角的な視点から説明している。扱う時代は太閤検地以後の約一世紀となる。

自分の土地を持てず、代々名主から労働を収奪され続ける「小農」が「本百姓」として自立し、自分の耕作地を持ち、僅かな余剰を得るようになるのは、17世紀後半となる。それまで「小農」の自立がみられないのは、藩で「地方知行制」が採られていたことに大きく起因する。そしてそれは幕府から課せられる重い軍役に対処するためには必要な体制だった。

軍役に加え参勤交代や江戸での生活による支出が藩の財政を圧迫し、鎖国により幕府に統制された経済では、藩は年貢を増やして凌ぐしか道がなかった。しかし、軍役がある以上は生産高が増えることはなく、矛盾したこの体制は寛永の大飢饉によって遂に立ち行かなくなる。

幕府は寛永の大飢饉を境に農政改革に乗り出し、土地永代売買禁止令を出し、検地項目を改正し、それらの法令の集大成である慶安の御触書を出すことで「小農」の自立を認め、生産高の強化を図る。また、慶安軍事令で軍役を軽くすることで藩の財政崩壊を回避した。

これにより藩も地方知行制から俸禄制へと移行し、直接年貢が入って来る蔵入地(幕領)を増やし、新田開発を行い農村からの生産物を増やすことで藩の財政を立て直す方向へ向かう。中世からの規模で名田地主が連携している郷や庄は村へと細分化され、旧来の労働を管理する名主は百姓の代表である村方三役になり、名主の力を削ぎ、名主が得ていた生産物を藩が取り立てるようになる。

こうして、給人(領主・武士)が「小農」から搾取する「作合(さくあい)」という中間搾取がなくなり、地主・小作関係という新しい収奪関係が生まれ、これが江戸時代の幕府や藩の基礎となる。名主に隷属していた「小農」は、村の正式な構成員である「本百姓」と記帳されるようになり、農民の間に従属関係のない構図ができる。そして、僅かなりにも余剰を持つことができるようになる。

以上が本の概略だが、著者が「小農」の自立が行われた根拠に挙げている慶安軍事令、検地項目の改正、慶安の御触書は、その後の研究で論拠にはなり得ないとされていて、このことは読む際に注意する必要がある(あとがきより)。

慶安の軍事令はそのものがなかったとされ、慶安の御触書は元禄10年(1697年)に出されたもので時代が更に後になり、検地項目の改正は成立年次と法的効力が特定できないというのが、現在では通説となっている。慶安の御触書に根拠を置く筆者の論理に従うと、「小農」の自立は元禄期に遅れてしまうことになる。

ただ論拠は違えど、「小農」の自立は慶安期に広く行われたことが、現在では多くの研究者の共通認識になりつつある。きっかけは著者が挙げる事例ではないにせよ、「小農」がどのような生活を強いられそれを改善するために抵抗をし、自立を勝ち取ったのかは一読する価値がある。

日本の歴史〈15〉大名と百姓 (中公文庫)
日本の歴史〈15〉大名と百姓 (中公文庫)


読んだきっかけ
中公文庫の日本の歴史では、江戸時代初期のことが13巻~15巻の3巻セットで書かれているため、その流れで読んだ。個人的には3巻の中で一番楽しみにしていた巻だった。題名が「大名と百姓」とあるように、農民と領主の動きのみに注目して書かれているため、江戸初期の農村のことを知るにはうってつけの本だと思った。

百姓が本当に貧しかったのか、個人的には一番知りたかった。一昔前までは百姓は重い年貢を課せられて休みもなく働き、貧しかったというイメージが広く知られていたが、最近では、それは「江戸時代暗黒史観」だといわれているように、貧しかったのは武士だけで百姓は豊かだったことが広く認識されている。

このサイトの「旅の拾いもの」の伊勢参りでも書いたが、江戸時代の百姓(中期以降だが)は貧しい者ばかりではなかった。講を組んで参詣の名目で旅に出かけたり、村で休日を設けて祭りをしたりして、それなりに楽しんでいる。

江戸時代の初期は本当に百姓は虐げられ貧しかったのか。だとしたらなぜそのような、継続性のない崩壊するのは明らかな、その場凌ぎの体制になったのか。そしてそのような体制はいつ、どのようなことがきっかけで改善されるようになったのか。と、そんなことを知れればと思い本を手に取った。

読んでよかった点
難解。2、3回読んでもよく分からなかった。しかしそのおかげで、百姓の生活をいろいろな観点から考えることができた。百姓の生活が税制面だけでなく、軍事や経済とも関連していることから、軍役や藩の経済について更に知りたいと思えたし、それ以前の時代はどうだったのかと、中世の体系についても知りたいと思えるようになった。

13巻の江戸幕府と併読するとより一層理解が進むと思う。また、自分にはそもそも大名の税制や組織についての知識が欠けていたため、まずはそれらの基礎知識があることが前提の本だと痛感させられた。江戸幕府成立前の中世の税制や家臣団の構成などを知りたい思わせる本だった。

先にも書いたが、この本の良さは、軍事や経済との関連から広く農村(正しくは郷村だが)の動きを捉えているところだろう。百姓の目線、名主の目線、領主、藩、幕府、商人と、それぞれの立場から当時の農村や幕藩体制を見ることができる。複数の視点から農村の仕組みを考えられる点は良いと思う。

この本は難解で、これから日本史を学び直そうと思っている人には入門書としておすすめできるものではないが、自分と同じように江戸時代初期の村について知りたい人の参考になればということで、本を読むにあたり押さえておくとよい事柄をいくつか書いておきたい。

「小農」
「小農」とは代々名主から使われてきた譜代の下人で、名主の家を借り、鍬一本、鎌一挺(ちょう)程度の農具を借り、名主の土地を耕しながら、僅かばかりの米や雑穀をもらい辛うじて生活していた農民を指す。自分に与えられた耕作地だけでなく、名主の声がかかれば別の田畠を耕したり別の労働をする、使役される存在であり、労働を収奪され束縛され続ける存在である。いくら汗水流して田畑を耕したところで自分の分前が増える訳ではなく、借金のかたに他の地主に売り飛ばされる存在でもあった。

このような「小農」が自立することができなかったのは、名主による中間搾取(作合=さくあい)があったからだ。近世の村(郷・庄)の構造は複雑で、下人といってもいろいろな立場の者があり、また名主もいろいろなタイプがあったが、本では話を進めるために「小農」-名主という簡単な図式にしている。

地方知行制
「小農」の自立を著しく妨げた要因。藩が武士に給与として米を支給する「俸禄制」の前の段階の体制。地方知行制の下では、藩から知行地を与えられた家臣(給人という)には、その土地で年貢を取る権限と夫役に従事させる強制力が与えられる。

地方知行制が中世から続けられていたのは、軍役に起因する。藩は幕府からの軍役に応えるために給人から百姓を集め、夫役に従事させるが、実質はただ働きに等しい。というのも、給人が夫役の際に百姓に支給する扶持米は、百姓自身が作ったものだからだ。

給人が百姓を使役し軍役をこなすために地方知行制は必要なものあった。藩は参勤交代や江戸在府の経費でも多くの支出があり、そうでもしないと軍役をやり遂げることができなかった。

また、地方知行制が行われているとうことは、家臣の土地が多いことを意味しており、藩の税収が多くないことを意味する。藤堂藩では藩の蔵入地は40%で残りは家臣の知行地であった。お家騒動の起きた伊達藩では大名の蔵入地は僅か20%という有様だった。家臣の知行地を召し上げる地方知行の廃止を行い、藩の蔵入地を増やす俸禄制への移行が江戸時代初期の各藩の課題であったが、それには軍役が軽くなるのを待たねばならなかった。

軍役
江戸時代初期の軍役は重く、多くの大名家が財政難に陥った。軍役の多さを土佐藩山内氏の例をみると、以下のようになる。

慶長10年(1605年)江戸城石垣修築、慶長12年駿府城普請、慶長15年名古屋城普請、慶長19年江戸城修築、元和元年(1615年)大坂城普請、元和6年大坂城石垣修築、寛永2年(1625年)大坂城普請

際限なく軍役が課せられているが、他の大名もほぼ同じというから、軍役が藩の財政を著しるしく圧迫したのがよく分かる。

軍役を課せられるということは、百姓の労働力を知行地から取り上げることを意味しており、作物の収穫量が減ることを意味している。藩としては苦しい財政をなんとかするため年貢を増やして不足分を補おうとする。すると過度な年貢に百姓は疲弊し、逃散することで抵抗し、田畑が荒れるという事態が起こる。

したがって、軍役が軽くなると藩の財政難も軽くなる。寛永・慶安期に軍役が見直され軽くなると、藩はこれを機に俸禄制への移行を推し進めるようになる。軍役は上から下へと転嫁されるもので下級武士の負担が大きいものだったから、軍役の軽減は特に下級武士にとっては大きな変化であった。

また、前回紹介した『日本の歴史13 江戸開府』では、「戦争や土木事業に軍役がしばしば発動された慶長・元和と、常備の義務はあっても発動の機会の少ない寛永以降とでは、大名の負担はまるで違う」(辻達也『日本の歴史13 江戸開府』中公文庫、p348)と書かれていることから分かるように、寛永以降はかなりの軽減が行われた。

藩の財政
前述の通り、軍役が軽減される前の藩の財政は苦しく、参勤交代や江戸在府の費用もかさみ藩の財政は圧迫していた。武具や軍役に必要な道具は京・大坂・江戸の三都の商人から購入するため、否応もなく各藩は三都との結びつきを持たざるを得なくなる。

軍役に加え、参勤交代や江戸在府に掛かる費用を合わせると、例えば毛利家では藩の支出のうち三都の商人への払いは全体の6割を占めている。これに三都の商人からの借金の利子が加わると、更にその割合は増える。国元以外での支出がいかに大きかったか、毛利家の財政から理解できる。

三都への支出分を補うために、藩は年貢の徴収を厳しくし、市場統制を行う。津留という物資の移動に制限をかけ、利益を図ろうとする。藩が売るものの価値を下げないように物資の移入を禁止したり、他藩にない特産品の生産に力を入れるようになる。

藩政改革、お家騒動
藩の財政再建に必須の俸禄制への移行は寛永の大飢饉を待たねばならなかった。高松藩は飢饉が起こると改革に乗り出したが、家臣の強い反発により頓挫しお家騒動を起こす(生駒騒動)。俸禄制への移行は家臣からの反発、特に高禄の譜代から仕えている上級家臣の連帯した抵抗に立ち向かわねばならない。藩の中で財政再建を目指す改革派と旧来の利権を死守しようとする保守派との対立が起こるのは当然で、その改革はスムーズにはいかない。

俸禄制への移行を後押ししたのが寛永の大飢饉であり、それがピークに達すると幕府は諸藩に農村の救済を命じ、藩の上級家臣にも切迫とした危機感が増すこととなる。改革がこじれてお家騒動が起きたり、財政が破綻したら改易という最悪の結果を招くことになる。その現実味が俸禄制への移行を余儀なくさせた。

俸禄制が採られると、これまでの給人-名主-「小農」と系列づけられていた農民支配は代官-百姓へと変わり、名主が中間搾取した分を藩に納める体系となる。郷・庄は村へと細分化され、中世の性格を維持していた名主の集まりは領主にとっては都合が悪く、より規模の小さい村が多くつくられるようになる。名主は下人の生産物を収奪する側から百姓の代表へと変わることとなる。

「小農」の自立
知行制の廃止により、「小農」の自立が実現されるようになる。自分の田畠を持ち、僅かながらも生産した物からの余剰を手に入れ、そして村の正式な構成員として認められ「本百姓」と記帳されるようになる。

江戸時代初期になると治水や土木技術も向上し、新田開発が盛んに行われるようになる。肥料や農具の向上も合い重なり、収穫量が増えれば増えるだけ自分の生活が向上するため、百姓は生産性の向上を目指すようになる。名主を先頭に年貢諸役の減免を求め、時には近隣の村々と連帯して一揆を起こして自分らの生活の向上を求めるようになる(一揆=武力による押しかけ・打ちこわしとは限らない)。

難解だった『大名と百姓』を読む前にこうしたことを知っていたらもっとすんなり読めたのにということで、いくつか用語を書いたが、分かりやすい項目もあった。新田開発や用水の変化、分水争い、城下町の整備や各藩の特産品の紹介、そして農民一揆の例として知られている佐倉宗吾伝説や嘉助(かすけ)騒動など、とっつきやすく分かりやすい説明もあり、興味のある人は一読してみるのもいいのではないかと思う。

日本の歴史〈15〉大名と百姓 (中公文庫)
日本の歴史〈15〉大名と百姓 (中公文庫)

今一つだった点
難解だったのと、書かれた時期が古く論拠となる事例に説得力がないのは抜きにして、農民VS領主という構図で終始書かれている点は物足りなさを感じた。年貢を重くして絞り取るだけ絞り取ろうとした領主は、どの程度の割合でいたのだろうか。どの藩も軍役で財政難に陥り、年貢を上げなければ立ち行かなくなる状況だったのだろうか。

幕府が農民を抑圧するなと禁止しているように、全ての大名が農民を抑圧した訳ではないだろう。全ての藩がお家騒動を起こした訳ではないし、財政が崩壊して改易された訳ではないだろう。幕府によって取り込まれた新たな体制を逆手にとって、譜代の高禄の上級家臣を切り崩して藩の財政確保に努めた藩も当然あったと思われる。そういった藩の事例も知りたかった。

また、農民=抑圧される、虐げられるという構図はあくまで一面に過ぎないだろう。農民=領主に抵抗する者という構図も当然あり、それ故に戦国時代には大名が気を遣って農民を支配したケースもある。一揆は中世がもっとも多かったといわれるように、中世の村は力で抵抗した歴史があるし、武士の起こりは村人が領主からの抑圧に抵抗するために武装化したのが起源だともいわれている。

全ての領主が一方的に農民を搾取したというのは、一元的な見方になってしまう。複雑な構造を分かりやすく説明するために農民VS領主という構図をとっているのだろうが、そうでなかった例も知りたいところであった。

これまで中公文庫の日本の歴史を7冊読んでみたが(レビューにはまだ2冊しか書いていない)、その中でも一番難解だった。通史を学ぶうえで評判のよいこのシリーズで、同じような難しい巻がまだあるのだろうか。その辺のことも気にしながら、1巻から読み進めてみたいと思う。

日本の歴史〈15〉大名と百姓 (中公文庫)
日本の歴史〈15〉大名と百姓 (中公文庫)

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