子供の頃に絵本で読んだ浦島伝説や羽衣伝説は丹後が舞台だと、旅をして知った。
浦島伝説は舟屋で知られる伊根の周辺に、羽衣伝説は丹後半島の窪みの部分の天橋立にある。
これは古代に大陸、主に朝鮮半島だが、との交流が盛んで、大陸から渡ってきた人々を受け入れた歴史があるからとされている。
朝鮮文化が日本へ伝わるルートは、九州から瀬戸内海を経由して大阪湾へ至るコースと、丹後半島あるいは若狭から上陸して近江を経由して飛鳥へ至るコースがある。
一般的には九州ルートを想像するが、航海術や船の建築技術が未発達だった古代は丹後や若狭から上陸するケースが多かった。
朝鮮から九州へ至る海流はなく、海流を横切って舟を漕いで九州に向かうよりも、福井へ至る対馬海流に乗って流れに任せる方が、はるかに安全に短時間で日本に来れたようだ。
古代は丹後や若狭は渡来人が来日する際のメインルートであり、それゆえ丹後半島には600年代の創建と伝わる寺社や仏像が多数残されていて、渡来人の古代遺跡や地名、伝承が残っている。
※出典:宮元健次『日本三景の謎 天橋立、宮島、松島―知られざる日本史の真実』
羽衣伝説は丹後以外の地にもある。
大まかに分けると、丹後型と近江型があり、丹後型はお爺さんとお婆さんが天女の羽衣を隠し、帰れなくなった天女がお酒を造りお爺さんとお婆さんが豊かになる話で、
近江型は男が羽衣を隠して帰れなくなった天女と結婚する話。
地方によっては天女は機織りが上手いというパターンもあり、酒造りや機織り、さらには養蚕や農業が天女は上手いことが物語に描かれており、これは秦氏をはじめとする渡来人が優れた技術をもち、それを丹後地方の住民に伝えたことを表していると考えられている。
ついでに、七夕の「ばた」は秦氏の「はた」を意味しているといい、また羽衣伝説で別れた天女は男と一年に一度だけ、7月7日の日に会えるという七夕の話に繋がる。
近江にも羽衣伝説があると言うことからも、古代は大陸の情報や文化などが、丹後や若狭に入り、そこから近江を通って京にもたらされたことが分かる。
そんなことを旅をしたお陰で知ることができた。
旅ブログの記事をどうぞ↓
【京都】舟屋が並ぶ魅力の港町 伊根 後半(電車日本一周補完の旅9日目②) | 綴る旅 (tsuzuritabi.com)
YouTubeでも紹介しています↓
参考文献
宮元健次『日本三景の謎 天橋立、宮島、松島―知られざる日本史の真実』
Amazonはこちら
楽天ブックスはこちら
コメント