【小話】平安時代 空也と大福茶(おおぶくちゃ)

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画像は都名所図会(出典:国立国会図書館デジタルコレクション)

民衆と共に念仏を唱え各地を遊行した空也と馴染みの深いお茶が京都にある。六波羅蜜寺の皇服茶(大福茶)がそれで、空也が没してから1000年以上が経った現在でも毎年多くの人に飲まれている。六波羅蜜寺では元旦に汲んだ若水で点てたお茶に小梅と昆布を入れた皇服茶が毎年正月三が日に振る舞われ(有料だが)、初詣に訪れた多くの参詣者は新年の健康と招福を祈願してそれを口にする。

六波羅蜜寺が発行する大福茶の由来書には、空也上人が本尊前にお供えしたお茶を村上天皇が病気の際に飲んだら平癒したことや、京都で疫病が流行した時に病人に飲ませたら悉く(ことごとく)治ったことが書かれているらしい。空也上人がお茶の効能で伝染病を鎮めた伝承が基になっているのだが、当時はお茶は嗜好品ではなく主に薬用として飲まれていた。空也が、流通量が少なく上流階級しか飲むことができない貴重なものだったお茶を庶民にも振る舞ったことが、民衆にお茶の文化を広めたといっても過言ではないだろう。

空也の死後、弟子たちは皇服茶を売って生計を立てたとされる。お茶を売ったとも、お茶を点てる茶筅(ちゃせん)を売ったともされているが、それは空也の生きている頃から行われていたのかもしれない。弟子たちによって各地に建てられた空也堂(空也を祀るお堂)の茶筅で点てたお茶を飲むと年中邪気を免れるといい、毎年年末が近づくと竹に挿した茶筅を担ぎながら京の町を歩き売り歩く空也僧がいたことは江戸時代の史料に残されている。

茶筅といってもお茶を混ぜる匙のようなものだったらしく、茶筅はお札の代わりとなる大切な勧進道具(商売道具)だったともいえるだろう。京都では現在も空也堂の茶筅を使って元日に大福茶を点てる習慣がある。六波羅蜜寺で毎年振舞われる皇服茶は世間一般的には大服茶といわれることが多く、六波羅蜜寺に限らずいろいろな所で新年のお祝いものとして売られている。新年を祝う和菓子として有名な花びら餅と一緒に食べることもも多いようだ。

都名所図会(出典:国立国会図書館デジタルコレクション)

参考文献
伊藤唯真編『日本の名僧⑤浄土の聖者 空也』吉川弘文館(2005)

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