『天平の甍(いらか)』井上靖

小説のレビュー
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あらすじ
天平四年(732年)、大安寺の僧普照(ふしょう)は未だ戒律の具(そな)わっていない日本に伝戒の師を招くために唐に渡る。激しい暴風雨や波で大きく揺れる船の中、生きた心地のしない航海を三カ月続けようやく入唐し、唐で10年勉強三昧の日々を送る。そんな中、自分の意に反して、普照は鑑真を連れて日本に帰る機会に恵まれる。鑑真の高弟の中から誰か日本に渡海してくれないかと鑑真の元を訪ねると、何と鑑真自身が自ら渡海すると言ったのだ。

唐には業行という、普照が唐に来る前から入唐しかれこれ30年滞在している留学僧がいる。寸暇を惜しんで経典を書きを写すことに人生を捧げていたが、業行が写した膨大な経典もまた日本の仏教には必要不可欠なものであった。普照はそれらを船に乗せ、鑑真と供に日本へ渡海することとなるが、実はこれは5回目の渡航となる。

鑑真に危険な渡航をさせる訳にはいかないと、鑑真の弟子が密告して渡海が中止されたり、天候が悪化して船の座礁したりと、既に4回の渡海が失敗していた。幾度の失敗を重ね、普照一行は5回目の渡海に挑戦するが、船は風に流されて漂流し、海南島の南端、振州の地に着くこととなる。台湾を遥かに南西に進んだ、ベトナムに近い場所である。この先どうすればよいのか。誰も言葉を発することができず、一種異様な懈怠感(けたいかん)が一行を襲う。

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本の紹介
天宝12年(753年)の鑑真の渡日を舞台に、五人の日本人留学僧を描いた本。物語の初めの方では遣唐使の海を渡る怖さが書かれている。風向きが変われば沖や別の場所に流され漂流したり座礁し、海が荒れれば船は木の葉のように波に遊ばれる。激しい船酔いに苦しみ、いつ沈むか分からない恐怖に身を置き、ただただひたすらに海が静まるのを待つ。明かりもなく暗闇の中、暴風雨の音や船内に海水が入って来る音を聞くというのは、想像するだけで恐ろしいものである。

そんな航海を3ヶ月もかけてようやく唐の地に足を着くことになるが、そうした経験は留学僧に仏教を学ぶ意味とは一体何なのかと、大きな疑問を投げかける。帰りも無事に戻れる保証はどこにもないのに、自分は何のために学ぶのか。海の中に沈むためにいたずらに知識をかき集めるのか。そんな至極当然の問いを各々が感じ、自分なりの答えを見いだしていく。

遣唐使には留学僧だけでなく留学生や役人も乗っていたが、彼らとて同じである。日本に必要な法や知識、技術を得ることが命がけだったことを、本を読むと改めて教えてくれる。

また、高僧がどのようなものなのかも、詳しくは描かれていないが推察することができる。鑑真が唐を渡り歩くことができたのは、貴重な知識があったからだろう。鑑真は行く先々で寺を建て、戒を授け、人を度したとあるが、建築や薬に関する知識も広めたものと思われる。単に仏の教えを説いて信者を増やし、それで寝食や身の安全を確保できたという、そう単純な時代ではないだろう。

日本と同様に布教には他宗からの迫害が付きもので、信仰だけでは自身の身を守ることはできなかっただろう。Wikipediaには「鑑真は当地の大雲寺に1年滞留し、海南島に数々の医薬の知識を伝えた」とあるが、海南島の他の地でも同様に医薬の知識を広めて進んだのだろう。建築の知識や日本で後に寺院で専売するようになる油や醤油・味噌などの食の知識も伝えて、身の安全を確保したと思われる。詳しく描かれていないので残念だが、歴史を知りたい人にはそうしたことも少しは読み取れる本となっている。

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