【小話】飛鳥時代の目安箱?鐘匱(しょうき)の制

目安箱と言うと、江戸時代の8代将軍徳川吉宗の政策として歴史で習った覚えのある人が多いかと思う。戦国時代が好きな人は北条氏康が設置したことを知っている人もいるのではないだろうか。

吉宗の時の目安箱は、氏名と住所を記入することになっており、そうしていないものは破棄されたようだ。意見が通った例として、小石川養生所がつくられたことも、わりかし知られているかと思う。「目安箱」という呼び名は明治時代から使われたもので、吉宗の頃は単に「箱」と呼んでいたらしい。

そんな目安箱だが、先日、『日本の歴史2 古代国家の成立』を読んでいたら飛鳥時代に似たような政策があったことを知った。「鐘匱(しょうき)の制」というもので、裁判に不服のある者が直接朝廷に訴えることを許した、一種の人気取りの政策である。

これは、朝廷に匱(ひつ・箱のこと)と鐘が置かれ、自分の属する伴造や族長の裁判に不服がある時は匱に投書して訴えることができる制度である。しかも朝廷の裁定になお不満のある場合は、鐘を鳴らして更に訴えることができるのだ。

一種の人気取り政策だが、政府は民意を知るために必要を感じて行った政策であり、実際に投書を取り上げてこの制度が形式的なものではないことを示したことが伝わっているのだ。

本には次のように書かれている。

六四六年(大化二年)二月、朝廷につかえるために京にのぼってきた民が、仕事がおわってからも政府にとめおかれ、雑役に使われるということを訴えるものがあった。鐘匱の制を利用して申し出たのである。天皇はこれをとりあげ、各所の雑役を中止して訴えにこたえた。改新当初の政府が政治に熱意をもっていたことの表れといってよかろう。

直木孝次郎『日本の歴史2 古代国家の成立』(中公文庫)p215

ネットで調べてみると、その後の律令制では引き継がれることなく、一時的な政策に終わってしまったようだ。為政者が民から直接意見を聞くという、儒教の思想が根底にあるものらしい。サイトによっては、「しょうき」の制ではなく「かねひつ」の制とふり仮名を振っているものもある。大化元年に鐘匱の制の詔が出されたことが日本書紀に書かれているらしく、興味のある人は「鐘匱の制 日本書記」で検索してみるといいと思う。

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