『武州御嶽山信仰』を読んでいたら、江戸時代の奥多摩に鶴の湯温泉というものがあったことを知った。効能は「打身、くじき、切疵、頭痛、しつひぜん、瘡毒の類によし」と評されているが、これは青梅の商人・山田早苗が69歳から70歳の高齢ながらも険しい山々を歩いて回り多摩川周辺の名勝旧蹟を巡歴した記録『玉川泝源日記』に記されている。
南北朝時代の延文年間(1356~1361)頃から利用され始めたと言われる鶴の湯温泉は、寛文年間(1661~1673)に湯治場が開かれ、そのアルカリ性鉱泉は新薬のように珍重され、多くの人が訪れた。この湯を試みた者の記録に「奇々妙々の名湯験を見ること神の如し」と称賛されたことも知られている。
この小河内の鶴の湯は、樽に詰められ牛馬の背で運ばれ青梅を仲継地として江戸に送り込まれたようだ。これが大いに繫昌し、天保十年前後には青梅町に一手販売権を掌握した温泉問屋が出現するまでになったらしい。
湯治場として栄えたかつての温泉街は現在は小河内ダムの底に沈んでしまったが、源泉は組み上げられ数軒の温泉施設や旅館にタンクローリーで運ばれているようだ。源泉も鶴の湯だけでなく他にも3つあり、4つの源泉がダムの下から汲み上げられているらしいのだ。
ざっとネットで見たところ、日帰り入浴施設の玉翠荘と宿泊施設の馬頭館、小河内荘で鶴の湯温泉を体験できるようだ。機会をみつけて浸かってみたいものだ。
参考文献
西海賢二『武州御嶽山信仰』岩田書院(2008年)
コメント