2022年の3月に三井寺に参拝した。平安時代に比叡山延暦寺から分離独立し、長年、山門寺門の抗争を繰り返してきた寺院だ。
予備知識がないながらも、少しでも三井寺を知ろうと思い、資料館や堂宇を注意深く鑑賞したが、一つだけ、見そびれたものがある。
万徳院の瓦だ。
旅の後で知ったが、三井寺は浅瓦の発祥の地と言われている。
昔の瓦は奈良の古寺に見られるように、平瓦の上に半円筒形の丸瓦を伏せて置く行基葺瓦だった。
雨水を流す平瓦とその繋ぎ目に丸瓦を置く2種類の瓦を使う当時のスタイルは、火災に強く耐久力があるものの、重かった。
柱に負担をかけるだけでなく、製造や設置に費用や手間がかかるものだった。
そんな瓦が現在のようなは形になったのは、江戸時代初期のことで、それが三井寺で起こった。
延宝2年(1674年)、三井寺の瓦師・西村半兵衛がそれまでの瓦に替わる、1種類で済む浅瓦を考案した。
明暦の大火から17年後のことである。
これが軽くて安価で作業時間が短いという優れものだった。
これを知った8代将軍吉宗が、享保5年(1720年)に瓦葺き建築を許可し、税金を免除したり建築費を貸し出したりして、浅瓦葺きの耐火建築を奨励したという(『木の国の物語』)。
江戸時代に起きたこの瓦の簡略化は、革命ともいえるものだ。
日本で初めて飛鳥寺に瓦が葺かれてから1000年後に瓦の大発明が起きたのだ。
そんな瓦の発祥の地と伝わる万徳院を訪れるのを、うっかり忘れてしまったのは痛恨だが、再訪する機会が得られたとも言える。
またいつか三井寺を参拝したい。
参考文献
多川俊映『蘇る天平の夢 興福寺中金堂再建まで。25年の歩み』集英社インターナショナル(2018)
中嶋尚志『木の国の物語』里文出版 (2017年)
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