【小話】奈良時代 土馬

八百万神のという言葉があるように、古代の日本人は至る所に神がいると考えていたが、自然や物だけでなく病気にも神の存在を見いだしていた。流行り病や治療不可能な重病は疫神(えきしん)によるものだと信じられ、疫病が蔓延すると疫神が退散するよう祈禱を行った。

衛生環境が現代と比べて格段に悪かった奈良時代は、疫病が何度も流行したがその都度、疫神を追い払う呪い(まじない)が行われた。それに使われたのが、土馬(どば)という粘土で作った馬の形をした人形である。

土馬は水に関係する川や道路の側溝、井戸から出土することが多く、完全な形で発見されることはない。足が折られていることが多く、悪霊を乗せて二度と戻ってこないように足などの体の一部を打ち折って埋葬もしくは水に流したと考えらえている。

以前「小話」の『絵馬』で馬は神が乗るものだと書いたが、疫神も馬に乗ると考えられ、呪(まじな)いで追い払う際に土馬を用いたのだ。土偶のように馬が神の依代とされたともいえる。疫神退散に使われる祭具は土馬だけでなく、人をかたどった人形(ひとがた)や土器に人の顔を描いた人面墨描土器(じんめんぼくぼうどき)というものがあり、土馬はあくまで祭具の一部だが、そこには神は馬に乗って移動するという信仰を見出すことができる。

横浜の中区にある本牧地区では現在でも「お馬流し」という神事が行われている。約450年続けられているものらしいが、茅で作った上は馬、胴体は亀の形をした「お馬さま」と呼ばれる人形を海に流す行事である。お馬さまが地域の穢れや疫を運んでくれると信じている行事である。土馬を使った疫神退散の祈祷が形を変えて現在まで残っている例といえるだろう。

本牧のお馬流しは毎年8月に行われているらしい。機会があればこうしたものを目にするのもいいのかと思う。

参考文献
ものと人間の文化史の馬
森郁夫・甲斐弓子『平城京を歩く』淡交社(2010年)

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