【小話】奈良時代 正倉院の価値

『日本の歴史3 奈良の都』に「正倉院宝庫とその収蔵品の特殊性は、それが発掘された遺品ではなく、伝世品、すなわち数十世代の人々によって守られ世に伝えらえてきた品だという点にある」と書かれている。単に1200年前の遺品ならそれほど珍しいものではなく、中国ではもっと素晴らしいものがいくつも発見されている。正倉院の価値は長い間、宝の眠る蔵が賊に襲われず、火災や雷の被害から守られてきたことにある。

またもう一つの価値は、あらゆる階層の物が残されている点にある。正倉院宝庫には聖武天皇の遺品を中心とした当時の最高級の品々から、造東大寺司の写経生や仕丁の衣服といった、庶民の日用品に至るまで、あらゆる階層が作り使った品々が残されている。

なぜ高価でない物が残されているかというと、倉が壊れる度に中の物を取り出して新しい蔵へ、と繰り返す度に宝物以外も混ざっていったかららしい(『若い人に語る奈良時代の歴史』)。品々の内、宝物は全体の3分の1くらいで、東大寺で行われた様々な法会で使われた道具類が3分の1、残りの3分の1が写経生の文房具や衣類などの庶民が使った物といわれている。奈良時代の下級官人が使った文房具や工具、麻でできた作業着などから、1200年前の日常的な生活を知ることができるのだ。

また、古文書の価値も見逃せない。正倉院には奈良時代の古文書がおおよそ1万点以上あるとされるが、これは奈良時代の古文書の99%にあたるともいわれている。奈良時代の大半の史料は正倉院にしかないともいえるのだ。古い手紙の他に戸籍・計帳・正税帳(国府の一年の財政収支報告書)といった公文書があるのだが、こうした役所で作られた文書が残っているのは、裏面をメモとして使うために造東大寺司に払い下げらたからだ。紙が貴重だった当時は、保管期間の終わった公文書を細かく切ってメモとして使った。中央に集められた公文書は寺院や他の役所に払い下げれたのだ。

ついでに正倉院の保存状態がよいのは校倉造りだからといわれたことがあったが、これはあまり関係がないらしい。最近の研究では、1200年以上も前の宝物がほぼ当時のまま、きわめてよい状態で保存されているのは、倉の中で一つ一つのモノを入れた容器のおかげだとされている。唐櫃(からびつ)と呼ばれる容器が外気の影響をあまり受けないようにしているため、あらゆる品々が良好な状態で残っているらしい。

正倉院という名称が当時は蔵を表すごくありふれたものだったことも、知られているかと思う。国司や郡司の役所である国衙や郡衙にある蔵は正倉と呼ばれたし、また寺院の蔵も正倉と呼ばれていた。全国の至る所にあった蔵が、時代が移り変わる過程で壊され朽ち果て、火災に遭い、今では東大寺に残るのみとなり、固有名詞となった。

それにしてもなぜ長い間、守られてきたのは謎である。東大寺の大仏が焼失したのは源平合戦の時と松永久秀と三好三人衆との争いの時が知られているが、その以外では、建長6年(1254年)に落雷があったらしい。江戸時代には東大寺の僧が宝物を盗んで磔になっているし、床下で火をたく乞食もいたらしい。

賊に襲われなかったのは、東大寺の周りが町屋の密集する狭い路地だったからだともいわれている(竹村公太郎『日本史の謎は「地形」で解ける 環境・民族篇』)。怪しい部外者が町屋に侵入すれば、すぐに住民に発見され、家々の戸口や窓からいくつもの僧兵の槍で突き抜かれてしまう、なんてことも本には書かれている。

いずれにしても高価な品々だけでなく、庶民の日用品や各地から送られてきた戸籍・計帳などが残っているのは大変なことだ。そういうことを知ると、奈良に行った時には一目見てみたいと思ってしまう。ちなみに、毎年11月に奈良国立博物館で行われる正倉院展では、数千点収蔵されている宝物のうち、毎年数十点しかお目にかかれないので、一生のうちすべてをみることはできないらしい。

参考文献
青木和夫『日本の歴史3 奈良の都』中公文庫

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寺崎保広『若い人に語る奈良時代の歴史』吉川弘文館(2013年)

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竹村公太郎『日本史の謎は「地形」で解ける 環境・民族篇』PHP文庫(2014年)

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