『日記で読む日本文化史』を読んでいたら、昔の僧は自分が見た夢を日記に書いていたことが書かれていた。鎌倉時代前期に明恵という僧がいたのだが、彼は40年にわたり自身の見た夢を記録して『夢之記』というものを作った。「夢」というものに惹かれるものがあったらしく、明恵は仏典の中から夢の記述を集めた『夢経抄』を纏めている。Wikipediaを見るまで知らなかったのだが、実はこの僧は栄西からもらったお茶の種を植えた人物で、宇治茶の始まりに大きく関係のある人物としても知られている。
日記に夢を書くのは中国から伝わったものらしく、中国では僧侶が夢を記録することが古くから行われており、夢に仏や菩薩、聖人が現れて本人と話し、その夢に感化されて仏道に入ったという話が語られることが多かったようだ。『日記で読む日本文化史』には、『中国でも日本でも、禅定(観想)のうちに、いわば入眠状態に入って視た幻覚も、「夢」の語を用いているという』と書かれている。
これを読んで、「夢」というものには瞑想で得られた悟りも含まれることを知り、興味深いものがあった。座禅というと無心になることだと捉えられがちだが、無くすのは雑念であって脳みそをフル回転して物事を俯瞰して考えることである。夢のお告げというものは一種の悟りともいえるのなら、各地に伝わる開基伝承も説明がつく。
数年前に電車で日本一周の旅をした時に、東北で円仁の開基伝承に違和感を覚えたことがある。恐山に行けば円仁が夢のお告げを受けてこの地に寺を建てたと聞き、山寺に行けば同じようなことがお寺の由緒に書かれていた。円仁はどれだけ東北と関わりがあるのかと調べてみたら、東北だけでも彼が開基したとされるお寺が160以上もある(Wikipediaだと関東に209寺、東北に331寺余とさらにその数が増えている)。
全てのお寺が円仁によって造られた訳ではないことは明白だが、夢のお告げというありきたりな所縁がまた胡散臭いく感じられた。いかにも有名な僧の名前を出してお寺の正当性や権威を高めようとしている感がある。そんなことを、旅をしていた時に感じたことを覚えている。
しかしそのいわれもあながち嘘ではないのかもしれない。円仁自らがその地に足を運んだ訳でないにしろ、地図を見たり弟子から聞いた情報を基に寺を建てたり、温泉を掘るのに相応しい場所を決めたのかもしれない。瞑想によって。それが夢のお告げという言い方で伝わっているのかもしれない。
日本には名僧がつくったとされる温泉や井戸、お寺が各地にあり、その由緒が疑わしいものが多い。弘法大師から付けられた「弘法の湯」をはじめ、空海には開湯伝説や開基伝承、井戸を掘ったという伝承が多く残されている。行基も同様に、終生畿内から出なかったとされているのに行基伝承のお寺や温泉は各地にある。
これらの由緒が疑わしい場所のいくつかは、空海や行基が実際に関わっているものが本当にあるのかもしれない。弟子や信者に頼まれてアドバイスをしたのが起源になっているものがあるのかもしれない。もしくは空海や行基が伝えた知識のおかげで造られたものがあるのかもしれない。そして空海や行基に感謝して、夢の中で神のお告げがあったというようなかたちにして伝え続けているのかもしれない。
参考文献
鈴木貞美『日記で読む日本文化史』平凡社(2016)
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