日本らしさがあり、他の土地にはない独特のいい景観を観たいと思うのなら、京都の伊根がお勧めだ。
ここには日本でも珍しい舟屋が並ぶ光景がある。
伊根は日本海側の丹後半島にある、若狭湾に面した港町で、海の京都と言われている。
人口2千人ほどの京都府与謝郡にある町で、古代は中国大陸との交流があったとされ、浦島伝説や徐福伝説が伝わる場所である。
伊根浦は日本海にしては珍しく波が穏やかな場所だ。
南に開けた静かな入り江で、東、西、北の三方を山に囲まれており、
目の前に浮かぶ青島が天然の防波堤となり、また急に海が深くなっているので、波が起こりにくい地形となっている。
そのため潮の干満差が年間50cm程度と極めて小さく、冬の日本海の荒波が打ち寄せてこない珍しい場所だ。
そうした地理的要件により海際に建物を建てることができ、江戸時代より舟の倉庫や漁の作業場として舟屋が建てられ、その景観が明治期から維持されてきて、現在は国の重要伝統的建造物群保存地区に指定されて保全され、観光名所となっている。
舟屋とは、1階が舟の格納庫で2階が居室という独特の構造をした家屋である。
もともと舟を海から引き揚げて風雨や虫から守るために造られた建物で、
床が海に向かって傾斜し、海水が半分くらい入るようになっている。
昔は木の舟を使っていたので舟を乾かす必要があり、それで舟屋が造られた。
二階は網を干したり漁の道具を置くための簡易的な造りだったが、
現在は木の船を使わ引き込む必要がないので、また漁師の数も減っているので、1階が海と接していない家が多い。
もともと舟屋は暮らす場所ではなく、普通は主屋に住んでいるので、舟を収納しなくなった舟屋は、魚を料理したり洗濯物を干したりする場として利用されている。
民宿を経営している家では2階を客室として使っている。
舟屋を子ども夫婦の住まいや老後の離れとして使うこともあるらしい。
現在、舟屋と主屋は道路を挟んで建っている。
元々は隣接していたが、昭和6年(1931年)に約10年の歳月をかけて幅4mの道路が敷かれることになり、その際に主屋と舟屋との間に道路が造られることになり、舟屋や蔵が海側に移設された。
舟屋という集落が海岸に密集しているのは、それだけ平地が乏しいからでもあり、道路を通すことで舟屋と主屋が離れてしまった。
『京都府の不思議辞典』より
海岸に移された蔵は江戸・明治期に造られた防火性能が高い土蔵らしい。
古い建築が好きな人は蔵を楽しむのもいいかと思う。
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【京都】舟屋が並ぶ魅力の港町 伊根 後半(電車日本一周補完の旅9日目②) | 綴る旅 (tsuzuritabi.com)
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参考文献
井本伸廣 (編集)・山嵜泰正 (編集)『京都府の不思議辞典』新人物往来社(2000年)
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