【本のレビュー】小林照幸『毒蛇』猛毒のハブの血清づくりに取り組む医学者たちの闘い

本のレビュー

ツツガムシ病について書いた『死の虫』、日本住血吸虫症について書いた『死の貝』、そしてフィラリア症(象皮病)についての『フィラリア』に続き、小林照幸氏の著書である『毒蛇』を読んでみた。上の三冊と同様に、昔から住民を苦しめてきた病気、ここではハブの毒だが、の治療を戦後に確立していく様子を描き、毒に苦しむ患者と医師・研究者のひたむきな努力が描かれている、胸の熱くなるストーリーとなっている。

古代から戦後までの長い間、多くの人たちを苦しめてきた怖ろしい病気について調べようと思い、小林照幸氏の本を読んできた自分がこの本に興味を持ったのは、返還後の沖縄の医療状況に強い興味を持ったからである。『フィラリア』を読むと、戦後の沖縄諸島は深刻な医療従事者不足による医療崩壊が起きていて、インフラも整備されていない土地であった。しかもマラリア、糞線虫症、ハブ咬症などの風土病、赤痢、チフス、ハンセン病、フィラリア症などの根絶すべき病気の多い土地だった。

今では風光明媚な観光地、健康的で長寿のイメージがある沖縄諸島が戦後間もない頃は生存するのが厳しい土地であったことは、これまでの考えを一変させるものであり、強く興味を引かれた。そんな場所でハブという猛毒の血清づくりに取り組み、有効な治療薬を普及させたのは並大抵のことではない。それをどのように成功させたのか気になり、この本を手に取ることになった。

本を読んでみると、沖縄のそうした状況は奄美諸島も同じであったことが分かる。医師や医療設備の不足、インフラの遅れ、そして糞線虫、鉤虫などの寄生虫、ワイル病、日本脳炎といった病気が根深く存在し、住民の命を脅かす。近代化の遅れた状況ともいえる、そうした地域で医療の質を上げていく困難さは恵まれた本土よりも大きく、ツツガムシ病や日本住血吸虫症よりも治療の確立が難しいといっても過言ではないと思う。

ハブの血清ができたのは明治37年(1904年)のことで、翌年には奄美大島にも使用されている。しかし当時冷蔵保存すべきその血清は、沖縄の離島では冷蔵庫がなく常温で保管されていた。冷蔵庫どころか電気が通っていない地域があり、また医師のいない地域もあった。ハブに咬まれた身内を何とか助けたいと思い悪路を車やリヤカー、担架で運んでいるうちんび命を落としてしまったことは幾度もあった。

常温で長期保存のできる血清を造り、根本的は医療制度の確立を進め、予防薬を短期間に摂取させるといった、広大なスケールでの治療の流れがこの本には書かれている。官民一体となって治療事業に当たった研究者や現地の医師をはじめとした多くの人たちの取り組みが描かれており、深く考えさせてくれる読みごたえのある内容となっている。

そして、現代にも通ずる課題もそこから見ることができる。戦後よりも格段と医療制度や設備、技術、医学、薬が発達した現代でも、過疎化や高齢化の進む地方では同じような課題がある。  

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