中公文庫『日本の歴史14 鎖国』岩生成一

日本の歴史 14 鎖国 (中公文庫 S 2-14)
鎖国

概略
1543年から1700年頃までの1世紀半におよぶ海外との関係を記した本。鎖国は一般的には、寛永16年(1639年)の江戸幕府が鎖国を決定したときから、嘉永6年(1853年)のペリー来航までの前後215年の間をさすが、狭義では、第一回鎖国令が出た寛永10年(1633年)から第五回鎖国令が出た寛永16年(1639年)をさす。この本では、鎖国令による鎖国が一応できたとされるその時期の前後となる、種子島に鉄砲が伝来した時からオランダ以外の西欧諸国との貿易を禁止し、その体制が整うまでの期間を扱っている。中公文庫日本の歴史の範囲では、12巻から16巻までの時代となる。

鎖国というとまず思い浮かぶのはキリスト教に対する幕府の政策というものだが、著者は「キリスト教の禁圧は表面的な理由とはなっているが、当時の政治上・経済上・外交上・軍事上、あるいは思想・宗教上など、各方面の根ぶかい要請が絡み合って、はじめて形成されたものであった」として鎖国を扱っている。

宗教政策や貿易の独占という面だけでなく、外交や軍事の面からも鎖国の意味を理解する必要がある。そして同時に、日本が鎖国を行えるだけの国力があったことも見落とせない。いくら頑なに海外勢力を排除しようとしても、国力が無ければ東南アジア諸国のように植民地化されてしまう。当時日本がそうならなかったのは、今では広く知られているが、世界最大の鉄砲所有国であり、軍事力が高かったからである。そして強い軍事力を持てたのは、高い生産力があったからでもあるし、鉄砲や弾薬の原料を輸入できるだけの金・銀・銅といった、外国が欲しがる資源があったからでもある。

出島に2年間滞在した医師として知られるケンペルが評価しているように、日本の鎖国は国内の情勢に即応した賢明な政策であった。他の大陸から隔絶している島国で自然の恩恵が豊かであり、国民は勤勉で優秀な工芸品を作り自給自足が可能であり、戦乱もなく国内が安定している日本は、国民の幸福と安寧、幕府の安泰を維持するための当然の政策であった。

江戸幕府が倒れ明治政府ができると、鎖国への批判は増え、日本を海外との競争から遠ざけた愚策としてとらえられることが多いが、本ではそれらの批判を挙げた上で、評価をするのはまだ先のことだとしている。海外に膨大な量の文献が残されていて、それらの文献を実証的に検証してからだとしている。

ただ、信長・秀吉・家康の海外へ開かれた広い視野は、3代目家光によって狭いものになり、「せっかく拡大しかけた日本人の世界知識は、鎖国を転機をして急速に縮小していった」と記している。キリスト教の書物だけでなく漢書に至るまでキリスト教に関する語が本に含まれているものを禁書としたため、「国民の世界知識吸収の途は、一時、まったくとざされた」、「キリスト教を媒介として導入されかけたヨーロッパの合理精神の芽をもつみとってしまう結果となった」と評価をくだしている。

日本の歴史 14 鎖国 (中公文庫 S 2-14)
鎖国

読んだきっかけ
中公文庫の日本の歴史13巻の『江戸開府』の続きとして読んだ。13巻~15巻は同じ時代を扱った一つのセットとして書かれているので、徳川幕府の幕藩体制を創り上げた時期の海外との関係を理解するものとして、14巻の『鎖国』を読んだ。

正直本を手に取った時は、鎖国だけで一冊も読むのかと少し退屈に思えたが、どうせこの先読むことになるため、とりあえず読んでみようと思い軽い気持ちで読むにことにした。

現在、「旅の拾いもの」の電車日本一周編が中断してしまっているが、この先、長崎の旅を書く時には、長崎貿易に関することを書くことになる。長崎の歴史や文化を書く時に、オランダや中国との鎖国期の貿易は避けられないので、どのみち鎖国の歴史を知っておく必要がある。早かれ遅かれいつかは鎖国や長崎貿易について調べる必要が出てくるので、それなら早いうちに読んでおこうということで本書を手に取ることにした。

読んでよかった点
『鎖国』を読むのはあまり気乗りがしなかったが、これが予想に反して面白かった。3冊の中で一番面白い。13巻の『江戸開府』と15巻の『大名と百姓』と比べた時、『鎖国』が一番退屈するだろうと思っていたが、読んでいくうちに自分の関心のあることがいろいろと書かれていて、読み応えのある本だった。

江戸幕府設立前後の海外との関わりを教科書よりも断然詳しく知ることができたのは勿論だが、海外に渡った日本人のことや輸入品・輸出品のことも詳しく知ることができた。ざっと大まかに書かれていることを紹介すると、鉄砲伝来、キリスト教の布教、南蛮貿易、信長・秀吉・家康の外交、キリシタン禁令、朱印船の貿易、海外の日本町、輸入品・輸出品、鎖国に至る流れ、出島、唐船との貿易、といったように、一冊の中にいろいろなことが書かれている。

政治的な事柄や外交政策といった堅苦しい話だけでなく、海外に渡った庶民の暮らしや、オランダや朝鮮人の目に映る日本人の様子、海外に渡る貿易船の構造や渡航の様子も知ることができる。有名な戦国武将に仕えた一騎当千の猛者の息子が、父の菩提を弔うために、カンボジアのアンコールワットまでお参りしに行き、アンコールワットの柱に落書きをしてしまったなんていう話も面白かった。

長くなってしまうので、3つに絞って本を読んで知れてよかったことを書いていこうと思う。

鎖国期の輸入品・輸出品
日本の文化や伝統に興味がある自分にとっては、輸入品や輸出品の記述は面白かった。製品の原料を輸入して、国内で加工して輸出するといった当時の貿易は、今日の日本の貿易と同じ性格で非常に興味深い。例えば、鉛を輸入して鉄砲の弾を輸出しているし、南蛮貿易によって日本に持ち込まれた煙草を国内で生産して、それを海外に輸出している。

輸出品と言えば金・銀・銅が有名だが、それら鉱物と並び海外に日本の手工業品が売られていた。当時海外では貴重だった銅で作られたやかんをはじめ、小刀、鋏(はさみ)、紙、扇子、和傘、屏風、蒔絵の小道具、据風呂(すえぶろ)という、今でいうユニットバスのようなもの、なども輸出されている。

海外に移住している日本人向けの物もあるだろうが、現地でお金を持っている西洋人やアジア人が珍しがって使ったのだろう。日本人が作る製品は見映えがよく品質も良く、当時から日本の製品の評判が高かったことが分かる。

少し時期が前になるが、大きいものでは船も海外に売っている。伊達政宗が造った黒船はフィリピン政庁の熱心な要請に応えて譲り渡され、元和9年(1623年)にはフィリピン総督は一隻の建造を発注している。日本の造船技術はヨーロッパの技術を取り入れて大いに発達し、段々外国人から評価されるようになった。

外国からの受注を受けたのは、良質な木材を使用しているのに建造単価が安かったからだが、短期間で技術を発達させ、低コスト高品質の商品を造れる能力が当時から日本にはあり、それが海外から評価されていた。火縄銃を日本に伝来した南蛮人が、これで日本で銃が売れると大量に船に積み込んで数年後に日本に売りに来たら、既に日本では大量生産されていて唖然とした、なんて話は有名だが、多少の話を盛っているにせよ、日本人の国民性を端的に表しているものといえる。そしてその性格に目をつけたオランダ人が、日本で大量に陶磁器を作らせヨーロッパで売るようになり、日本では陶磁器の技術・文化が更に発展することになる。

その他にも、江戸時代初期には醤油がオランダ船に乗って海外に渡っていたことや、日本で高価で売れたことで知られる砂糖は、白砂糖よりも黒砂糖の方が人気があって値段が高かったこと、オランダよりも唐船の方が砂糖を日本に持って来ていたことなども知れて面白い。個人的に興味があり読んでいて面白かったのだが、それらを書いてしまうと長くなってしまうので、このサイトの「小話」のカテゴリーでオランダや中国との貿易のことはいくつか書こうと思う。

幕府による貿易独占の意図
上記のように、堅苦しい話ばかりでなく予想に反して読みやすかったが、やはり鎖国がどういうものだったのかという本の主題についても触れておきたい。

鎖国はキリスト教対策と幕府による貿易の独占と捉えられているが、軍事的な側面も見逃せない。幕府が貿易を独占することで、諸藩よりも圧倒的な軍事力を保有するメリットがあったことが、本を読んで理解できる。当時の最先端の武器であった火縄銃の弾に必要な硝石は、日本国内ではほとんど採ることが出来なかった。鉄砲の弾を打つ時に必要な火薬の原料となる硝石は、南蛮貿易の時から各戦国大名がこぞって手に入れようとした戦争に欠かせない重要なものである。この硝石欲しさに自国の領土をポルトガル人にあげて貿易をしたり、日本人を奴隷として売ったほどである。

鉄砲の使用は桶狭間の戦いで使われ、また家康が三河で独立した時に起きた三河一向一揆の時にも使われており、鉄砲は割と早い段階で各地で使用されていた。鉄砲が戦争に欠かせない武器となると、その弾や火薬、鉄砲を作る鉄を他国よりも多く、できれば独占して外国から仕入れることができれば、自国の軍事的優位を保つことができる。家康は大坂の陣の前に大量の鉛を買い占めていることから分かるように(結局使われることなく豊臣家滅亡後にアジアに輸出されたが)、海外との貿易は幕府を長期政権にするうえで軍事面からも独占すべ政策であった。

貿易による多大な利益を幕府が独占することで諸藩が経済的に力を持たないようにしただけでなく、軍事力的にも幕府が諸藩より優位に立つ意図が鎖国にあったと思われる。また、海外に大量に流出していく金・銀・銅を管理するといった面でも、幕府が貿易を独占する必要性があったと思われる。マクロ経済学からみても、当時まだ経済学が発展していない頃は、幕府が経済を一元管理する必要があったと考えられる。

そして、江戸幕府は鎖国によって学問の独占も図ったと思われる。航海術や砲術、天文学や地理学、医学などの学問を長崎奉行をはじめとした限られた幕府の役人が習得することで、産業の面でも幕府が諸藩よりも優位に立とうとしたことも考えられる。

蘭学といえば医学が特に有名だが、1668年には、長崎通詞で以後蘭方医学の祖と呼ばれるようになる西玄甫が、オランダ人に西洋医学を修業したとことを証明した免許状を受けている。それには、「他のいかなる日本人の医者よりも優れており、オランダ人の外科医と同様にみなされることを証明する」と書かれている。

また、オランダの名医ライネが延宝2年(1674年)に来日した際には、日本の医者3名が数年前に輸入し翻訳していた解剖書を持って行って、不明な点を質問している。解体新書に先立つこと1世紀にそうしたことがあり、幕府は海外の進んだ科学技術を積極的に独占的に取り入れたことが分かる。

経済、武器、科学技術を独占することによって幕府が諸藩からの優位性を保ち、安定した長期政権を運営しようとしたことが、本を読んで読み取れる。ついでに、鎖国が行われたことでオランダとの貿易高は増えていて、鎖国令が出たことで日本が貿易を少なくしたというのは、近年では信じられていない。

国防としての海外遠征計画
幕府による貿易の独占について触れたが、鎖国をした理由で外せないのは、やはりキリスト教対策だろう。江戸幕府にとって長期政権を行い国内を平和にすることが一番の優先事項だが、そのためには国内だけに注意していればよかった時代はとうに過ぎていた。スペイン・ポルトガル・イギリス・オランダの西欧諸国の動向にいかに対応するかが、国内を守る重要事項であった。

キリシタンを扇動し各地で反乱を起こし、その後に軍艦を率いて政府を倒し植民地化するといったいった西欧諸国の常套手段は既に幕府官僚には認識されていて、その手先となるのが宣教師だったことも広く知られていた。着実に信者を獲得しその勢力を広げていく様子を警戒した幕府は、禁教令を出し日本人のキリスト教化を防ぐが、潜入してくる宣教師は後を絶たなかった。キリシタンを弾圧し潜入した宣教師を処刑してもなお、宣教師が送られてくる状況を変えるために、そこで幕府は当時スペインの植民地であり宣教師が滞在している場所であるルソン島(現在のフィリピン)を武力で征服しようと考えるようになる。

これは呂宋(ルソン)島遠征計画といわれるもので、寛永7年(1630年)にマニラに軍備を偵察するための使節が派遣されている。島原の乱の主因を作った人物として知られている松倉重政が率先して計画を実行したのだが、船が出航してからわずか5日で重政が病死し、また現地でも事前に情報が漏れたためか期待できる成果が挙げられなかったことから、この計画は取り止めとなる。しかしその数年後、再度ルソン島遠征の話が上がり、幕府はオランダに対して実行する際には軍艦を率いて協力しろと、日本での貿易の独占をほのめかせながら、約束させている。この計画は島原の乱が起きたことで中止された。

日本の国防を考えた際に、ひっきりなしに海外勢力の侵略の危険性がある時は、自国の外に占領地を確保してそこで食い止めるようにするのが常套手段であり、日本は台湾やマニラを占拠するつもりがあった。オランダとの外交でどちらかがどちらかの島を占拠するといった話もあったようだ。

マニラの制圧はなにもこの時期に始まったことではなく、秀吉の時に既に計画されていた。それは南蛮船が日本に来るのを食い止める政策であり、その一環として朝鮮侵略を行ったという意見も、近年ではある程度認められているようだ(スペイン人が朝鮮半島をまず侵略してそこを武器や食料の補給地し、そこから最短距離で日本に攻め込み、キリシタンを率いて豊臣政権を倒すことを秀吉は危惧していた。それならば先に朝鮮半島を占領しておこうという計画があったことが知られているが、それは『鎖国』で書かれていることではないので、別の機会にする)。

海外に打って出るという選択肢がありながらもそうしなかった理由は何だったのかと考えるのも、また別の見方で徳川幕府ができた江戸時代初期を考えることができ、興味深い。呂宋島遠征計画を中断させた島原の乱についても近年ではこれまでとは違った説が出ている(これも『鎖国』に書かれていることではないが、ポルトガルがルソン遠征計画に先手を打つ形で島原の乱を起こしたという説も近年注目されている)。

以上の3点から、鎖国について詳しく知ることができたし、今後調べみたいと思える事柄が増えた。『鎖国』は13巻のと15巻とセットと書いたが、他の2冊と合わせて読むのも良いと思う。13巻では幕藩体制が完成していくにつれて、諸藩への圧力が幕府内の家臣や将軍の血縁者に向けられていったことが書かれている。身内こそ幕府の意からそれて独断的なことをする人材は容赦なく取り潰すようになるのだが、そうした状況を考えると、幕府がオランダ・中国との窓口を長崎の一ヶ所に限定した理由もうなずける。

また15巻では、幕府が百姓を財政基盤に取り込み全国の商業を支配する必要性から鎖国が行われたことや、諸大名への恣意的な改易が減り幕府と大名との関係が安定し、成長している経済を保ちながら幕府を安定させるために鎖国を行ったことが書かれている。先の海外遠征は、選択肢がありながらも現実的には鎖国する他なかったと書いている。13巻〜15巻の3冊セットで読むと、より鎖国への理解が深まるのかと思う。

長くなってしまうのでこの辺にしておくが、その他にも海外に渡航した日本人のことや、オランダよりも貿易量の多かった中国との貿易、西欧諸国に優位性をもって強気の外交をしていた徳川幕府、キリスト教の禁教によって檀家制度や五人組が堅固なものになったことなど、江戸時代初期について新たに考え直す機会になったものが沢山ある。

日本の歴史 14 鎖国 (中公文庫 S 2-14)
鎖国

今ひとつだった点
出版された時代を考慮すると、近年の鎖国に関する通説よりも物足りなくなってしまうのは仕方のないことである。「概略」でも書いているが、海外にはまだ多くの文献が残されており、著者は本の中で鎖国について「その決定的評価は、今後、さらに綿密な実証的史料の積上げを経てなされねばならぬだろう」と結んでいる。そういう意味では今一つと思う点は電子書籍化されていない点くらいしかないのだが、強いて書くとすれば、宗教に対する記述がもっとあればと感じた。

キリシタンが危険視された訳だが、なぜキリスト教は危険だったのか、キリスト教すべてが危険だったのか、日本人には宗教が危険だという認識・免疫がなかったのか、その辺のことについても触れられていたら、更に鎖国という政策に対する理解が深まるのではないかと思った。

キリスト教が一神教で他の宗教を認めないことは、イスラム教と同じ性格があることとしてよく知られていることである。日本の神道とも比較され、寛容性のない宗教と捉えられることが多い。しかし、キリスト教といってもいろいろな宗派があり、よく知られているカトリックとプロテスタントは、両者の考え方が大分違う。どちらもアジアを植民地にして貿易で利益を上げた訳だが、その植民地化の方針も両者で異なる。

カトリックは異教徒を改宗させてやるのが自分らの使命だ考えるのに対して、プロテスタントは予定説から分かるように、異教徒を改宗させるまで踏み込もうとしない。幕府に危険視されたのは当然カトリック国だが、カトリックの中でも、イエズス会、フランシスコ会、ドミニコ会、アウグスチノ会と更に組織が分かれており、組織によってその危険度が違うし、会同士で対立することもあった。

幕府が危険視したカトリックは、前述のように宣教師を侵略の手先として信者を増やし、信者が団結して反乱を起こすことで国内を混乱させる。その後に軍艦で本隊が上陸するのだが、反乱を起こす信者は銃や弾丸を装備している訳で、城に立てこもることも容易にできる。キリシタンがそうしたことをやりかねないのは、南蛮貿易が始まりしばらくした頃からその兆候が表れており、信長・秀吉といった当時の為政者は既に知っていた。戦国期に九州でキリシタンが増えた時、領地を寄進されたカトリック宣教師とその信者が行ったは、寺社仏閣の破壊と領民・領主へのキリスト教への改宗の強要である。

織田信長の寺社勢力への攻撃以前から、日本では一向一揆をはじめとした宗教勢力に手を焼いてきた歴史があり、秀吉・家康が天下を統一していく過程でそれらを押さえつけ、宗教と政治を多大な時間と労力をかけて切り離してきた。その問題が、さらに難易度を上げて出てきたことも、鎖国を考える際に考えないといけない問題である。上記の三傑は政治に口を出さなければ信仰するのは自由だというスタンスで政治を行っている。政治に介入しなければどの宗派を信仰してもいいですよ、でも他宗を武力で攻撃するのはやめなさい、武力で蜂起したら制圧しますよ、というスタンスでいる(誤解のないように、キリスト教だけが他宗を攻撃した訳ではなく、日本でも他宗派を迫害・弾圧した寺社勢力があった)。

当時のカトリックの危険さが分かると、幕府が書物の輸入に至るまで徹底期に排除しようとした経緯も理解できる。そしてそうした背景には、長い間苦しめられてきた宗教勢力に対する武家の苦い経験があり、断固国策として政教分離を断行した理由が理解できる。

とはいえ、それらを書いたならただでさえ500ページもある分厚い本が2冊になってしまうだろう。強いて今一つだった点を挙げたが、鎖国を知りたい人には入門書として読んでみるのもいいのではないかと思う。そして、本に書かれたことをある程度押さえた上で、近年の鎖国の通説が書かれた本を読んでみるのもいいのではないかと思う(最近では鎖国という語句は用いられず、かぎかっこ付きの鎖国(いわゆる鎖国の意)、「四つの口」、「海禁」と表記されるようになり、2、30年前の日本が国を閉ざした政策とは考えられていない)。

日本の歴史 14 鎖国 (中公文庫 S 2-14)
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