平安時代の貴族は病気になると、医者よりもまずは祈祷師を呼んだ。当時は病気が発症するともののけや怨霊の仕業だと考え、病人に憑りついたもののけや怨霊を追い出すことに専念した。僧侶や陰陽師を祈禱師として呼び、よりましという病人に憑りついたもののけを移らせる少女を呼ぶ。よりましにはその家に仕えている少女をあてるが、どの家にもあらかじめよりましを用意していたらしい。そして呪文を唱えもののけをよりましに移し、よりましの口を借りて恨み言をしゃべるのを聞いてもののけの正体を知り、慰めたり説経をしたりして怨霊を鎮める。
当然そのような祈祷で病気が必ずしも治るはずもなく、枕草子には祈祷の頼りない僧を「すさまじきもの(興ざめすること)として次のように描いている。祈禱師がもののけを調伏すると言ってもっともらしい顔をつくって、よりましに数珠を持たせて、声を振り絞って呪文を唱えるが一向によりましに乗り移る気配がない。集まった家の者がおかしいなと思っているうちに、とうとう呪文を唱えるのにくたびれてしてまって、駄目だあっち行ってしまえとよりましから数珠を取り上げ、験がないわいと言って大あくびをしてそのまま物に寄りかかって寝てしまった。
また「にくきもの」として、急病人が出たので祈禱師の行く先を探させるがなかなか来ない。やっとのことで見つけ出し祈祷をお願いするが、座ったかと思うとたちまち祈祷の声が眠り声になってしまった。近頃同じような病気が流行っていて方々の調伏に引っ張りだこで、祈禱師の方も仕事仕事で疲れ切ってしまっていたらしい。祈祷には僧侶か陰陽師があたることが多かったが、僧侶は密教の僧が多かったようだ。
そんな祈祷でも、薬の効能にそれほど頼れない平安時代ではそれなりに効果があったようで、『病が語る日本史』にはこんな話が載っている。藤原道長が談話中に胸の痛みが出て発作が起こり大声を出して苦しんだ時に、僧侶が急いで集まり加持祈祷をしたら霊気が他人に移って胸の痛みは収まったらしい。狭心症か心臓神経症と見られる症状だったのだが、そうしたものなら当時は医者がいたところでたちまち効く薬もないから、祈祷の方が効果をあげたにちがいない、と本には書かれている。薬がなくどうにもならない時は、加持でも精神的な面で効果があったのだろう。祈禱師による加持や調伏は薬よりも効くものであり、当時は祈祷が主であり医薬が従の立場であった。
参考文献
土田直鎮『日本の歴史5 王朝の貴族』中公文庫
酒井シヅ『病が語る日本史』講談社学術文庫(2008)
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