薬師寺を参拝した時に、資料館のような展示場所で和釘を見た。釘というと西洋のイメージがあるが日本にも古代から釘があったのか、と驚き、写真を撮った。
旅を終えてから、和釘が寺院建築に欠かせないものだと知った。法隆寺と薬師寺を改修した宮大工の棟梁・西岡常一が書いた『木に学べ』によると、一つの塔を造るのに和釘を3千~5千使っているという。
しかも和釘の寿命は長く、洋釘の寿命が数十年なのに対し、和釘は千年以上持つという。
『木の国の物語』によると、和釘は頭に近い方はやや細く、真ん中辺りは太く凸凹していて、先端は細くなるという。この凸凹した釘を木に打ち込むと木と釘の間に隙間が生じ、木の繊維が元に戻ろうとして繊維が膨らんで隙間を埋め、釘と密着するのだそうだ。そのため釘の頭が錆びて落ちたとしても、釘が木から抜けることはない。
そもそも和釘は外の空気に触れている場所を除き、そう簡単に錆びないようだ。和釘は原料に砂鉄を使い、たたらという製鉄技法で作られる。純度が高く、熱して何度も何度も叩くことによって強度が強くなり、さらに錆びにくくなるらしい。
現在の洋釘は加工しやすいように鉄以外のいろいろな物を混ぜて大量に生産されている。そのため錆びやすく、その錆で周りの木を腐らせ、時間が経つと釘自体が抜けてしまう。これに対して古い和釘は木にはまっている場所は錆びることがなく、木を腐らせることがない。
『木に学べ』には古い寺院を解体すると、刀鍛冶が高い値段で買っていき、刀を作るとある。飛鳥時代の和釘はたたらを踏んで砂鉄から作ったため、たたき直せばまた使えるのだそうだ。
和釘は木造船にも使われていた。海水にふれて人の命をのせてる船に使うにはこうした信頼できる素材が不可欠だったようだ。
和釘を木にはめる時は、ノミで彫って釘を入れ、止まったら抜いてまたノミで彫ってと繰り返し、和釘を1本差すのに半日かける。
そんなことを知ると、ただ展示されているだけの錆びた大きな釘も、見どころがある。
参考文献
『木に学べ』
『木の国の物語』
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