画像は『病草紙』(出典:国立国会図書館デジタルコレクション)
平安時代頃の病気を書いた絵巻物に『病草紙(やまいのそうし)』というものがある。平安時代末期か鎌倉時代初期の作といわれる、当時の病気や奇形の話を描いた絵巻である。そこに足が象の皮のように腫れて膨れてしまっている女性が描かれている。
これはフィラリア症という寄生虫病である。バンクロフト糸状虫(ミクロフィラリア)がリンパ管に寄生することによって体の一部が尋常でないくらい大きくなってしまう病気である。ミクロフィラリアという寄生虫がどこのリンパ管に住み着かで症状の出る部位も異なる。
太ももの付け根のリンパ管に成虫がとぐろを巻くと、足が膨れる象皮病となり、睾丸周囲のリンパ管にとぐろを巻くと陰嚢が大きくなり陰嚢水腫となり、乳房のリンパ官にとぐろを巻くと乳房肥大となる。ミクロフィラリアが体内に寄生することで、足、陰嚢、乳房が異常に大きくなってしまう病気をフィラリア症という。
江戸時代の葛飾北斎が描いた『北斎漫画 十二編』には、大きな陰嚢を担いでそれを見世物にしてお金を稼ぐ興行が描かれている。酷いと陰嚢が地面についてしまうほど肥大化する。西郷隆盛も陰嚢水腫だったといわれており、西南戦争で敗れ自決した時の死体確認の際に、左手の刀の刺傷と陰嚢の大きさが決め手となったともいわれている。
この病気は蚊に刺されると発症する。蚊に刺されると体内にミクロフィラリアが侵入し発病するが、発症者の血を吸った蚊が別の人を刺せば、その人にも寄生虫が振り分けられ、発症する可能性が高くなる。日本では北は青森から南は沖縄まで全国に広がっていたが、特に奄美と沖縄の感染者は多く、戦後は全人口の4割近くが羅患しており、世界で最も羅漢率が高い地域とされていた。
症状が出るまでの過程は、始めのうちはマラリヤの発熱発作に似ている。悪寒発熱が短ければ1日、長ければ3、4日起こり、月に5度ほど数年間に亘って起こる。熱発作がなくなったと喜んでいたら、足や陰嚢、乳房が大きくなり、また尿が時々牛乳のように白くなり、フィラリア症に罹ったことが分かる。
マラリヤと違って命の危険はないため、戦後アメリカの支援を受けて様々な病気が根絶に向けて取り組まれた時も後回しにされた。戦後までは一度罹ったら治らない病気で、生涯にわたり患者を精神的に苦しめた病気である。身内の結婚に障るということでハンセン病の施設に送られたり、山奥に小屋を建ててそこに住まわされた患者もいた (小林照幸『フィラリア』) 。
戦後にアメリカのDECという薬が効くことが分かり、国内でスパトニンという薬が製造され、国をあげて各地の根絶に取り組み、1988年に他県に遅れて沖縄県でフィラリア症の根絶宣言が出されたことで、この病気は過去のものとなった。
現在では犬がかかる病気として知られている。犬は人間が感染する場合と違い、死亡率が高い(寄生虫が血管、心臓、肺に巣くい血液循環を乱し肝臓・腎臓の機能を低下させるため)。しかし、人を刺さない蚊(人の血を好まない蚊)によって媒介されるため、人間が感染することはない。
奄美大島や沖縄とその周辺の離島、愛媛、長崎、熊本、宮崎、大分、高知、東京の八丈島が特に感染者が多かったらしい(小林照幸『フィラリア』)。「フィラリア」と検索しても出てこないが「象皮病」と検索すると衝撃的な画像が出てきて、この病気の怖ろしさが理解できる。
発症した患者は差別という精神的苦痛を死ぬまで強いられたことを思うと、いろいろと考えさせられるものがある。
参考文献
酒井シヅ『病が語る日本史』講談社学術文庫(2008)
小林照幸『フィラリア』TBSブリタニカ(1994)
コメント