【旅エッセイ】日本一周1日目 自分にとってのパワースポットだった浜松城

静岡県

旅に出かける時はいつも、わくわくしたり、どきどきする。旅をする日はどんなに睡眠時間が短くても、多少仕事で疲れが溜まっていても、早朝にすっと起きて始発で新宿駅に向かう。家を出てから最寄り駅まで歩くその数分間の道のりは、必ずといっていいほど、わくわくしたり、どきどきしたりする。まだ明るくなっていない空を眺めながら、これから向かう旅先への期待が膨らみ、まだ何も起きていないのに、今日は何ていい1日なんだろう、なんて思ってしまうのだ。

そんな気分の高揚が、日本一周の時の旅の初日にはなかった。あるのは旅への不安と緊張感だけだった。今では休日に旅をするようになったが、当時は旅をすることがほとんどなかった。普段しないことをする訳だから、不安もその分大きくなり、旅先で大変なことが起きなければいいなと不安で仕方がなかった。

台風で電車が止まって宿も無いような田舎の駅で降りる羽目になったらどうしようか、最終のバスに乗り遅れて山の中に取り残されたらどうしようかと、そんなことを考えていた。電車で寝過ごして変な駅で降りるのもそうだし、スマホや財布を無くすのもそうだ。そういったことが起こらないとも限らないから、旅をするのが不安で仕方がなかった。仕事を辞めたからには、日本一周くらいのことをしないと勿体ないなんて思ったが、いざ旅に出るとなると面倒臭いなという気持ちも正直あった。

そんな旅の初日は、残念ながら天気には恵まれなかった。雲に覆われたどんよりとした1日だった。旅の最初の見どころは伊勢神宮だが、それまでに静岡県と愛知県に立ち寄る予定を立てていた。1日1つの県に行って、自分の興味のある観光地を歩いて何かしら学ぼうと意気込んでいたが、もう既に気持ちは伊勢神宮に向かっていた。静岡県や愛知県はそれまでのつなぎというか、消化試合のようなもので、気持ちがいまいち乗らなかった。

2015年7月東京品川駅にて

そんな気持ちで旅をスタートしたが、静岡駅の登呂遺跡は意外と面白かった。パネルの解説が分かりやすく興味を持てるものがいろいろとあった。その後に行った駿府城はただの公園だった。堀と門があるだけで、城がなければ博物館もない。おまけに公園に着いた途端に大雨が降り、軒下で雨が上がるのを待つ羽目になった。確か日本庭園があったのだが、せっかく来たからには庭園や公園の敷地を歩いてみようと思っていた気持ちも大雨で一気に冷めてしまい、雨が上がると同時にすぐさま静岡駅に戻ってしまった。駿府城でしたことと言えば雨宿りとかいた汗を拭いただけだった。

静岡駅から登呂遺跡と駿府城に行った時に、大きなリュックを駅のコインロッカーに預けていたら、無駄に疲れずに済んだ。しかし、旅の初日はそんなことに気付く余裕などなく、大きなリュックを背負って歩き回っていた。蒸し暑さとかいた汗とで不快感があり、気分のいい旅ではなかった。

しかしそんな気分も、浜松城に着いたらすっかり変わってしまった。城の近くにある日本庭園を歩いていたら、これまでの疲れや不快感がどこかにいってしまった。名庭園といわれるような庭園ではないが、静かで緑が豊かで、滝や竹林や石畳があり、心休まる空間だった。誰にも会うことなく、一人静かに園内を歩き、滝の流れる音を聞いていると、すっと心が軽くなったのだ。

旅に出るまでは仕事が忙しく、退職する前の1年間はほとんど休日がなかった。いつ以来だろうか。久し振りに自然のなかで一人きりになり、新鮮な感じもあり心が休まった。ここがどういう場所なのかは知らないが、自分にとってはこの空間がパワースポットであり、大自然の中にいるのと何一つ変わらぬ感覚だった。

日本一周の旅を終えてから、今でも休日に一人で旅をするのは、こういう体験があったからだ。もちろん人との触れ合いや、その土地の文化や歴史を知ることも旅の醍醐味であるが、人気の少ない自然の中に身を置くことも、同じように旅が楽しい由縁である。一人は時に寂しいものだが、こういう自然の中にいる時は、リラックスしたりリフレッシュでき、寛(くつろ)ぎを得られる。こういった経験ができたことは、本当に良かったと思う。

庭園を歩き、気持ちが落ち着くと、浜松城の天守閣に登った。館内は見所のある展示物があった訳ではなく、天守閣からの展望もいいものではなかったが、当時の面影を残す石垣は印象的だった。400年以上前に積み上げられた石垣を目の当たりにすると、自然と当時はどんな時代だったのだろうかと想像してしまう。

浜松城は、徳川家康が29歳から45歳までの17年間過ごした城である。家康はこの城にいる間に幾つもの難題に立ち向かった。武田信玄に惨敗した三方ヶ原の戦い、長男信康の切腹、本能寺の変による伊賀越え、小牧・長久手の戦い、そして豊臣秀吉への臣従。次から次へと困難が目の前に立ちはだかるが、それを一つずつ解決していく。豊臣家に服属してからは江戸に左遷させられ、さらなる辛酸をなめる。そんな苦難の連続だったが、遂には天下統一を果たしてしまう(天下を収めた後も難題は尽きないのだが)。

何だかんだいって、天下を取ったのはもの凄いことだ。家康の人柄や自分が家康を好きか嫌いかを抜きにして、一番になることはいうまでもなく凄いことだ。ましてや命をかけていた時代のことだ。自分には想像もできないほどの人生だということだけは、間違いない。

旅の初日で感じた、不安がどうの、緊張感がどうの、天気が悪くてどうの、蒸していて汗をかいてどうの…そんなことは全て些細なことに思えてしまう。自分は旅をする前までは、報われることのない仕事に休日を返上して働いたが、そんなことも、家康の人生に比べたらたかが知れている。足元にも及ばない。家康に限らず歴史に名を残した戦国大名しかり、名もなき武将、商人、村人しかり。戦国時代に限らず、どの時代でも、命を懸けて必死に生きようとしてきた人達がいる。

2015年浜松城公園

そんなことを思うと、素直に「まだまだ自分はできるな」とか「どこまでもやれるな」と思えてしまう。やりたくない仕事を我慢しろとか、もっと境遇の悪い中でやっている人がいるんだから頑張れるだろとか、そんなことを言いたいのではない。何かやりたいことがあって、それに対して自信が持てなかったり、うまく行くのか不安だったりしているのなら、そんなことは些細な事に思えてしまうと言いたいのだ。

人間には困難を乗り越えられる力があるし、その気になれば気力も体力も、そんなものいくらでも出てくるものだ。今の自分がいかに恵まれているかをちゃんと理解すれば、いくらでも前に進めると思えてくる。やりたいことがあるのなら、人目なんて気にする必要はないし、将来を不安に思うこともない。そんなことを浜松城を散策していると思ってしまった。うまく言えないのだが、人間の可能性のようなものを感じてしまった。

2015年浜松城公園

こういう場所をパワースポットというのだろう。自分の中では先の庭園のような、自然に癒される場所もパワースポットだし、神々しい場所もパワースポットだ。それと同じように、やる気が出たり元気になる場所も、パワースポットだ。

そんな自分なりのパワースポットを見つけられるのなら、旅をするのは悪いことではない。多少お金をかけてもいいとさえ思える。少し前に歴女ブームが起きたが、戦国武将の所縁(ゆかり)の地に足を運んでやる気が出たり、仕事や家事を頑張ろうと思えるのなら、それはいいことだと思う。自分の好きな武将の人柄や逸話が事実とは全く違ったものであっても、元気になれるのならいいじゃないかと思う。素直にそう思う。何なら架空の人物でもいい。そう思うと、アニメの聖地巡礼もあながち馬鹿にはできないんだな、と思えてくる。人目を気にせず好きなことをすればいい訳だし、旅のスタイルなんて人それぞれでいいのだ。

2015年浜松城公園

さて、そんないい経験が旅の初日にできたが、不安は寝床を見つけるまでは消えることがなかった。旅での一番の不安は、寝床の確保だ。無人駅で寝たり、田舎の公園や人のいない建物の軒下で野宿だけは避けたい。安全面で避けたいというのは勿論、蚊に刺されまくるのは嫌だ。それに、眠りが浅くなることで体調を崩して旅に支障が出るのは、一番避けたい。今回の旅では、ネットカフェ(漫画喫茶)が寝床になることが多いのだが、ネットカフェで一番心配なのは、お店がやっているかどうかということだ。だから、宿泊地の岡崎駅に降りた時は、真っ先にネットカフェが潰れず営業しているかを見に行った。

幸い、泊まる予定のネットカフェは営業しており、安心して1日を終えることができた。店内のブースは足の伸ばせない狭いものだったが、それでもまったく不満はなかった。当時の日記にも寝床があって良かったという心情が書かれていて、不満だったことは書かれていない。

2015年旅の初日に泊まった岡崎のネットカフェ

旅の1日目は、そんな1日だった。何と言っても、旅の良さを改めて知ることができた1日だった。この体験のおかげで、数年後に旅に出るようになった。約2ヶ月電車で日本一周した後は、旅にうんざりしてしばらくは旅に出なかった。それに、転職先で落ち着くまで時間もかかった。しかし、仕事が落ち着き、自分の時間が取れるようになると、ふと旅のことを思い出し、それから旅を再開することになった。

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