【滋賀県】予備知識なしでも楽しめる三井寺

滋賀県

かつて大きな力を持ち、比叡山延暦寺に対抗した寺院、三井寺。
2022年の春に訪れた時は、下調べが間に合わず、予備知識もなく参拝したが、歩いて楽しい寺院だった。

現在の三井寺の境内は、明治時代に寺領が没収され往時の面影は薄いが、それでも境内を歩くとその広さを実感し、かつて大きな力を持っていたことが感じられる。

三井寺で一番人気の見どころは、弁慶の引き摺り鐘だろう。
延暦寺から焼き討ちされた際に、武蔵坊弁慶が三井寺の鐘を奪い引き摺って延暦寺に持って行き、崖から落とし、その時の傷が残されていると伝わる鐘である。

江戸時代のガイドブックに紹介され、三井寺を参詣した当時の江戸時代の人々がこの鍋を観たことが書かれている。

鐘の隣には弁慶の汁鍋という、武蔵坊弁慶が所持していたと伝わる大鍋が展示されている

焼討という災難を、参詣者を集めるために使っているのが面白い。
本堂と観音堂の間の茶屋には、弁慶力餅が売られている。

鐘といえば、三井の晩鐘(ばんしょう)も有名である。
音色が優れていて、古来より平等院と神護寺とともに日本三名鐘の一つに数えられた。

音の三井寺、形の平等院、銘の神護寺と称賛されてきた

本堂の金堂の近くには閼伽井屋(あかいや)がある。
閼伽とは仏さまにお備えする水のことで、湧き水の出る霊泉。
この霊泉が天智・天武・持統天皇の産湯に用いられたと伝えられて、御井とれ、「御井の寺」と呼ばれたのが三井寺と呼ばれるようになった所以と言われています。

天皇家との繋がりも感じられる

その近くにあるのは熊野権現社
三井寺の中興の円珍が大峯・熊野三山で修行をした経緯から、熊野権現を勧請し三井修験道の鎮守神とした。

延暦寺に千日回峰という厳しい修行があるように、三井寺は三井修験の根本道場で三井寺でも古来より厳しい修行が行われた。

延暦寺による度重なる焼討で三井寺を復興するために、修験者たちが円珍ゆかりの観音霊場を行脚し勧進したのが、三十三所巡礼のきっかけとなり、その後広まったという。
鎌倉武士にも三十三所巡礼が広まり、秩父三十三所巡礼ができたという。

境内の端には観音堂がある。
三十三所観音霊場の十四番札所でご本尊の如意輪観音が祀られている。

我が子をさらわれた母親が清水寺の観音様に必死にお祈りし、三井寺で再開を果たす話が伝えられ、清水寺との関係も感じられる

近くの展望台からの景色も絶景。

他にも鐘楼や一切経蔵があり、中を観ることができる。
内部に入って構造を見れる機会はあまりないので、いい体験ができる。

時間があれば三井寺文化財収蔵庫にも立ち寄りたい。

寺院によくある宝物館だが、貴重な文化財があると思われる。
観てもよく分からなかったが、円珍が中国大陸から将来した品はとにかく数が多いので、貴重なものがあると思われる。

円珍は親しみやすい性格で、交友関係が広く、唐に留学した時も様々な人たちと交流し、留学僧で一番将来品を持ち帰ったと言われている。

参考文献
『古寺巡礼近江』『週刊古寺』

境内を詳しく知りたい方は旅ブログの記事をどうぞ↓

【滋賀】三井寺(園城寺)の歴史(電車日本一周補完の旅8日目①) | 綴る旅 (tsuzuritabi.com)

またYouTubeでも紹介しています↓

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