【旅エッセイ】日本一周2日目 愛知県 がっかりスポットは後から楽しくなる

愛知県

旅の2日目は足の筋肉痛と共に1日が始まった。愛知の東にある岡崎のネットカフェで目を覚ますと、ふくらはぎの痛みを感じる。予想はしていたが、結構な痛みで朝から不安になる。筋肉痛を早く治すためには朝食をしっかり食べないと、なんて思ってしまいファミレスに入ったら、食べ過ぎてしまい眠くなってしまった。極度の眠気に襲われ、体を動かすことができなくなってしまったのだが、昨日の疲れが今更やってきた感じがする。まだ旅を始めて2日目だというのに、昨日の緊張感や不安はどこへやら。今日の旅の行程はそっちのけで寝ていたい、という欲求に駆られた。都合のいいもので、旅をするよりも今ゆっくり寝た方が筋肉痛は早く治る、なんて考えが出てくるのだ。

このままでは本当に予定を無視して寝てしまうと思い、予定よりも早くファミレスを出て、岡崎城に向かった。朝からしょうもない。ぐだぐだだ。自分の体たらくさに呆れてしまう。しかし、岡崎城まで45分ほど歩いていたら、足の痛みが和らぎ、眠気も無くなり、楽になってきた。クマゼミの声を聞くと、自分が今関西圏にいることを実感する。

2015年岡崎城公園

予定よりも早く岡崎城に着き、城が空くまで時間を潰す。天守閣の入り口には、「人の一生は重荷を負うて遠き道を行くがごとし。いそぐべからず…」で始まる徳川家康の遺訓が刻まれた石碑がある。仕事が忙しかった時は、そんなものを見ても何も感じなかったが、仕事から解放されると、面白いもので素直にいい言葉だなと思えてしまう。多くの家臣を抱え多くの国と同盟したり戦争したりするなかで、家康にはどれほどの怒りたいと思うことがあったのだろうか。裏切り、挑発、約束の反故など、怒り狂うようなことがあるなかで、どれだけ自分の気持ちをコントロールして来たのだろうか。そんなことを思いながら、ぼんやりと眺めていた。

2015年岡崎城公園

開館時間を待って中に入ると、残念なことに館内は撮影禁止だった。近くにある三河武士のやかたという資料館も、同じく写真を撮れない。展示内容を忘れまいとパネルを見るが、覚えていられるのは少しだけ。岡崎は石工が盛んだったことと、江戸時代には火鉢が使われたことで屋台が盛んになったこと、そんなことしか覚えていない。せっかく遥々来たのに、見所がなくて肩透かしを食らってしまった。これではただの寄り道だ。そう思うと、リュックが重くなり、ふくらはぎが痛くなり、体が重たくなった。

気を取り直して熱田神宮に向かうが、今日も天気が良くなく、朝から曇っていて蒸し暑い。汗をかきながら電車を乗り継ぎ、JRの熱田駅から交通量の多い広い道路を歩くと、熱田神宮の東門に到着した。木でできた大きな鳥居をくぐって境内に入ると、空気ががらっと変わった。さっきまでの蒸し暑さはなく、ひんやりとした気持ちのいい空間になった。境内には沢山の木々があり、大袈裟に言うと原始の森の中にいるような、そんな感覚があった。木の枝から新しい葉が出ていて、枝が緑色なのだ。こんな木は初めて見るのかもしれない。うまく言えないが、生命力というのか、力強さと言うのか、そんなものを境内の木から感じた。そんな木々が両脇に並ぶ参道を歩いていると、ちゃんと参拝しようという思いが出てきて、正門から入り直すことにした。

2015年熱田神宮

正門から境内に入り、手水舎で手と口を清め、清々しい空気を胸に取り込みながら、神聖な境内を歩く。歩いていると、織田信長が桶狭間の戦いの前に熱田神宮に参拝したことが書かれている看板を見つけた。それを見ていると、またいろいろなことが頭に浮かんできてしまう。信長はここで何を想ったのだろうか。絶体絶命の状況で、神にもすがる思いだったのだろうか。自分の全てを賭けて捨身で相手の首を獲りに行ったのだろうか。それとも、参拝は兵士の士気を高めるパフォーマンスだったのだろうか。用意周到に仕掛けていた罠に今川義元が引っかかり、勝利を確信していたのだろうか。それとも、奇襲して驚かして追い返せばいいくらいの計画だったのだろうか。

一般的に言われているように、どう考えても生き残る術は成功する確立の低い突撃しかなく、大博打に打って出たのなら、その時の信長の心情は何がなんでも生き残るという強い意志と、殺されるという恐怖だったのだろう。結果的に勝利し、その後は英雄と言われるまでに躍進した信長が奉納した「信長塀」を見ながら、また少し物思いに耽ってしまう。昨日の浜松城と同じように、ここも体と気持ちが元気になる場所だった。

2015年熱田神宮

看板には宮司が戦に参戦したことが書かれている。

2015年熱田神宮

そんな素晴らしい熱田神宮を参拝でき、境内から出て熱田駅に戻ろうとすると、アーケードの一角にヘルスの店がある。昼はシャッターが閉まっているのだが、スプレーで落書きがされている。ついさっきまで素晴らしい雰囲気だっただけに、何でこんなところにこんな店があるのかと不快に思う。せめて条例でそういう店は通りの裏に置けないものだろうか。あまりに良かった熱田神宮と、ヘルスの店とのギャップがあり過ぎて、旅を終えてからもよくこの不快感を思い出した。熱田神宮はいい所だったなぁと、思い出す度にシャッターに落書きされているヘルスの店を思い出してしまうのだ。何で神社の近くにあんな店があるんだ、と。

2015年熱田駅周辺のシャッター街

しかしある時、ふと、神社と関係があるのではないかと思って調べてみると、花街・遊郭と寺社には深い関わりがあり、そういったお店は当時の名残りだということを知った。寺社に参拝した後は、神仏の世界から俗世間に戻るために「精進落とし」をする風習が江戸時代にはあり、その一部として遊郭が存在していたのだ。また、熱田は宿場町として栄えた場所であり、繁華街の一面もあったことも、後から知った。この辺のことは、「旅の拾いもの」で書いているので、興味があれば読んでみてください。

2015年名古屋の大道路

さて、熱田神宮を参拝した後は、名古屋駅に降りて名古屋城に歩いて行った。20分で着くと思っていたら、40分くらい歩いてしまう。驚いたのは、とにかく道路が大きい。幅があり、長い。おかげで歩くには面白みのない道で、余計疲れを感じてしまった。

ようやく城内に入るが、天守閣への道はまだまだ続く。門までの道のりが長いのに、門を通ってから天守閣に行くまでが更に長い。とにかく歩く。やっとのことで天守閣に入ると、城内のパネルから分かることは、豪華な城を築きたかったというものだけ。ここもがっかりした。わざわざ歩いて来たのに、何の見所もないのかと。ただ大きいだけの豪華な城なんか造るのなら、もっと他の土地のインフラを整備したりすれば良かったのに、なんてことを何も知らないものだから、思った。後日名古屋城に行ったことを知人に話したら、他にも見る所があったのに何であんな所に、みたいな反応をされたのもあり、価値のない城だと思い込んでしまった。

しかし、後から調べてみると、見応えのある城だと分かった。旅をした時は見る価値もないと思っていたが、それは単に自分が無知なだけだった。旅は面白いもので、そんなつまらない旅に限って、新しい発見がある。がっかりした分それだけ何か新しいことを知ると楽しくなる。

2015年名古屋城

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