上野原と酒饅頭

山梨県

今回は山梨県上野原市を紹介します。東京のJR高尾駅から3つ目の駅(乗車時間約17分・運賃330円)とアクセスはそれほど悪くない場所です。ここは酒饅頭が名物として知られていますが、今回は上野原市の歴史や地理も少し紹介したいと思います。

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地形・気候

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上野原駅北口
上野原駅南口

写真の上は北口の出口で、下は南口です。北口は高台にあり、南口は低地にあり、南口から駅の改札に行くにはエレベーターで4階まで上がります。この辺りは河岸段丘が発達した土地で、地形が相模川に沿って階段状になっています。線路がその段丘の間にあるので、駅の北側は高く、駅の南側は低くなっています。市街地は駅の北の更に高台にあります。歩いていてもアップダウンがあり適度な運動になるので、散歩・散策にもおすすめの場所です。

気候は夏や冬の昼夜の温度差が大きく、雨が少ない土地で、市の約8割が山林です。

宿場町としての歴史

現在の上野原市、旧上野原町は、甲斐に入って最初の宿場町でした。昔は甲斐には25の宿場町があり、西の端は教来石(きょうらいししゅく)宿(現在の白州町)、東の端は上野原宿(しゅく)でした。上野原宿は江戸から来る際の甲斐の玄関でもありました。

郡内地方の一部である上野原では、古くから絹織物が盛んで、江戸時代の寛保年間には市が開かれ、江戸をはじめ各地から商人がやって来ました。郡内織の買い付けに商人が訪れただけでなく、相模の津久井商人が地元で産出する川和縞(かわわじま)を売ったように、それぞれの地域の品が集まり、交易の場として賑わったといいます。

郡内織は滑らかで光沢のある生地で、座布団や布団など寝具や羽織の裏地として用いられ、甲斐絹(かいきぬ・かいき)、甲斐織ともいわれました。

酒饅頭

そうした人の往来のあった上野原宿では、明治になると酒饅頭が売られるようになります。上野原宿で初めて酒饅頭を販売したのは永井酒饅頭店で、以後ここでは酒饅頭を売るお店が増えたといいます。

永井酒饅頭店のご主人から聞いたところ、もともと上野原宿周辺では小麦が穫れたそうで、水も綺麗だったので酒饅頭を作るのにいい環境だったそうです。水は棡原(ゆずりはら)を源流とする水だったそうですが、棡原は昭和40年代に長寿の村として全国に知られた場所です。

上野原宿で作られた酒饅頭はこの地を訪れた商人たちから評判になり、口伝えに広まり、行列ができたほどといいます。昔はどこの家でも酒饅頭を作っていたようです。お祭りの時やお盆などの人が集まる時に、各家庭で酒まんじゅうが作られていたそうで、米と米麹でどぶろくを作り、小麦粉を混ぜて生地をこねて、発酵させて蒸して作っていたのだそうです。

永井酒饅頭店は創業百有余年、明治から続くお店で、現在のご主人で4代目になるお店です。合成保存料や合成甘味料、膨張剤といった添加物を一切使っておらず、また必要以上に砂糖や塩を使わないように酒饅頭を作っています。昔ながらの製法を守り、素朴で素材の味を楽しめる酒饅頭です。生地も小麦や酒の風味を十分に感じられ、食べごたえのある、味わい深い酒饅頭です。

酒饅頭の感想などはこちら

甲州街道沿いに3軒、少し外れた所に1軒、4軒の酒饅頭のお店がありますが、お店によって定休日が違っていたり、14時までの営業であったり、なくなり次第終了のお店があるので、事前に調べたうえで午前に行くのがおすすめです。訪れた時は15時前で、すでに閉店しているお店が2軒と定休日のお店が1件あり、1軒しか開いていませんでした。

観光地としての上野原

駅の南口には相模川に連なる桂川があります。桂川流域は江戸時代以降、舟運が栄え、近隣の村々から伐りだした木材を筏流しで運んだり、また薪や炭を高瀬舟で運んでいました。相模川を下り現在の平塚の辺りまで運んでいたようです。

桂川では鮎がよく獲れ、網打ちや鵜飼の漁師がいましたが、鉄道ができると、大正~昭和初期にかけて桂川の鵜飼を観に多くの観光客が訪れました。遊覧船で河岸段丘の広がるこの地の風景を楽しんだようです。現在でも桂川は鮎釣りのスポットして知られています。

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