【散策記】電車日本一周補完の旅3日目①世界遺産法隆寺

奈良県
スポンサーリンク

法隆寺へ

7年前の電車日本一周の旅で回れなかった場所に行く「電車日本一周補完の旅」。その3日目は奈良の世界遺産を巡ります。

朝の6時にホテルを出て、JR大阪駅に向かいます。6時半の電車で法隆寺駅に向かいます。

旅の3日目の様子はメインサイトで簡単に紹介したので、このサイトでは、個人的に思う、奈良の文化財の見どころをできるだけ詳しく紹介していきます。今回はお寺が多いので、建物の話が多くなります。

旅の行程ですが、まずは法隆寺に行き、その後薬師寺に向かう途中、大和郡山市の金魚ストリートを歩きます。そして薬師寺と唐招提寺を参拝してから平城宮跡に行き、奈良町のゲストハウスに一泊します。

奈良は他に東大寺、興福寺、春日大社、元興寺に行ったので、そちらは別の記事で紹介します。

法隆寺南大門

さて、法隆寺の南大門にやってきました。

これから観る法隆寺の五重塔や金堂は、建物の柱が礎石という自然石の上に乗っています。柱の底を石の表面に合わせて削ることで、柱と石がピタッと重なり、一度建てたらびくともせず、重い瓦を支え、地震がきても倒壊しないようになっています。

こちらの門は室町時代に造られた門ですが、屋根の柱を支える組物も立派です。

豊富な宝物

7世紀初め、607年に創建された法隆寺には、190以上もの国宝・重要文化財があり、指定文化財以外を含むとその数は2300点に及びます。それほどの国宝や重要文化財が残っているのは、創建当初から現在に至るまで、災害や戦火を免れてきたからです。

法隆寺は670年に火事のため建物がすべて焼け落ちましたが、711年までには再建されたと言われており、それ以降は現在まで、飛鳥時代当時の姿を留めている、とても文化的価値のある場所です。

法隆寺に保管されてきた宝物類は、東京の国立博物館にも保管されています。国立博物館の法隆寺宝物館で観ることのできる宝物類は、明治時代の廃仏毀釈で法隆寺が経済的に困難な状況になった際、その危機を免れるために皇室に献納したものです。

明治11年(1878年)に、聖徳太子の肖像画や隋唐からもたらされた金銅仏など300余りの宝物を皇室に献納し、一万円を下賜され、それを伽藍の修理や維持に充てたのだそうです。物価の上昇が激しかった明治時代の1万円の価値が現在の幾らに相当するのか表すのは難しいところですが、一つの目安としては、明治初年は1万円が1億円、明治40年は1,000万円の価値があったとされています。

中門

先に進むと、奈良時代に造られた日本最古の仁王像が立つ中門があります。

普通、お寺の門は出入り口が一つか三つなのですが、こちらの門は二つです。

門の真ん中に柱が立っている不思議な造りは謎とされています。

右の阿像は、粘土を自然乾燥させて造った塑像なのですが、長い間風雨にさらされながら今もなお当時の面影を残しています。

左の吽像は、おそらく木像かと思われます。

7年前に来た時は顔の一部が塑像で、修理の際にくっつけられた木像との色の違いが素晴らしく、今回はそれを動画に撮りたかったのですが、その後の改修により同じ素材になっていました。しかし、右の阿像と同様に風化した様子となっており、これはこれで改修技術の高さがうかがえます。もしかしたら、削げ落ちた塑像の部分に別の木を組み込んで繋ぎ目が分からないように改修しているのかもしれません。

改修の前の吽像(2015年7月撮影)。顔の左側が塑像(粘土)、右側が木像だった。

五重塔(西院伽藍)

拝観料を払い回廊の中に入ると、まずは五重塔が目に入ります。五重塔は地・水・火・風・空の五大をかたどっているといわれています。

記録に残るだけでも、畿内には大地震が40回以上あったといいますが、1300年以上も地震によって倒壊しなかったことは、凄いとしか言いようがありません。

塔の中心に「心柱(しんばしら)」と呼ばれる一本の柱が通っていて、それが振子となることで倒壊を防いでいるといわれていますが、建物全体が揺れの際に塔を支えるように造られているから地震に強いともいわれています。柱をぎちぎちに組まず、地震で揺れたら建物が揺れ、揺れている間に複雑な組物で揺れを吸収する造りのようで、「柔構造」というそうです。

また壁の役割が大きく、仕切りとしての機能ではなく、地震や風から塔を守り、塔に架かる負荷を和らげているともいわれています。

そして地震だけでなく、雷から被害を免れてきたのは、まさに奇跡としか思えません。五重塔に避雷針が付けられたのは大正になってからのことで、明治時代までは五重塔には避雷針がありませんでした。

相輪は金属なので、かなりの確率で雷が落ちます。現に鎌倉時代に雷が落ちて二重目から火が噴き出し、大工の懸命な消火により鎮火されています。ついでに、その後、雷除けとして五重塔の法輪に4本の鎌が付けられ、その2本が現在も残っています。

塔の一番上にある相輪は3トンの重さがあるそうですが、重い屋根を支えるにはそれくらいの重さが必要なのだそうです。塔の上部の屋根は上からの負荷がないと風で弱く飛ばされてしまうので、長くて重い相輪を立てています。

もう一つ、五重塔が地震や風の被害を免れてきたのは、しっかりとした土台があるからです。地盤のしっかりした所まで土を掘り、そこに良質の粘土を一寸(約3センチ)ぐらいつき固め、その上に砂を置き、それを繰り返して頑丈な土台を造っています(『木に学べ』)。ですので重くても崩れず、また地震や大風で建物が揺れても崩れることがないのです。

五重塔と金堂の基壇は二重基壇となっている
高欄(柵の部分)の卍を崩した「卍くずし」と雲の形をした雲斗・雲肘木も法隆寺の特徴

中門の前にある柱には、エンタシスという柱の下の部分の膨らみが見られますが、これもよく知られている法隆寺の特徴です。

右手前の柱にエンタシスが見られる

回廊にあるこの檜の樹齢は何年くらいなのでしょうか。

金堂や五重塔に使われている檜は樹齢千年といわれています。千年もの間生存競争に勝ち抜いてきた檜は頑丈で、建築材として千年持つといわれています。法隆寺が地震や台風で倒壊せずに現存しているのは、建築技術だけでなく、樹齢千年の檜という素晴らしい素材を使っているからです。

金堂(西院伽藍)

五重塔の隣には、聖徳太子のために造られた釈迦三尊像が安置されている金堂があります。
軒が深く出ているのが見どころです。

寺院建築は中国大陸から伝えられましたが、大陸にはこのような深い軒はありません。他のお寺の金堂や講堂・五重塔もそうですが、軒が深いのは、雨が多く湿気の多い日本の風土に合わせて、日本人が独自に工夫したものです。

ついでに、寺院建築に関して本場中国大陸と日本との違いは、組物にもあります。日本の家には組物がありませんが、朝鮮や中国大陸、台湾では組物が軒を支えるために、家の建築に積極的に用いられました。

日本では寺院が権力の象徴だったため、朝鮮半島からもたらされた組物を使う仏教建築を、従来の日本の住居建築とはっきり区別し、住居に使うのを禁止したからとされています。

組物

金堂の柵の高欄(勾欄・欄干とも)は飛鳥建築の特徴である卍くずしと呼ばれていますが、その下の人の字をした柱の支えも法隆寺の特徴です。

2階の軒下の柱には龍が巻き付いていますが、これは創建当初のものではなく、江戸時代の修復の際に取り付けられたものです。異質なので取り除こうと試みたものの、今となっては屋根を支えるには太い木が必要で、柱を削れないのだそうです。

法隆寺は飛鳥時代を象徴する代表的な飛鳥様式の建物と語られることがありますが、飛鳥時代の建物は多彩だったといわれています。現存していたのが法隆寺だけなので、あたかも飛鳥時代の寺院は法隆寺のような造りだと思われてきましたが、その後、飛鳥寺や四天王寺が発掘され、その構造が特異だったことが分かり、現在では飛鳥時代の寺院建築は多彩であることが分かっています。

雲肘木を支える柱に鬼や象が刻まれている

奥に見える大講堂は平安時代に再建された建物です。

大宝蔵院

法隆寺の拝観料は1,500円と決して安くはありませんが、金堂と五重塔がある西院伽藍の他に、大宝蔵院と夢殿を観ることができます。

宝物殿の大宝蔵院の展示は素晴らしく、時間を忘れて数々の名宝を見てしまうほどです。夢違観音(ゆめちがいかんのん)像や百済観音像、玉虫厨子(たまむしのずし)といった、日本史の資料集で一度は見たことのある有名な国宝を間近で観ることができます。

写真が撮れないのが残念ですが、解説が分かりやすく、仏像であれば木像・銅像・塑像・乾漆像・石造と全ての種類が揃っていて、飛鳥時代から近代にいたるまで様々な時代の仏像を観ることができます。白檀造りの九面観音像や百万塔も印象的でした。

白鳳時代のもので、この像に祈ると悪夢が吉夢に変わるとの伝説から、夢違観音と呼ばれ親しまれている。
飛鳥時代のもので、側面に描かれた釈迦の前世説話「捨身飼虎図」「施身聞偈」が有名だが、その上には錣葺(しころぶき)の屋根と精緻に造られた組み物の仏殿があり、金堂より古い建築様式がみられる。
飛鳥彫刻を代表する像で像高が209.4㎝。すらりと伸びた体躯に、優しく微笑みかける柔和な尊顔が特徴。

時間がなくてほとんど見れませんでしたが、西院伽藍にはいろいろと見どころのある建物があります。

五重塔のある回廊の右(東)には聖霊院という鎌倉時代に造られた建物があり、

その隣(向かい)には、東室(ひがしむろ)と妻室(つまむろ)という法隆寺に住んでいた僧が住んでいた建物があります。

飛鳥時代に造られた古い建物です。

その隣(東)には綱封蔵(こうふうぞう)という、平安時代に造られたお寺の宝物を保管している蔵があります。

修理の跡でしょうか、それとも他の木が差し込まれていたのでしょうか。いずれにしても、柱も礎石も立派です。

その近くには馬屋がありました。

聖徳太子は厩戸皇子(うまやどのおうじ)が本来の名前で、それは母親が馬官の厩戸の前で聖徳太子を産んだからとされていますが、これはキリストが馬小屋で生まれたという話と似ています。唐の時代にキリスト教の一派である景教(ネストリウス教)が流行していたことと関係あるのではないかと、いわれています。

夢殿(東院伽藍)

そして離れた東院伽藍には夢殿があります。

奈良時代に造られた東大門をくぐります。三棟造りの奈良時代を代表する建物のようです。

桃山時代から江戸時代に造られた築地塀も見どころの一つです。

粘土を棒で一層ずつ何層にも突き固めて造るのだそうです。

風雨にさらされ劣化しているのがまた時間を感じさせるというか、風情があるというか、うまく表現できませんが、いい光景です。

瓦を間近で観れるのもいいです。

夢殿の入口です。

奥には鎌倉時代に造られた東院鐘楼という、奈良時代の梵鐘(ぼんしょう)が吊るされている建物があります。

夢殿は聖徳太子の徳を偲んで造られたと伝わる建物ですが、実際この地に、晩年でしょうか、政治から距離を置いた聖徳太子が住んでいたのだそうです。

先程の西院伽藍よりも時代が新しい、天平時代(平安時代)の建物ですが、鎌倉時代に大修理をしたため、建築様式は鎌倉時代のものになるようです。

見どころの一つは、八角形の形ですが、八角形というのは屋根を抑えるのに難しい構造なのだそうです。一般的な四角形の屋根なら四隅を抑えればいいのですが、これが八つとなるとバランスが非常に難しいのです。難しいということは建築技術が高いということでしょう。

てっぺんに重みのある宝珠を乗せて屋根を抑えていますが、蓮の蕾(つぼみ)をデザインしたもので当時の極楽思想を知ることができます。

八角形をしているのは、お釈迦様が一生のうちに経過した八種の相、降兜率(ごうとそつ)・入胎(にったい)・出胎・出家・降魔(または住胎)・成道・転法輪・入滅
を表しているといわれているそうです。

※降兜率(ごうとそつ)は兜率天から下ったこと、降魔(ごうま)は悪魔の誘惑に打ち勝つこと、成道は悟りを開いて仏になること、転法輪は説法・教化したこと

基壇が高いのも特徴です。

こちらの絵殿・舎利殿は鎌倉時代の建物です。

さて、時間が大分押してしまったので法隆寺駅に向かいます。法隆寺の土壁は外から見ても楽しめます。時間があれば、外から塀の周りを歩いてみるのも楽しそうです。

法隆寺iセンター

最後におまけで法隆寺の参道にある観光名所・法隆寺iセンターのパネルを紹介します。館内はメインサイトで紹介しているので、法隆寺の建造に関するパネルを紹介します。

改修の際に宮大工が使った道具

法隆寺の簡単な説明はメインサイトで紹介しています。このサイトで書いていないことも紹介しているので、こちらも是非ご覧ください。

メインサイトの記事:【日本一周補完の旅】3日目①世界遺産法隆寺 | 綴る旅 (tsuzuritabi.com)

奈良の古寺の見どころ

今回の奈良の「散策記」では寺院建築の解説が多くなりますが、これも奈良の見どころの一つだと思います。旅をする前に読んだ本には、74年間続いた奈良時代の仏教建築は28棟ありますが、これは平安時代に比べて多く、平安時代は約400年続いたのに現存している平安時代の仏教建築はわずか29棟だと書かれていました。数字が正しいのかは分かりませんが、これは京都に比べた際の奈良の見どころだと思います。

そんな訳で、多少退屈な内容かもしれませんが、「散策記」では、奈良時代の寺院建築をできるだけ紹介していきたいと思います。

それにしても法隆寺は見どころがたくさんありました。旅の行程を決める際に、法隆寺は多めに時間をとりましたが全然足りず、予定も大分押してしまったので動画も少ししか撮れませんでした。法隆寺の見どころだけで一本の動画を作りたかったのですが、尺が足りないのでそれはまたの機会にしたいと思います。今回の29日間の旅の動画の投稿が終わったら、改めて参拝して、動画を作りたいものです。

参考文献

島田裕巳『浄土宗はなぜ日本でいちばん多いのか』幻冬舎新書(2012)

浄土真宗はなぜ日本でいちばん多いのか 仏教宗派の謎 (幻冬舎新書)
多くの人は親の葬式で初めて自らの宗派を気にする。だが、そもそも宗派とは何か&...

西岡常一『木に学べ』小学館文庫(2003年)

木に学べ 法隆寺・薬師寺の美(小学館文庫)
法隆寺金堂の大修理、法輪寺三重塔、薬師寺金堂・西塔などの復元を果たした最後の宮大工棟梁・西岡常一氏が語り下ろした、1988年発刊のベストセラー、待望の文庫化。宮大工の祖父に師事し、木の心を知り、木と共に生き、宮大工としての技術と心構え、堂塔にまつわるエピソード、そして再建に懸ける凄まじいまでの執念を飄々とした口調で語り...

玉井哲雄『日本の建築の歴史 寺院・神社と住宅』河出書房新社(2008)

図説 日本建築の歴史: 寺院・神社と住宅 (ふくろうの本/日本の文化)
「日本建築」の特色とは何か? 寺院・寺社建築の見方、竪穴住居、城郭建築、住まいを解説。日本建築の歴史をひもとく画期的な一冊!

コメント

タイトルとURLをコピーしました