【散策記】電車日本一周補完の旅3日目②金魚のまち大和郡山

奈良県

JR法隆寺駅から電車に乗り、二つ目の郡山駅で降ります。郡山駅は金魚の町として知られていますが、金魚についてはメインサイトで紹介しているので、このサイトでは違う内容を紹介します。

メインサイトの記事:【日本一周補完の旅】3日目②金魚のまち大和郡山 | 綴る旅 (tsuzuritabi.com)

時間が押して断念しましたが、近鉄郡山駅の近くには金魚資料館があります。その近くには金魚の養殖場がいくつもあり、金魚のまち郡山を代表する景観となっています。郡山城と一緒に散策するのもいいのではないかと思います。

JR郡山駅から近鉄郡山駅に向かいますが、神社や寺院、町家があり、結構いい雰囲気の道を歩けます。

たまに見かける石柱と注連縄?の鳥居

薬園八幡神社(やくおんはちまん)

地元では「やこうさん」と呼ばれている神社で、奈良時代に平城京の南にあった薬草園に建立されたといわれている神社です。現在の社殿は桃山時代に再建されたものと伝えられ、県指定の文化財になっています。旅の後から知りましたが、境内には50種余りの薬草見本園があるようです。

この辺りは郡山城の城下町だった場所です。

郡山城は戦国時代に、筒井順慶が織田信長からこの地に城を与えられ築城されました。春日大社から大石が切り出され、寺院の礎石や石の地蔵も石垣に使われたといいます。秀吉の時代になると、その弟の羽柴秀長が城主となり、城下町がさらに整備されました。

郡山城の外堀から流れる水路が残っている

欄町通りを中心とする街には、古い姿の町家がいくつか残っています。地図を見ると、豆腐町、塩町、魚町、雑穀町、茶町、車町、材木町、鍛治町といった面白い名前がついていて、その歴史が気になります。

ついでに、郡山の歴史上人物を調べてみたら、『古事記』に出てくる稗田阿礼(ひえだのあれ)が郡山市の出身でした。

欄町通りの一つ東隣の細い道には、「修羅と石」の展示があります。大石を運ぶ木ゾリを「修羅」といい、石を引くことを「修羅引き」と呼んでいたようです。

これは、古代インドの正義を司る神・阿修羅が、力を司る神・帝釈天に何度も戦いを挑み、何事にも動じることのなかった帝釈天を動揺させた逸話 から名づけられているのだそうです。「たいしゃく」、つまり「大石」を動かすことを「修羅」と称しています。

郡山城の天守台建築当時の苦労を知れる展示です。

欄町通りに出て曲がると、江戸時代に藍染を営んでいた紺屋があり、その前には水路があります。この水は郡山城の堀から流れていて、江戸時代は染めた布や糸をこの水路で晒していたのだそうです。

こうしたものが観れるので歩いていて楽しい場所でした。時間が無くてほんの一部しか歩けず残念でした。

水路の通りには、こちくやという金魚のグッズが売っているお土産屋があります。こちらは金魚すくいの道場をしていて、400人以上の門下生がいるそうです。こちらも金魚のまち郡山らしい光景です。

そういえば箱本館「紺屋」には、金魚が描かれた陶磁器がありました。

陶器や時期には縁起の良いものが描かれるので、金魚も縁起物ということになります。少し調べてみると、金魚は「金」がついていることから分かるように、飼うと金運が上がるといわれていました。また、一度にたくさんの卵を産むことから子宝に恵まれるといわれ、また朱色の金魚は魔除けの色があることから無病息災に過ごせるといわれたようです。

日本のマルチタレントと言われた徳川夢声(むせい)が戦時中の生活を記した『夢声戦争日記』には、金魚を飼っている家には爆弾が落ちないという流言が東京中に広がり、金魚が売れ、生きた金魚が手に入らなくなると、陶器で作られたおもちゃの金魚が飛ぶように売れたことが書かれているようです。

金魚の養殖産地はここ大和郡山市の他に、愛知の弥富(やとみ)市、東京の江戸川、熊本の長洲町(ながすまち)が有名ですが、山形や埼玉、茨城でも養殖されているようで、日本のいろいろな場所で養殖されています。

それだけ日本人に馴染みのある生き物とも言えます。金魚について調べてみるのも面白いのかもしれません。

近鉄郡山駅から電車に乗り、薬師寺に向かいます。

郡山の記事はこちらもどうぞ。金魚がメインです。

【日本一周補完の旅】3日目②金魚のまち大和郡山 | 綴る旅 (tsuzuritabi.com)

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