【散策記】電車日本一周補完の旅2日目③四天王寺とミナミ散策

大阪府
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四天王寺

地下鉄の谷町四丁目駅から四天王寺に向かいます。

ちょっと気になる椅子の並び。東京でもこういう並びはあるのかもしれませんが、個人的には新鮮でした。地元の人のとっては当たり前の光景も、遠い所から来た旅人にとっては、新鮮な光景です。

四天王寺前夕陽ヶ丘駅で降りて四天王寺に向かいます。

この辺りはかつて昔、四天王寺創建の頃でしょうか、四天王寺のすぐ西まで大阪湾が内陸部に食い込んでおり、上町台地からは美しい夕日が見えたため、「夕陽丘」と呼ばれているのだそうです。

また四天王寺は別名椎寺(しいでら)と呼ばれていたのだそうです。境内に椎の大木があり、最澄が自らその樹を切り、薬師如来像を彫ったことから由来したことが、駅から地上に出た所にある案内板に書かれています。現在は四天王寺1丁目と住居表示されるこの辺りは、椎寺町だったのです。

四天王寺の西門

この石ノ鳥居、お寺に鳥居があるのに違和感を覚える人もいるかと思います。神仏習合の名残でもあるのですが、鳥居の先には夕日の沈む海が見え、その方向には極楽浄土があると考えれていたため、鳥居が建てられたのだそうです。

宗派によって違うと思いますが、昔は極楽は西にあると考えられ西方浄土と呼ばれていました。その名残で西に本尊を祀り東に門を設けるお寺が少なくありません。四天王寺は太陽の沈む西を向いて極楽を想う日想観のメッカであり、日想観の始まりの地なのかもしれません。

四天王寺といえば、日本最古の官寺としても知られています。官寺とは、国の保護と監督を受け、僧や尼が生きるのに必要なもの、今でいうところの給料を国から受けるお寺です。聖徳太子が創建した四天王寺は、南大門・中門・五重塔・金堂・講堂が南から北へ一直線に並び、講堂と中門を結ぶ回廊が金堂と五重塔を囲む配置をしていますが、これは日本も最も古い寺院の建築様式とされています。

推古朝創建の四天王寺は、正式には荒陵(あらはか)山四天王寺というようです。四天王寺というのも地元からするとかしこまった言い方らしく、天王寺さんと呼ばれているのだそうです(『近世大阪の町と人』より)。

法転輪

古代インドの戦車の車輪を形どったもので、参詣者が手のひらで軽く時計回りに回転させることで、お釈迦様の教えが車輪のように遠くまで広がることを表しています。

境内には親鸞聖人の像があります。

親鸞がこの地を訪れたことを伝えていますが、霊場であった四天王寺には空海・最澄・法然・一遍といった歴代の高僧が訪れたといいます。

平安時代、大阪湾とつながっていた四天王寺は、迎賓館の役割もありました。中国大陸からやってきた使者は、奈良の都に向かう前にこの寺に泊まりました。

講堂

経典を講じたり法を説いたりする講堂の中は冬堂と夏堂に分かれており、東の冬堂には現世の人々の悩みや、苦しみを救う十一面観世音菩薩が、西の夏堂には来世極楽に人々を導く丈六(じょうろく)阿弥陀如来がお祀りされています。

現世と来世の二世に亘り、人々を安楽へ導き給うようにとの願いが講堂には込められていると、四天王寺のHPでは紹介されていました。

回廊の内側

五重の塔と金堂は昭和9年の室戸台風で被害を受け、昭和20年の大阪大空襲で灰燼に帰し、創建当初の建物ではありませんが、お寺自体の歴史があるので建物が新しくても気になりません。

日本最初の官寺である四天王寺は和宗の総本山とされています。和宗とは日本で独自の宗派です。創建当初(593年)は日本にはまだ宗派がなかったため、四天王寺はどの宗派にも属していません。奈良時代の南都六宗(法相宗・倶舎宗・三論宗・成実宗・華厳宗・律宗)が誕生した時は、四天王寺は六つのいずれにも属さずに、六つの宗派の別格本山として扱われました(四天王寺のHPより)。

難波宮が移転してから、大阪の中心は天王寺に移りました。1499年(明応八)には天王寺の門前町は「七千間在所」と記され、堺・博多に匹敵する大都市だったことが伝えられています。天王寺という大寺院の庇護を受け、各地から商人が集まり、食料品では米・酒・麹・塩・干魚・柿・栗、衣料品では布や紺染、その他、紙・笠・筵(むしろ)・塗物・鍬・鋳物・竹や松などの日常雑貨と、様々な品物が並べられて賑わったのだそうです。

これらの商品の大半が天王寺の周辺、堺・平野を含む土地で加工されたもので、加工業が盛んだったことを『近世大坂の町と人』で知りました。簾や菅笠が有名で、笠は伊勢参りの旅人の多くが買ったのだそうです。ついでに、堺という国際貿易港が近かっために、中国大陸渡来の高級品店も出店していたそうです。唐物は布や陶磁器が特に人気だったのだとか。

2015年にこの寺に参拝しに来た時は、お寺の周辺に残る仏具店や石材店があったのが印象的でした。今では住宅やオフィスビルが建っている四天王寺周辺は、中世の頃はいろいろな商店が並ぶ門前町だったのでした。

参拝した時は、結縁柱がありました。

聖徳太子像と各本尊が、結縁綱(けちえんづな)と呼ばれる五色の紐で結ばれいます。聖徳太子の死後1400年を記念して、結縁柱を巨大な大木を一本造りで造ったと書かれています。

綱はどこかで参拝者が触れられるようになっていると思ったのですが、柱を触ることでご本尊と繋がるのだそうです。後から知りました。

色にも何か意味があるのでしょうが、調べても分かりませんでした。

五色幕は仏教で如来の精神や知恵を5色で表したものと、Wikipediaですが書かれていました。青・黄・赤・白・黒が基本で、青の代わりに緑、黒の代わりに樺色や紫が使われることがあるようです。宗派によって他の色の組み合わせもあるようです。

龍の井戸

四天王寺を守っている青龍が住んでいると信仰されていたのだそうです。

亀井堂

死者を供養する経木流し(きょうぎながし)が行われる場所です。戒名(かいみょう)の書かれた経木を亀形の水盤に沈め、浮かび上がらせることで先祖の霊がうかばれたとする儀式で、地下から湧き出る霊水は天竺から竜宮城を経て流れてきた極楽浄土の水とされているようです。詳しいことは分かりませんが、竜宮伝説も仏教と関係があるようです。

永代奉安吊灯籠

80万円です。四天王寺のHPによると、ご先祖供養や諸願成就をお祈りするもので、日本天台宗の開創者最澄の宝前に吊るす永代灯籠とのことです。お盆・お彼岸(春・秋)・傳教大師祥月命日6月4日に点灯し、永代帳に記載され毎日お経があげられるもののようです。

お堂とは違う場所、回廊や庚申堂に吊るされる灯籠もあり、これとは意味や値段が違うのでしょう。灯籠の奉納は神社やお寺で違うのでしょうが、こうしたものを知っていれば、またお参りする際にいろいろな楽しみが増えるのだろうと感じました。

亀井堂の竜宮伝説の亀繋がりなのか、それともまた別の理由なのか、境内の池にはたくさんの亀がいます。先ほど訪れた大阪歴史博物館の解説であった、放生会で放つ亀を飼っていた名残なのかもしれません。

と思ったのですが、池の亀の大半が戦後に繁殖した外来種のミドリガメ(アカミミガメ)なので、関係なさそうです。縁日の亀すくいで放たれたのか、仏教では殺生が禁じられているから放置されて増えたのか…。

梶の木

梶の葉に和歌を書いた平安時代の七夕の習慣を描いています。

平安時代、当時梶は紙の原料でもあり、現在では珍しい樹木なのだそうです。

梶の木の隣には宝物館があります。

こちらは創建当時の品々の国宝・重要文化財を所蔵していますが、残念ながら閉館時間になっていました。前回来た時は改装だったかで観れなかったので、今回も観れず残念です。境内にある極楽浄土の庭もいい庭園ですが、時間が無くて観れませんでした。

中門

中門の前には熊野権現礼拝石(らいはいせき)があります。

熊野詣に向かう参詣者がまず四天王寺に参拝し、ここで熊野の方向に礼拝して道中の安全を祈願したことが書かれています。京都の宇治から川を下り、先ほど天神橋付近の大川で紹介した渡辺津(わたなべのつ)で舟を降り、この地まで歩いて、聖地熊野へ向かったのでしょう。

南大門から歩いて数分の所には、日本で最初とされる庚申堂があるようです。これも知りませんでした。

南大門を出て、庚申堂へ向かいます。

南大門から直進して信号を2つ渡ると右に庚申堂がありますが、

時間が時間だったので、閉館していました。庚申信仰も調べてみると面白いものです。

この辺りには悲田院町という地名が残っています。

悲田院とは、病者や身寄りのない老人などのための社会福祉施設です。四天王寺の名前は、聖徳太子が創建するにあたり「四箇院の制」をとられたことから名づけられているといわれ、四箇院とは、寺院の敬田院、薬局の施薬院、病院の療病院、悲田院の4つです。国家の保護や監督を受けた官寺には、こうした施設があったことも非常に興味深いものがあります。

四天王寺の周りには7つの坂道があり、天王寺七坂と呼ばれています。石畳と石段のある雰囲気のいい通りがあるらしく、歩いてみるのも面白そうです。ゆっくり歩くと2時間ほどかかるらしいです。

四天王寺を参拝した後は、通天閣に向かいます。JR四天王寺駅から天王寺公園の近くを通ります。

手前のてんしば(芝生公園)までしか行きませんでしたが、奥に行くと大阪市立美術館のある天王寺公園があります。下調べ不足でこの時は知りませんでしたが、慶沢園(けいたくえん)という日本庭園もあるそうです。

大阪は緑が少ないといいますが、こういう所を歩くとそうでもないように感じられます。

てんしばを通り天王寺動物園を横切り、

高架下の脇道に入ると、

新世界の南東部の入口、ジャンジャン横丁に着きます。

新世界

ジャンジャン横丁

全長180m、道幅2.5mの商店街です。

一見シャッターの目立つ寂しい通りですが、歩いていると将棋倶楽部や的当てのお店、ゲームセンターや居酒屋、立ち飲み屋や串カツのお店、安い立ち食いそばのお店が並び、地元の雰囲気を楽しめます。

治安の悪い場所だと思っていましたが、それも1990年代までの話で、今では全くそういった雰囲気はありません。かつては、1958年(昭和33)までは、飛田遊郭があり、ジャンジャン横丁は飛田遊郭と新世界を結ぶ通りで、観光客が気軽に一人で歩くような場所ではなかったのだそうです。

そして大阪府浪速区の繁華街、新世界。

大阪らしいコテコテのカラフルな看板のお店が目に入ります。道頓堀に比べてレトロな感じがします。
ビリケン様の像も至る所に置いてあります。

そしてこちらが通天閣が見える撮影スポットです。

この辺りは明治時代に博覧会が開催された後、跡地に健全な娯楽地とすべくパリとアメリカを連想させる一大歓楽地「新世界」が整備されました。

先ほど訪れた、大阪くらしの今昔館で知りましたが、通天閣はフランスの凱旋門とエッフェル塔を合わせた形をしています。

通天閣の北側(写真の奥)はパリ風に放射状に道が造られ、専門店が並んでいました。中央の区画(写真のこの辺り)はニューヨークの海浜リゾート地が真似られルナパークという遊園地や芝居小屋、劇場などの興行館が建てられていました。そしてジャンジャン横丁の辺りでしょうか、南の区画には「ラジウム温泉」の名で親しまれた、ドイツ風の温泉場や料亭が建設されていました。

大阪くらしの今昔館の展示より

開業した1912年(明治45)でしょうか、ルナパークのロープウェイが通天閣と繋がっていたそうです。現在の通天閣は戦後に再建された2代目で、大正期のものよりも一回り大きくなっています。

上は展望台になっています。

ルナパーク時代に南の区画に建てられた劇場の多くは現在も残り、営業しているのだそうです。

近くにあった市場

少し中に入って歩いてみましたが、シャッターが閉まっていて寂しい場所でした。

こんなガチャガチャも

新世界を歩いた後は、恵美須町駅から地下鉄に乗り、道頓堀に向かいます。

一駅先の日本橋駅で降ります。

一駅しか離れていないので当初は歩く予定でしたが、時間が大分押してしまったので電車を使いました。

地下鉄の日本橋駅から法善寺横丁に向かいます。

大阪ミナミ

途中、ジビエのお店でしょうか、面白い看板がありました。

人通りの賑やかな通りを一本脇に反れると、法善寺横丁があります。

80mほどの石畳の小道には和風建築のお店があり、老舗の割烹やお好み焼き、串カツ、バー、甘味処のお店があり、名店が多いようです。

その一角に法善寺があります。

下調べ不足で知りませんでしたが、こちらには水掛不動尊という、苔の生した像があり、たくさんの地元の人からの信仰を集めている場所でした。

境内には金毘羅堂があり海上交通の守り神が祀られていますが、これは昔難波が港町だった名残とされています。

法善寺は江戸時代の初期の寛永年間に京都の宇治から移転してきたお寺でなのですが、当時難波は葬送が行われる場所でした。調べてみると、刑場と焼き場と大規模な墓地があったようです。移転の際に法善寺の住職が千日間お経を唱え死者の供養をしたことから、法善寺が千日寺と呼ばれ、今日の大阪ミナミの法善寺一帯が千日前と呼ばれるようになったといわれています。

小路を歩いて道頓堀商店街に向かいます。

ここも偶然通りかかりましたが、浮世小路(こうじ)という通りです。

大正から昭和初期の町並みを再現した絵地図やおみくじなどがあるようです。

浮世小路の隣には、うどんの老舗今井があります。

大阪の食文化の一つに出汁の文化があり、それを手軽に味わえるうどんの老舗にお邪魔することにしました。

看板メニューのきつねうどんを注文します。

大阪で出汁の文化が広まった理由は、江戸時代に北海道から昆布が運ばれるようになったことがあります。当時それまで敦賀や小浜に陸揚げされていた昆布が、北前船の大型化により下関経由で大阪まで運ばれるようになり、大阪は昆布の集積地となりました。

もともと加工業が盛んだった大坂では、昆布の加工が発展し、出汁用の昆布にとろろ昆布、おぼろ昆布と加工が盛んになり、大正から昭和初期には昆布の加工業者が150軒余り集まるほどの盛況だったそうです。

昆布の加工を支えたのは堺の包丁でした。火縄銃を量産していた堺では包丁をはじめとした刃物業も栄え、それが昆布の加工に大きく貢献したのです。

そんな歴史のある昆布出汁を手軽に食べてみようと思いきつねうどんを注文しましたが、味はかなり繊細でした。昼に居酒屋で一杯やったせいか、残念なことに味がよく分かりませんでした。評判がいいので、上品で洗練された味なのでしょう。機会があればまた訪れてみたいと思います。

うどんを食べた後は、道頓堀商店街を歩き道頓堀に向かいます。

コロナのマン防が再延長されている3月15日は、かなり人通りが少ないです。

7年前の夏の平日の夕方はこんな感じでした。

2015年7月

椅子も空いていなくて食べ歩きを断念したほどです。当時は中国人をはじめ外国からの観光客が大勢いました。

大阪らしい派手な看板

道頓堀に出ました。

これも旅の後から知りましたが、道頓堀は安井道頓という江戸時代の商人の名前に由来していることが広く知られています。多額の私財をはたいて運河の開削した道頓は、大阪の陣で戦死してしまいますが、その年に運河が完成し、その功績を称えて道頓堀と名付けられたといいます。

正式には道頓は安井氏ではなく成安氏なのだそうです。成安道頓が正しいのですが、一旦定説ができてしまうと訂正が難しく、安井姓で広まっていることを『近世大坂の町と人』で知りました。

道頓堀を歩いていると橋が多いですが、これも大阪が水運の栄えた水都の名残でしょう。江戸が八百八町(はっぴゃくやちょう)と言われたのに対し、大阪は八百八橋(はっぴゃくやばし)と言われました。約200の橋があり、そのうち幕府直轄の公儀橋は12に過ぎず、残りの橋は町人たちが自らの生活や商売のために架けたものだといいます。

橋の建築・維持には多額の費用がかかり、財産を失うものがいたとか、大坂は地盤沈下が激しくよく杭が倒れたとかで、「杭倒れ」の町と呼ばれ、それが「食い倒れ」になった説があるなんてことも本には書かれていました(『地図と地形で楽しむ大阪淀川歴史散策』)。

大阪の地名では、心斎橋や淀屋橋といった人名に由来している橋も多いですが、これも橋を架けた町人の名前から命名されているといいます。

旅をするまで大阪に関してほとんど知識がありませんでしたが、今回の旅で大阪くらしの今昔館と大阪歴史博物館の2つの博物館に行ったおかげでいろいろなことを知れ、興味をもち調べるきっかけになりました。

この辺りは遊歩道として整備されているようです。もう少し時間が経ち日が暮れると、川に映るネオンが大阪ミナミらしさを伝えてくれるのだと思います。

道頓堀川は公共の船の道なので、船が行きかうようです。

ある橋の下では若い2人組の男の子が漫才の練習をしていて、大阪らしい光景を見ることができました。

以上、大阪ミナミ散策でした。駆け足での散策でしたが、楽しめました。

散策を終えて地下鉄に乗り、一旦梅田駅の近くのホテルにチェックインします。昨晩と同じホテルですが、中は全然違いました。店舗によって設備が大分違いました。

そして近くのネットカフェでスマホで撮った動画のデータを移動して、晩御飯に阪神梅田本店のスナックパークに行きます。

有名な阪神名物いか焼きのお店へ

普段よりも空いているのでしょうか。

定番のいか焼きとデラバンという卵の入ったいか焼きを頼みました。値段はいか焼きが150円ちょっと、デラバンが200円ちょっとでした。

出汁の効いた小麦粉とイカを混ぜて焼いてソースで味付けしたシンプルな食べ物ですが、普通に美味しいです。デラバンはたまごでふっくらしてこれまた美味しかったです。テイクアウトで5枚、10枚と買っている人が結構いたのが印象的でした。夕飯の一品なのでしょうか。

こういう気軽に立ち寄れる場所はいいです。スナックパークでは他にも、麺ものや海鮮系のお店もありました。

阪神名物いか焼きでは、コロナのマン防延長期間ということでビールを販売していなかったので、隣のお店でビールを頼みました。

阪神セットという、ビールにちょぼ焼きとたこ焼きがついているセットで700円くらいでした。

ちょぼ焼きは一説にはたこ焼きの元祖といわれており、大正時代に駄菓子屋で子供用のおやつとして売られた粉ものの食べ物です。こんにゃく、ねぎ、しょうが、天かすが入っていて、味は特に特徴はないのですが、こんにゃくの触感とショウガのアクセントがいい、お酒のつまみにもなる食べものでした。

そしてホテルに戻り、この日の行程は終了です。

次回は奈良県に移動し、奈良の都を案内します。

参考文献

都市研究会 (編集)『地図と地形で楽しむ大阪淀川歴史散歩』洋泉社 (2018)

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脇田修『近世大坂の町と人』吉川弘文館 (2015)

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西野 由紀・鈴木康久『大阪 淀川探訪―絵図でよみとく文化と景観』人文書院 (2012)

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 宗政五十緒・西野由紀『なにわ大阪 今と昔―絵解き案内』 小学館 (1999)

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