【小話】水田に入ると発症し死に至る恐ろしい病気 日本住血吸虫症

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かつて日本の一部の地域では、水田に入ると足がかぶれて熱を出し、手足は衰え歩けなくなり、腹だけが膨れて死んでいく「日本住血吸虫症」という病気があった。以前記事にしたツツガムシ病もそうだが、農作業で命を落とすという、現代では考えられないことが戦前の日本にはあった。その地域は山梨県の甲府盆地に広がる扇状地、広島県福山市の片山地方、福岡県と佐賀県の筑後川下流域と一般的にはいわれているが、『病が語る日本史』によると静岡県の沼津地方や利根川流域でも見られていたとある。

ある特定の場所でしか発病しないその病気は山梨では地方病と呼ばれ、広島では片山病、筑後川下流域ではジストマと呼ばれていた。『病が語る日本史』によると、この日本住血吸虫症は稲作の普及とともに病気が広まったとされている。文献上では、1582年(天正10年)に武田勝頼が滅亡に瀕していた時、配下の武将が腹が膨れ歩けなくなり、駕籠に乗って今生の別れをした『甲陽軍鑑』の記録が国内で古い文献とされているが、中国ではそれよりも遥かに古い時代のミイラから住血吸虫の卵が見つかっており、日本でも古くから存在していたと考えられる。

中国の日本住血吸虫症を示す二つの遺体は、一つは昭和48年に湖南省の長沙で発見された、およそ2200年前の馬王堆の古墳から発見された女性のミイラである。豪族の夫人と思われるミイラの死亡時の年齢は50歳前後とみられ、肝臓と腸の組織に多数の住血吸虫の卵が発見されている。もう一つはその3年後に、湖北省の鳳凰山で発見されたミイラで、紀元前167年に安置された死亡時60歳前後とみられる男性は、日本でいえば県知事にあたる五大夫であり、その肝臓と腸に住血吸虫の卵が発見されている。

日本住血吸虫症というこの病気は寄生虫によるものであり、名前に「日本」と付いているのは、世界で初めて日本人がこの病気を解明し、治療法を見つけたからである。世界では中国をはじめフィリピンやベトナムでも見られ、約1億2千万もの患者がいるとされている。戦時中、フィリピンのレイテ島では日本軍のみならず米兵もこの病気で命を落としている。

この病気は1㎝にも満たないミヤイリガイ(これも宮入という日本の研究者の名前が付けられている)に寄生する住血吸虫という寄生虫の幼生が人間に寄生することで発症する病気である。人が水田に入り田植えをしたり小川や水路に入ると、ミヤイリガイから出てきた幼生が人の足の皮膚に着き、そこから体内に侵入する。リンパ管や静脈を通って全身を巡り、肝臓と小腸の間の門脈という場所にペアで棲みつき、1日に3000個もの卵を産む。感染すると足や脛が痒くなり痛くなり発疹が出て、発熱し嘔吐し血便が出たり下痢をしたりする。時間が経過すると、手足は瘦せ衰えて腹ばかりが膨れて太鼓のようになり、胸には静脈が浮き出て、へそは突き出て、酷い人になると腹の皮が光って鏡のように物を映し、足が腫れて皮下の静脈が青々と浮き出るようになって、死ぬ。

腹が膨れれば5年は生きられないというこの病気は、寄生虫の卵が肝臓・脾臓だけでなく、脳・肺・腎臓・小腸・大腸・脊髄、時には関節にまで血管を通って巡り、様々な症状を発症させる。脳の血管に卵が詰まれば痙攣を起こし、多い人だと1日に30~40回もの痙攣発作を起こすことがあり、視野の半分が狭くなったり見えなくなる半盲という症状を引き起こすこともあり、また時には失語症になることもある。数ある寄生虫の中でも門脈に住み着くのは日本住血吸虫だけであり、そのため病気を解明するのに多くの時間を要することになった。

明治になり病気の原因が経皮感染し門脈に棲みつく寄生虫によるものと分かり、大正にはその中間宿主であるミヤイリガイを駆除するために生石灰を散布するようになるが、それからの終息宣言が出されるに至るまでには戦争を挟んで長い期間を必要とする。特に山梨では、病気の原因となる地域である「有病地」に住んでいる人口が他県よりも群を抜いて多く、その駆除に多大な苦労を要している。有害地に住む当時の人口は山梨が20万人だったが、広島2万、佐賀6万、福岡7万と比べるといかに多いものであったか理解できる。扇状地という地形がその範囲を広め、山梨の住民を苦しめた。

明治から昭和にかけて行われた様々な研究やミヤイリガイ駆除の活動は『死の貝』に詳しく書かれている。助からない患者を目の当たりにして何とかしようとした多くの医者がいたことは胸を熱くするが、それも『死の貝』に詳しく書かれている。また、実際にフィリピンに行き現地で日本住血吸虫症に苦しむ人たちの治療に長年当たってきた林正高氏の著書『寄生虫との百年戦争』には、その病気の怖さがより詳しく書かれている。

昭和から平成の世になる頃にようやくこの病気は落ち着くが、なぜ日本の限られた地域にしか生息しないのか現在でも不明である。ミヤイリガイの生息地と蛍の生息地が重なることから、皮肉なことに水の綺麗な場所に住むのではないかともいわれている。

参考文献
酒井シヅ『病が語る日本史』講談社学術文庫(2008)
小林照幸『死の貝』文藝春秋(1998)
林正高『寄生虫との百年戦争』毎日新聞社(2000年)

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